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第十二話
しおりを挟む近所まで藤堂に送ってもらい家に帰る。
三人で作った夕食を食べ、ゲームで遊び、気付けば二十一時過ぎになっていた。
玄関の鍵を開けて中へ入るとまだリビングに明かりが灯っていて、テレビらしきものの音が廊下まで漏れ聞こえている。
二階へ上がろうとリビングの前を通り過ぎれば曇りガラスのドアが開く。
「紗枝、こんな時間までどこ行ってたんだ?」
立っていたのは八つ上の義兄だった。
会社の寮で一人暮らしをしているはずの義兄がいたことに多少驚いたものの、時々フラッと帰って来ることがあるので今日もそうなんだろうと思う。
「友達の家で遊んでたの」
そう言えばあまり納得していない顔をされる。
それでも‘友達の家’はよく使う免罪符で、これ以上聞かれても答えるつもりはないし、一々今更誰の家だとかどこに遊びに行くだとか細かく伝える義務もない。
どうせあの母親に言ったところで返事は返って来ないのだから。
「夕飯は?」
「食べてきた」
「今日は母さんの誕生日だってこの前言っただろ」
「そうだっけ?」
いつそんなことを言われたか記憶を辿り、そういえば一月も前に義兄が帰って来た時にそんなような話をされたかもしれないことを思い出した。
この一ヶ月の間に冬木達と出会って色々あったのですっかり忘れていた。
そもそも自分がいなくても何も問題ないのに何故この義兄は関わりたがるのか紗枝は呆れた。
義母は初めて会った時から酷くよそよそしく他人行儀な人で、紗枝と接する際には腫れ物に触るような態度が好きではない。義兄も誕生日にはケーキを買ってくれるが、それ以外となると兄としての役目は果たしたとばかりに無関心だった。
高校に入学してからは何かと話しかけられたり出掛けに誘われたりしたが、じゃあそれで仲良くなったかと問われれば答えは否である。
父に至っては家に寄り付かず、わざわざ外で義母や義兄と会う始末だ。
娘である紗枝とは年に一言二言交わせば珍しい。
「それに最近出掛けてばっかりなんだって?遊ぶなとは言わないけど、勉強はやってるのか?母さん、心配してたぞ」
言葉だけ受け取れば自分を心配するものだが、紗枝には全くそうは聞こえなかった。
夜遊びなんて世間体が悪い。それで成績を落とすのか。
義母が心配しているのは、何かあった時に責められたくないからだ。
心の底では欠片も心配していないくせに、義兄の前では良い母親のふりをしているのだ。
「勉強はやってるし、一々口出ししないで」
「お前なぁ…!」
「大体、今日どこに行ったの?その時わたしの分、予約してあった?」
父は義母の誕生日やクリスマスなどはレストランを予約する。
しかし行けるのは父と義母と義兄の三人分だけで、一度だって連れて行ってもらった記憶なんかなく、店名すら知らない。
幼い頃は家に帰ると真っ暗で誰もいないことは当たり前で、紗枝が一人寂しくコンビニで買ったものを食べている間に三人は綺麗な夜景を見ながら優雅なディナーを楽しんでいた。
一応大学までは通わせてくれるらしいが、卒業と同時に家を追い出されるだろう。
仕事を始めてお金を貯め、いつか今までの自分の養育費を払ってこの家族との縁を切りたいと思っている。
だから冬木から貰っている金は使わずに貯金し、小遣いも節約していた。
返す言葉もなく黙り込む義兄を尻目に紗枝は二階へ上がった。
自室の扉を閉めて、ようやくホッと一息吐く。
紗枝の部屋はシンプルだった。シングルサイズのパイプベッドに勉強机、大きなチェストと本棚が一つずつあって、自分と同じくらいの姿見が置かれている。小物はない。
机の上にバッグを置くと着替えないままベッドへ倒れ込む。
義母も父同様にフルタイムで仕事に出ているが家事はする。ただし紗枝に関することは全くやらない。昔はそれでも洗濯や食事の用意はしてくれていたのに、中学に入ってからはパッタリなくなった。
お陰で食事などは冷蔵庫のもので済ませるか、高校生にしては多い月の小遣いで賄うか。
面倒臭くて食べない日も結構ある。
ただ冬木のマンションに行くようになって夕食だけは必ず向こうで食べ、朝食や昼食は買い置きした菓子やアイスを摘むだけ。
だから十七にしてはどこそこ成長しないのかもしれない。
耳を澄ませば階下で義兄と義母の話す声がした。
父はもう寝ているのか、どうせ顔を合わせても話すことなどないので別段構わない。
閉じた瞼に腕を乗せると冬木の血だらけの背中が思い浮かぶ。
もう危険は去ったのだろうか。
催涙スプレーは役立っただろうか。
無事マンションへ帰れたのか。
他人みたいな家族よりも、左目の秘密を知って尚交友を持つ冬木達の方が紗枝にはずっと近しい存在に感じられた。
携帯を見ると二十二時になるところだった。
マンションで別れてからまだ五時間と経っていない。
画面に触れて着信履歴から‘ひいらぎ’を呼び出してコールをかける。
一、二、三、四――…
五コールまで待って通話を切った。
携帯をベッドに放り投げてチェストから着替えを出して自室を出る。
リビングは相変わらず明かりが付いたままだったが無視して化粧室に入り、服を脱いで洗濯機をかけ、浴室に入る。のんびり温めのシャワーを浴びて髪や体を洗ってサッパリした気持ちで出る頃には洗濯機は乾燥も含めて終わっていた。
髪を乾かし、服を洗濯機から出して畳むとそれを片手に自室へ戻る。
服をチェストに仕舞い、携帯を手に取ったら着信履歴があった。
ベッドに寝転がりつつ折り返し電話をかければ二コールで相手は出た。
【何か用か?】
ハスキーボイスがスピーカーを通して聞こえてくる。
少し息が弾んでいるような気がした。
「用はないです。ただどうなったか気になったので連絡しました」
【ああ、問題ねぇよ。多分コレだって事は終わった】
その言葉に思わず肩の力が抜ける。
「催涙スプレーは役に立ちましたか?」
本来は自分の護身目的で買ったものだ。
使われないに越したことはないけれど、一応確認する。
【アレは使わなかったなぁ。むしろ電話の方が役立った。明日は来んのか?】
「……よく分かりませんけど、とりあえず行きます」
【なら詳しい事は明日話す】
電話の向こうで新見が冬木を呼ぶ声がした。
夕方、左目に新見は変わらず映っていたので恐らく無事だろう。
一緒にいるということは、まだ用事は済んでいないのかもしれない。
「事は済んだかもしれませんが、明日までは後一時間弱あるので気は抜かないでくださいね。それでは、おやすみなさい」
【……ああ、お休み】
通話はアッサリ切れ、少しの間、紗枝は画面をジッと見つめた。
そうしたところで左目で何かが見える訳ではないものの、着信履歴を辿って眺めた後はその画面のまま枕元に裏返して置いてベッドへ頭を乗せる。
画面は‘ひいらぎ’‘あき’‘はとむぎ’‘つきくさ’の四人でいっぱいだった。
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