悲劇の王女が転生して人気小説家になったら~契約結婚した夫が私のファンでした~

奏白いずも

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14、夫と観光しています

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 そんな誘いのもと、セレナは初めて夫と外出している。二人で馬車に揺られていると、思い出すのは求婚された日のことだ。
 あの時は衝撃と眠気のせいで大変だったけれど、今日は優雅に公爵家の馬車を満喫できている。とはいえ気を抜いてもいられない。

「行き先はまだきかない方がいいですか?」

「すまない」

 心構えをしておきたいと訊ねても昨日から同じ答えだ。
 よほど緊張を伴う場所なのだろう。張りつめた車内の雰囲気にセレナの表情も硬くなる。

「私がご一緒して良いのでしょうか?」

 何しろ形だけの妻である。きっと言いたいことはラシェルにも伝わっているはずだ。
 けれどラシェルはきっぱりと言ってみせた。

「共に向かうのなら、君しか考えられなかった」

「わかりました。私も気を引き締めますね」

 契約結婚ということを除けば、なんて情熱的な台詞だろう。耐性のない女性であれば動揺していたかもしれない。
 けれどここにいるのは前世で妖精姫として愛され、恋愛で痛い目を見ている女だ。甘い台詞に舞い上がるようなことはなく、冷静に小説の参考にしようと思うだけに留められた。それよりも、頼ってくれたラシェルの信頼に応えたいと背筋を伸ばす。
 しばらく景色を眺めていると、公爵邸を出た馬車は広い通りを進み、目的地に到着したようだ。ラシェルの手を借りて馬車を降りると、見覚えのある街並みが広がっている。
 ルクレーヌの王都は一部の区画に運河が造られている。民家の間を縫うように流れる水の道は、移動や運搬の手段として重宝され、珍しい街並みは観光客にも人気だ。
 二人並んで座ると定員になるゴンドラは、恋人たちにとって馬車よりも人気がある。細く反り上がったゴンドラの船体には色鮮やかな模様が刻まれ、見ているだけでも華やかだ。

(恋人と船旅なんて素敵よね。だから『王女の婚姻』にも登場させたわ)

 お忍びで街を訪れた王女が恋人とゴンドラに乗るのは作中の名シーンだ。元々人気の観光名所ではあったが、小説に登場したことで人気が急増したらしい。
 セレスティーナ時代にお忍びで訪れたことはあるけれど、護衛と一緒では物理的にも気持ち的にも窮屈だった。いつかは大切な人と自由に乗ってみたいと願ったものだ。

(私にはそんな日は来なかったけど!)

 前世で婚約者にお願いして、忙しいと断られたことを思い出す。
 きっと本当は忙しいではなく、面倒だったのだ。思い出したところで今となっては憤りよりも虚しさが勝る。
 とはいえ手を取り合って幸せそうに乗り込む恋人たちを見ていると、羨ましいような、妬ましいような、複雑な気持ちになってしまった。

(いいな……って、遊んでいる場合じゃないから!)

 ここへは大切な用事で連れてこられたはず。気持ちを切り替えようと、隣で一緒にゴンドラを眺めていたラシェルに目を向ける。
 すると相変わらずの硬い表情で進み、手際よくゴンドラを操る案内人の男性に硬貨を渡していた。

「あの、旦那様。もしかして乗ろうとしています? これで目的地まで行くということですか?」

「ああ。近くまで行ける」

 馬車を降りた意味とは?
 戸惑っていると手を引かれ、隣に座らされていた。船は硬い木で造られているが、柔らかなクッションのおかげで腰が痛む心配はなさそうだ。
 当然隣には彼が座るわけで、肩が触れ合いそうになる。まるで恋人のような距離の近さだ。

「さあお二人さん。出発するよ」

 案内人の明るい声でゴンドラが動き出す。疑問を感じながらも船旅の始まりだ。
 穏やかな水の流れは時間を忘れさせてくれる。風も穏やかに髪を揺らしていく。船着き場を出て橋の下を通ると、別世界に迷い込んだようだ。
 彼は観光客の扱いになれているのか、王都の名所や知る人ぞ知る穴場の情報を教えてくれた。けれど決して空気が読めないというわけでなく、恋人たちで楽しめるようにと気も遣ってくれる。

「こうして空を眺めると、随分高く感じるな」

 運河はゴンドラがすれ違えるくらいの幅で、両側を民家に囲まれている。
 高い民家の壁を見上げ、切り取られた空は絵画のようだ。観光客を楽しませようと、民家の窓辺には色鮮やかな花が飾られている。

「セレスティーナ様もこの景色を目にされたのだろうか」

 景色を楽しんでいたセレナは隣から零れた呟きに目を向ける。ラシェルは眩しそうに空を見上げていた。

「『王女の婚姻』でこの場面を読んでから、ずっと考えていた。本の中でセレスティーナ様はこの景色を素晴らしいと語られていたからな。いつか同じことがしてみたかった。大切な人ができたのなら共にと」

「それ、私とで良かったんですか?」

 訊ねると空から視線が移り、何故と言いたそうな顔を向けられる。大切な人と思ってもらえたことは嬉しいけれど、彼にそう言ってもらえる自信はまだない。
 否定されたところで傷は浅いと覚悟して聞いたけれど、ラシェルはあっさり認めてくれた。

「君は俺の妻だ。良いに決まっているだろう。それに大切な趣味友達でもある」

「それは、光栄です」

 この返しでいいのだろうか。まあ、妻を大切にするのは良いことよねと納得しておいた。

「お二人とも、さてはリタ・グレイシアのファンだね?」

「良くわかったな」

「そりゃあな。リタ・グレイシアと言えば知らない奴を探す方が大変だよ」

 言い当てられたラシェルは誇らしそうだ。公爵邸ではあえてリタファンであることを口外していないようだが、外では開放的になるのだろうか。
 ゴンドラに乗ってからのラシェルは饒舌で、機嫌が良く見える。セレスティーナの目にした光景に想いを馳せ、案内人とリタの話題で盛り上がっていた。
 そうして船旅を満喫するラシェルを隣で感じると、セレナは自分まで楽しくなってくる。

「おっとそろそろか。お二人さん、もうすぐ例の橋が近いぜ」

「なんだと!?」

 声を荒げるラシェルに釣られて驚くと、案内人は意味深に唇を吊り上げる。
 目の前には、ちょうどゴンドラが通れる高さの、アーチ形の橋が迫っていた。

「ご存じ『王女の婚姻』にも登場する名所だぜ。あの橋の下でキスをした恋人たちには幸せが訪れるってね」

(それは私にが王女の婚姻でねつ造した伝説!)

 幅広の橋を潜る瞬間には影が差し、そこは二人だけの世界となる。お忍び中の王女が恋人と触れ合うのなら、これだ! と閃いたのだが、それに倣って恋人たちは物語をなぞるのが定番となっているらしい。
 あからさまに顔を逸らし、ひらひらと手を振る案内人は、見ていないからごゆっくりという合図でだ。

(やっぱり私が相手で旦那様に申し訳なかったかも)

 ここにいるのが自分ではなく、ラシェルが心から慕う相手であれば良かった。あんなにもリタ作品を愛してくれているのなら、ぜひ物語と同じことがしてみたかっただろう。セレナは勝手に肩身が狭くなっていく。
 するといよいよゴンドラが橋を潜ろうとした時、手に温かいものが触れた。影に包まれていくゴンドラを眺めていたセレナは、至近距離で隣を見上げる。

「旦那様?」

 膝の上に置いていた手が、ラシェルによってゆっくりと持ち上げられる。声を出そうとして同時に影が落ち、手の甲に唇が触れていた。

「だ、だだだ、旦那様っ!?」

 声が裏返るほどの衝撃だった。

(お、落ち着きなさい私! セレスティーナ時代にはこんなこと日常だったでしょう! そう、だから慌てることはないのよ。きっとこれは挨拶よ、貴族的な。落ち着いて……挨拶!? そんなの朝したでしょう!)

 呼吸を整えると、感情の矛先は突然の行動に出たラシェルに向かう。無意識のうちに解放された手を握っていたので、動揺していることがばれないか心配だ。

「旦那様。これは一体」

「許可なく唇に触れるわけにはいかないからな」

 思わず「それはそう」と同意しそうになったが、それよりも。ラシェルの視線が挑発的に見える。まるで手に触れたのは情けだと言うように、握りしめた手は指先まで熱くなりそうだ。

「ありがとう。君のおかげでセレスティーナ様のお心を感じることができた」

 感慨深い呟きにはっとする。

(そ、そういうよね。旦那様は本と同じ体験がしたかっただけよね。相手は私じゃなくても良かったの。たまたま妻になったのが私なだけで)

 勘違いをしてはいけないと、しっかり自分に言い聞かせる。勘違いをして痛い目を見るのは前世だけで懲り懲りだ。
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