2 / 156
【第1章】婚約・結婚式編
2話 残された二年
しおりを挟む
里奈の書いていた小説は、没落しかけている貴族の令嬢として生まれたアリシアを主人公とするものだった。
一応貴族ではあるものの、ほとんど平民と同じように暮らしてきた心優しい彼女が、街で怪我を負っていたキースを助けるところから話は始まる。それからふたりはお互いの身分なんかを知らないまま、街でデートをしたり、共に時間を過ごして惹かれあう。そして、周囲からの邪魔やさまざまな障壁を乗り越えて結ばれるという定番のシンデレラストーリー。大まかに言うとそんな話だった。主人公ではないとすると、ライバルか? とも一瞬思ったが、ふたりの邪魔をするいわゆるライバルキャラクターはレベッカという名前で、リディアではない。
キースは幼い頃に母親を亡くし、人付き合いが苦手な父に育てられて社交界には出ていない。頼れる相手もおらず、ひとりで生きてきた。そのせいでなかなか人に心を開かず、悪い噂をたてられたりもするけれど、心優しいアリシアに出会って徐々に変わっていく。そんな設定にしたはずだけど——
「あ、」
そうか、そういえばそうだった。キースの設定をまとめて書いていたノートのある一文が思い浮かんだ。あれ、ってことは——
「おはようございます、リディア様」
部屋の扉が開き、メイドのミラが遠慮なく中に踏み込んでくる。カーテンを開けに窓に向かう途中、リディアが起きているのを見て一瞬足を止めたが、それを表情に出すことはせずに「起きてらしたんですね」と変わらないトーンで言った。
「えぇ……」
ミラの言葉などろくに耳に入っていないリディアは、上の空で返事を返し、頭の中で計算をする。その様子に何かを察したミラは、開きっぱなしの入り口にいた、身支度や掃除の道具を持ったローゼンブルク家のメイドたちに声をかけ、道具だけを受け取って帰らせる。バタン、と重たい音を立てて扉が閉まった。それを確認し、リディアが口を開く。
「ミラ」
「はい」
リディアには確認したいことがあった。この世界にはスマホがない。それどころかこの部屋には時計も、カレンダーもない。現代の暮らしを思い出したリディアにとっては不便極まりなかったが、こういう生活をしている貴族は、時間や日付を自分で確認する必要もないのだ。従者に聞けば良い。そのせいか、暮らしていても大まかに季節や日の進みを感じるだけで、前世のように今日が何曜日というような感覚がほとんど消え去ってしまっていた。
「今、何年だったかしら」
「997年ですね」
「997年……」
ミラは突然の質問の意図が掴めなかったが、すぐに今の年を答えた。結婚にあたって何か必要なのだろうか。きっとそうだろうとミラは自らを納得させようとした。
しかし、今が997年であると聞いたリディアは難しい顔をして何か考え込んでいる様子だ。ミラは思わず「どうかされたんですか」と問いかける。
「私……死ぬかもしれないわ」
「……は?」
リディアは大真面目な顔でそう言って、ミラの目を見た。いつもポーカーフェイスで動揺や感情を見せないミラでも、さすがにこれには僅かに表情を動かした。リディアの頭の中に浮かんだ設定。
キースには前妻がいた。
アリシアに出会った時点で、キースには死別した妻がいたのだ。確か、キースが恋に落ちるのはアリシアとが初めてだということにしたから、前妻——つまりリディアとは義務的な婚姻だったということになるだろう。まあそれは置いておくとして。
物語の始まりである二人の出会いは、エレミヤ歴1000年を記念して行われる祭り、百年祭でのことだ。百年ごとに行われているというその祭りは数か月間に渡って開催され、本祭は年の終わり。第一祭は秋頃に始まる。
もしリディアが名前もつけていなかったキースの前妻なのだとしたら——。
「あと2年……」
リディアに残された時間は、長く見積もってもあと2年しかないということだ。リディアは「元の妻と死別した設定でも入れておくか」と深く考えずに設定を追加した前世の自分を呪った。親しい人を失ったことがある、という属性を入れれば物語に深みが出るという安易な考えだった。しかし、物語の中の人間にも人生はあるのだ。名前を決めなかった前妻にもリディアという名前があり、家族があり、友人がいて、人生があった。実際にリディアとして生きてみて、初めて気が付いた。
前世で作った、自分ではないリディアに心の中で謝った。あなたのことを勝手に殺してしまってごめんなさい。
