婚約破棄されたので悪役令嬢辞めます!

如月みつき

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「よし、今日は少し上質な布を見てみようかな。安いのばかりじゃ、練習にも限界があるし。」

朝早く下宿を出発し、市場へ向かうセルフィーナ。  
財布の中身は心もとないが、布を見るだけなら構わない。

「お嬢さん、こっちも見てってくれよ。」

大通りに面した露店では、勢いのある客引きの声が飛び交っている。  
セルフィーナは人混みをかき分けながら布地の売り場を探した。

「確か、この先の角を曲がったところに……」

ふいに横から突っ込んでくる人影。  
慌てて避けようとしたが、お互いの動きが噛み合わず、もろにぶつかってしまう。

「痛っ……」

セルフィーナは尻餅をつき、相手はよろけながらも立ち上がる。  
そこには、少し荒んだ雰囲気を纏う青年がいた。

「ったく、どこ見て歩いてやがる。」

青年は不機嫌そうに吐き捨てる。  
黒髪で、どこか鋭い目つき。服装も貴族のそれとは違い、下町に馴染んだものだ。

「なっ……そっちこそ前を見ていなかったんでしょ!」

思わず声を荒げてしまう。  
これまでなら「貴族令嬢に失礼だ」などと啖呵を切っていたに違いない。  
だが、今はそんな肩書もない。

「悪かったな……っと、荷物が散らばってるぞ。」

青年は一瞬だけ舌打ちしながらも、セルフィーナが落とした小物を拾い上げる。  
まだこちらを睨むような視線は変わらない。

「ありがとう……でも、もう少し優しく言えないのかしら。」

セルフィーナも負けじと言い返す。  
すると、青年は少しだけ眉をひそめて、

「優しく? そんな余裕はねえな。じゃあな。」

乱暴な言葉を残すと、さっさと通りの先へ歩き去ってしまった。  
背中にはどこか寂しげな影も感じるが、今の彼女にはそれを知る由もない。

「何よ……本当に感じ悪いわね。」

小声で悪態をつきつつ、落ちた荷物を確認する。  
大切なメモ帳や小銭入れは無事だった。

「危うく盗まれるところだったかも……気をつけなくちゃ。」

そう自分に言い聞かせるが、なぜか胸の奥に引っかかるものがある。  
彼が落としていった小さな紙切れを手に取り、思わず首をかしげた。

「なにか書いてある……これは……地図? 住所みたいな……」

見覚えのない文字列が殴り書きされている紙。  
多分、彼が何かの用事で持っていたものだろう。  
慌ててぶつかったせいで、彼の荷物と混ざったのかもしれない。

「……うーん、届けた方がいいのかな。あの人、すごく怖そうだったけど……」

気は進まないが、いつか再会したときに返せたらと思い、紙をそっとしまい込む。  
こうして、セルフィーナと“少し悪そうな男”リアンの、ほんの小さな接触が生まれたのだった。
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