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5、夜の果て

危険な仕事

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「この間俺しゃべったじゃん、昔馴染みの海斗ってヤツ。そいつに脅されて、俺、一度あいつの『兄貴』ってヤツの仕事場へ行ったんだよ」

「うん」

 夕食を食べ終わり、貴広は良平の話に相槌を打ちながら茶を淹れた。良平が少しでも気を楽に話し進められるよう、ノンカフェインのカモミールティを選ぶ。カスガ・フーズの営業が商品見本として持ってきたハーブティだ。

「中央区のふっるいマンションでさ」

 貴広は茶のカップをふたつ、静かにテーブルに置いた。

「『中央区』っても、盤渓だって中央区だけどな」

「あ、そうなの? 普通に街中だったよ。市電の……どこ駅だったかな」

 良平は素直にカップを手に取り、ふーふーと吹いた。その額に汗が光る。

「ま、とにかく、海斗に連れられてそこへ入ると、中は普通の2LDKのマンションなの。テーブルに何か紙がワサワサ置いてあって、応接セットのソファは破れ目から綿が出てて、んで」

 利益の出ない商売で、備品を更新することもできないのだろうか。……はは。ひとのことは言えない。貴広は無言でうなずいた。

 良平は言葉を探すような数秒のあと、再び口を開いた。

「……何かヘンなんだよ。だって仕事場だろ? 倉庫代わりで段ボールが詰んであるとか、机が並んでるとか、そういうもんだろ? なのに、奥の部屋にはでかいベッドがどかんとあって」

「うん」

 ベッドを使う仕事もある。整体とかエステとか。だが良平の言うのはそんなことじゃない。貴広は黙って先を促した。

「部屋の隅には三脚とか、何か……ライトみたいなもんとか、そういう機材がごしゃっと寄せられてて。おかしいだろどう見ても。どんな仕事だよって……そういう仕事、なんだろうけど……さ」

 貴広は唇をかんだ。

「んで、その兄貴ってヤツはこう言う訳……」

 家に帰りたくないなら、好きなだけここにいればいい。海斗の友だちならOKだ。家賃も別に要らない。ただちょっと、大学の講義のないときに、宿代代わりに仕事を手伝ってもらうかもしれない。「兄貴」は良平にそう言った。

「『仕事』?」

 どう聞いてもまともな仕事じゃない。

「うん」

「それでお前、何て返事したの」

 良平はカップを置いた。

「断れる雰囲気じゃなかったからさ……とりあえず『考えさせてください』ってだけ言ったけど……」

「それで?」

 良平はうなだれ、指をいじっている。貴広はボツリと言った。

「寝たのか」

「え?」

 良平はハッと顔を上げた。そして勢いよく首を横に振った。

「寝てない。寝てないよそいつとは。俺、逃げてきたんだ」

「は?」

「俺、その頃寝るとこなくて、慢性的に睡眠不足だったんだよね。つい綿のはみ出たソファでうとうとしちゃって。奥でそいつと海斗が話してるの……聞いちゃったんだ」

 もうひとつの部屋で、兄貴と海斗はPCを一緒にのぞき込み、映像の画質や音声の品質確認をする合間に、「こいつはもうダメだ」とか、「今回のは上手にやって、長く稼ぐ」とか不穏な会話を交わしていたらしい。

「ボソボソと小さな声だったけど。俺は寝てると思って油断したのか」

 この仕事に引き込むんだから聞かれてもいいと思ったのかもしれない。そう良平は自嘲した。

「いっそ説明が省けていいくらいにさ」

 貴広は黙って続きを待つ。

「動画撮られるなんてカンベンだ。デジタルタトゥーってか、残るじゃん永遠に。今度こそマトモな人生送れなくなっちまう。だから俺、やつらがベッドの部屋で機材を何ちゃらやってるスキに、急いでそこから逃げたんだよ」

 どうしてこの子はこんなに危ういのか。黙って聞いている貴広はもうずっと胸が苦しい。

「でもさ、俺がどこの誰かなんてすっかり知られてる。純や地元の連中に何と吹聴されるかも分からない。あまりに危険だと思ったんだよ。だから」

「……だから?」

 言葉を切る良平を、貴広は苦しい息の下で促した。

「証拠の品をひとつ拝借したんだ。連中の、悪事の証拠をさ」

「はああああ……」

 それだ。
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