リディアについて、里奈は本当に「死別した妻である」ということ以外の設定をほとんど考えておらず、どうやって死別したかということについても特に決めていなかった。それはつまり、物語の始まる2年後までのいつ、そしてどうやって死が訪れるかわからないということだ。誰かに殺されるかもしれないし、はたまた事故かもしれない。病気かもしれない。それらが一切わからない状態で、ただある日までに確実に死ぬ、ということだけがわかっているのはかなり憂鬱だった。
「……あと2年? 何を……」
「今さら結婚しないってのは、無しよね?」
珍しく心配そうな顔を見せるミラの問いかけに答えず、リディアはへらっと笑ってそう聞いた。ミラの顔がスッと無表情に戻り、「それはできませんね」といつもの調子で答えた。
キースと結婚さえしなければ、死なずに済むと思ったんだけどなあ。
リディアはもう一度、ふかふかのベッドに倒れ込む。
——こうなったら、自力で死亡フラグを回避するしかない。
自分で作った物語だけれど、勝手な都合に振り回されて死ぬなんて御免だ。
こうしてリディアの、2年間の死なないための生活が幕を開けたのだった。
一応貴族ではあるものの、ほとんど平民と同じように暮らしてきた心優しい彼女が、街で怪我を負っていたキースを助けるところから話は始まる。それからふたりはお互いの身分なんかを知らないまま、街でデートをしたり、共に時間を過ごして惹かれあう。そして、周囲からの邪魔やさまざまな障壁を乗り越えて結ばれるという定番のシンデレラストーリー。大まかに言うとそんな話だった。主人公ではないとすると、ライバルか? とも一瞬思ったが、ふたりの邪魔をするいわゆるライバルキャラクターはレベッカという名前で、リディアではない。
キースは幼い頃に母親を亡くし、人付き合いが苦手な父に育てられて社交界には出ていない。頼れる相手もおらず、ひとりで生きてきた。そのせいでなかなか人に心を開かず、悪い噂をたてられたりもするけれど、心優しいアリシアに出会って徐々に変わっていく。そんな設定にしたはずだけど——
「あ、」
そうか、そういえばそうだった。キースの設定をまとめて書いていたノートのある一文が思い浮かんだ。あれ、ってことは——
「おはようございます、リディア様」
部屋の扉が開き、メイドのミラが遠慮なく中に踏み込んでくる。カーテンを開けに窓に向かう途中、リディアが起きているのを見て一瞬足を止めたが、それを表情に出すことはせずに「起きてらしたんですね」と変わらないトーンで言った。
「えぇ……」
ミラの言葉などろくに耳に入っていないリディアは、上の空で返事を返し、頭の中で計算をする。その様子に何かを察したミラは、開きっぱなしの入り口にいた、身支度や掃除の道具を持ったローゼンブルク家のメイドたちに声をかけ、道具だけを受け取って帰らせる。バタン、と重たい音を立てて扉が閉まった。それを確認し、リディアが口を開く。
「ミラ」
「はい」
リディアには確認したいことがあった。この世界にはスマホがない。それどころかこの部屋には時計も、カレンダーもない。現代の暮らしを思い出したリディアにとっては不便極まりなかったが、こういう生活をしている貴族は、時間や日付を自分で確認する必要もないのだ。従者に聞けば良い。そのせいか、暮らしていても大まかに季節や日の進みを感じるだけで、前世のように今日が何曜日というような感覚がほとんど消え去ってしまっていた。
「今、何年だったかしら」
「997年ですね」
「997年……」
ミラは突然の質問の意図が掴めなかったが、すぐに今の年を答えた。結婚にあたって何か必要なのだろうか。きっとそうだろうとミラは自らを納得させようとした。
しかし、今が997年であると聞いたリディアは難しい顔をして何か考え込んでいる様子だ。ミラは思わず「どうかされたんですか」と問いかける。
「私……死ぬかもしれないわ」
「……は?」
リディアは大真面目な顔でそう言って、ミラの目を見た。いつもポーカーフェイスで動揺や感情を見せないミラでも、さすがにこれには僅かに表情を動かした。リディアの頭の中に浮かんだ設定。
キースには前妻がいた。
アリシアに出会った時点で、キースには死別した妻がいたのだ。確か、キースが恋に落ちるのはアリシアとが初めてだということにしたから、前妻——つまりリディアとは義務的な婚姻だったということになるだろう。まあそれは置いておくとして。
物語の始まりである二人の出会いは、エレミヤ歴1000年を記念して行われる祭り、百年祭でのことだ。百年ごとに行われているというその祭りは数か月間に渡って開催され、本祭は年の終わり。第一祭は秋頃に始まる。
もしリディアが名前もつけていなかったキースの前妻なのだとしたら——。
「あと2年……」
リディアに残された時間は、長く見積もってもあと2年しかないということだ。リディアは「元の妻と死別した設定でも入れておくか」と深く考えずに設定を追加した前世の自分を呪った。親しい人を失ったことがある、という属性を入れれば物語に深みが出るという安易な考えだった。しかし、物語の中の人間にも人生はあるのだ。名前を決めなかった前妻にもリディアという名前があり、家族があり、友人がいて、人生があった。実際にリディアとして生きてみて、初めて気が付いた。
前世で作った、自分ではないリディアに心の中で謝った。あなたのことを勝手に殺してしまってごめんなさい。
リディアについて、里奈は本当に「死別した妻である」ということ以外の設定をほとんど考えておらず、どうやって死別したかということについても特に決めていなかった。それはつまり、物語の始まる2年後までのいつ、そしてどうやって死が訪れるかわからないということだ。誰かに殺されるかもしれないし、はたまた事故かもしれない。病気かもしれない。それらが一切わからない状態で、ただある日までに確実に死ぬ、ということだけがわかっているのはかなり憂鬱だった。
「……あと2年? 何を……」
「今さら結婚しないってのは、無しよね?」
珍しく心配そうな顔を見せるミラの問いかけに答えず、リディアはへらっと笑ってそう聞いた。ミラの顔がスッと無表情に戻り、「それはできませんね」といつもの調子で答えた。
キースと結婚さえしなければ、死なずに済むと思ったんだけどなあ。
リディアはもう一度、ふかふかのベッドに倒れ込む。
——こうなったら、自力で死亡フラグを回避するしかない。
自分で作った物語だけれど、勝手な都合に振り回されて死ぬなんて御免だ。
こうしてリディアの、2年間の死なないための生活が幕を開けたのだった。
483
あなたにおすすめの小説
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
ひっそり静かに生きていきたい 神様に同情されて異世界へ。頼みの綱はアイテムボックス
於田縫紀
ファンタジー
雨宿りで立ち寄った神社の神様に境遇を同情され、私は異世界へと転移。
場所は山の中で周囲に村等の気配はない。あるのは木と草と崖、土と空気だけ。でもこれでいい。私は他人が怖いから。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
旦那様、離婚してくださいませ!
ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。
まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。
離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。
今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。
夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。
それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。
お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに……
なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【コミカライズ決定】愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
【コミカライズ決定の情報が解禁されました】
※レーベル名、漫画家様はのちほどお知らせいたします。
※配信後は引き下げとなりますので、ご注意くださいませ。
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる