公爵夫人は命がけ!

保谷なのめ

文字の大きさ
47 / 156
【第1章】婚約・結婚式編

47話 運命の幕開け

しおりを挟む
 その日は、朝から皆がどこか浮き足立つような雰囲気だった。

「痛くありませんか?」
「ええ、大丈夫よ」

 空はまるで祝福するような綺麗な晴天。降り注ぐ陽の光が大きな窓からたっぷり入る部屋で、ミラがリディアの髪を編んでいる。

 昨日、リディアは両親を迎え、久々に食事を共にした。リディアが前世の記憶を取り戻しても、彼女として生きてきたことには違いないので、彼らは紛れもなく自分の両親で、キースも交えて和やかに時が進んだ。
 のんびりしたおおらかなリディアの両親に対して、キースが終始緊張した様子なのがおかしくて、リディアは思わず笑った。こんな奇妙な取り合わせなのになぜリディアの両親が縁談を持ってくることになったのか。それはよくわからないが、とにかく彼らはキースのことを気に入っている様子だった。

 扉の外では今も誰かが忙しく走り回っている。部屋の中でも、リディアとミラの背後では他のメイドたちがあれこれ準備を進めているのだが、ふたりの周りには穏やかで、静かな空気が流れていた。

「……私がリディア様にお仕えしたばかりの頃、あなたはまだ幼くて——」
「それはあなたもでしょう、ミラ」
「ええまあ、そうなんですが……」

 ミラがリディアの専属のメイドとなったのは、恐らく彼女が十五歳頃のことだったように思う。当時のリディアはまだ十歳になるかならないかの少女だった。リディアはまるで年の離れた姉ができたような気分で、今よりもっと無口で不愛想だった彼女の後をついて回り、髪を結んでくれるようにせがんだ。あの頃からずっと、こうしてリディアの髪に触れるのは、もっぱらミラの役目なのだ。

「——いよいよ、ご結婚……なんですね」
「……ええ」

 普段感情を表に出さないミラが、こういう話をするのは珍しい。彼女の顔には何ともいえない感慨の表情が浮かんでいた。
 ミラに言われて、改めて自分が結婚するということへの実感が湧いてくる。これまで、とにかく自分や周りを命の危機から救うことに必死で、結婚式はどこか夢のようだった。この日が来る前に、自分はまたあの小さなアパートでいつもと同じように目が覚めるんじゃないかと思ったこともある。でも、そんなことにはならなかった。これは紛れもなく現実なのである。

「……できました。髪飾りをつけましょうか」
「ありがとう、ミラ」

 髪飾りを持ってきてと他のメイドに頼もうと振り返るミラの手を、リディアは握った。この〝ありがとう〟は色々な意味を含んだものだ。これまで。そしてこれから。いつも一番近くで支えてくれた人。大切な人。ミラはふ、と表情を緩め、なんでもないというトーンで

「いいえ」

 とだけ言った。

 ***

 艶やかな純白の生地が、やわらかく、しかし美しくリディアの身を包んでいる。角度によってはゴールドの輝きを纏うそれはリディアの赤みがかったブロンドの髪を引き立て、軽く動きやすいがたっぷりとしたシルエットは背が高く凛とした雰囲気をより高貴に見せた。うっとりするほど完璧なドレスだ。

「よし! そしたら最終調整ですね!」

 張り切った様子のスザンヌは、手に仕事道具を抱えて、自分の自信作であるリディアをキラキラした瞳で見つめている。髪とアクセサリー、靴、その全部のバランスを見て、最後の調整を行うのだ。スザンヌがすっかり仕事モードに切り替わって真剣な眼差しを向けたその時、扉がノックされた。代わりに出て行ったミラが「準備中ですよ」と言ったミラの声はなんだかとげとげしている。

「いいじゃん、ちょっとくらい。ちょっと聞きたいことがあるだけだって」

 聞き覚えのある軽い調子の声。リディアは制止の声も聞かずに扉の方へと歩き出した。

「——エド! 間に合ったのね」
「お嬢さん。ただいま——ってうわ、すげー綺麗じゃん」

 少しの躊躇いもなく褒め言葉を口にしてみせたエドは、まだ帰ってきたばかりといった格好だ。まさかこんなにギリギリになるだなんて。不機嫌にエドを睨むミラを抑え、リディアは素直にエドに「ありがとう」とお礼を言った。

「こんな綺麗なお嬢さん見たら、アイツひっくり返るんじゃねえ?」
「冗談はいいから。今帰ってきたの?」

 冗談じゃないんだけどなあ、という言葉を適当に流してもう一度聞くと、エドは帰ってきたばかりだと答えた。式には間に合うように着替えるから、とまたへらりと笑う。

「そうそう、花嫁さんを覗き見しにきたわけじゃねーのよ。キースどこにいるか、知ってる?」

 帰ってきてからあちこち探しているのだが、いかんせん屋敷は大きいし、今日は来客も多いせいで会えていないらしい。伝えたいことがあるんだけど、とエドは続けた。

「キース……今日は会ってないわ。どうしたの?」
「あー……いや……」

 エドは言いにくそうに言葉を濁し、困った様子で頭を掻く。その後、「ちょっといい?」とリディアを呼び寄せた。誰にも聞かれたくない話。恐らくリディアの前世や、〝物語〟に関することだろう。終始睨みつけたままのミラに下がるように言い、リディアは耳を寄せる。エドは小声でリディアに話し始めた。

「お嬢さんさ……〝物語〟の展開で……この結婚式で何か、起こることになってる?」
「いえ、特に……このシーンは書いていないわ」

 リディアは首を振る。ここは物語開始前の世界。本編の中でも、特にキースの一度目の結婚式について描写した覚えはない。エドは「やっぱり……」と意味深な反応をする。

「……どうしたの? 何かあった?」
「……ちゃんとしたことは、確信が持ててから話すわ。とにかく今日、気を付けた方がいいぜ」

 リディアに真剣な顔でそう忠告したエドは、直後パッと表情を切り替え、「まあ、俺らがちゃーんと守るから!」といつもの軽薄な笑顔を浮かべた。リディアはその言葉に、まだエドに防御魔法のチャームを渡していないことを思い出す。渡したいものがあるからそこで待っていて、とリディアに引き留められたエドは、遠くからジッと見ていたミラに近付いた。

「……今日はお嬢さんから離れんなよ」
「……あなたに言われなくとも、そのつもりです」

 バチ、と二人の間で火花が散ったのは一瞬で、チャームを手にリディアがやってくると、まるで何もなかったかのような顔に戻った。エドはリディアからチャームを受け取り、

「じゃあまた式で! キースに会ったら俺が探してたって言っといて!」

 と去っていった。

 ***

「——完璧です!」

 スザンヌが声をあげる。ドレスの細かい調整は終了。頭のてっぺんからつま先まで、こだわりぬかれて完璧に仕上げられたリディアは、これまでで一番輝いていると言っても過言ではない。メイドたちも口々にリディアを褒め、キラキラした瞳で彼女を見つめている。
 今日だけなら本当のヒロイン、アリシアよりも綺麗かもしれない、だなんてことが、一瞬リディアの脳裏をよぎった。

「ありがとう、スザンヌ」
「いえ! こちらこそ、未熟な私にお任せいただいて——本当に感謝しています」

 リディアとスザンヌが会話をしていると、ふたたび部屋にノックが響いた。ドアを開けたミラは、そのままノックの主を招き入れる。

「リディア?」
「お母様、お父様……!」
「リディア、すごく綺麗だよ」
「ありがとうございます」

 やってきたのはリディアの両親だった。準備ができたかどうか、様子を見に来たのだという。リディアの父は思わず彼女のことを抱きしめそうになって、「ドレスが崩れるでしょう」と母に止められていた。

「でも本当に……とっても綺麗よ」
「君がドレスを作ってくれたっていう職人さんかい?」
「ッ、はい! そ、そうです! スザンヌと申します……!」

 父がスザンヌと話し始めたのを眺めていると、母がリディアの方へと歩み寄ってきた。抱きしめる代わりに彼女の肩を撫でる母の目には、深い愛情が宿っている。リディアはふと、前世の母のことを思い出した。

「……大きなことよね、結婚って」
「……はい」
「どう? 不安はない?」

 語りかける彼女の目は、あたたかさに満ちている。リディアは少し答えに迷った。いよいよだ、と実感すると、これまではなかった不安も当然現れてくる。

「……あのね……私たちが勝手に決めてしまったでしょう、この結婚……だから少し、心配で……」

 申し訳なさそうな顔。でもそれは、この世界では当然のこと。むしろ年頃になっても婚約者がいなかったことの方がおかしいのだ。

「……こんなこと、本当は言っちゃいけないんでしょうけど……やめちゃってもいいのよ」

 彼女はそう、内緒話のように言った。リディアは振り返り、鏡に映った自分の姿を見る。母とそっくりな、ウェディングドレスに身を包んだ自分。不安がないわけじゃない。もしここで結婚をやめると言えば、命の危機になることはなくなるのかも。でも、そうしたら今度は自分の代わりに誰かが運命の餌食になるんじゃないかと怯えるだけだ。
 これまでのことを思い出す。この家の人たち。この街の人たち。エド、ジーク、アンドレア、スザンヌ、メイドたちに執事たち。そしてキース。彼らを大切に思う気持ちに、偽りはない。胸元のネックレスにそっと触れる。あたたかく見守られているような、不思議な感覚。リディアは視線を上げる。もう迷いはない。

「やめない。——私、結婚するわ、キースと」

 リディアはまっすぐ、鏡越しに母を見つめた。リディアの母、前世の母を、そしてこのネックレスに思いを託したキースの母。三人の母親に、思いが届くように。

 ***

 リディアは深呼吸をした。扉の向こうでは大勢が彼女のことを待っている。

——大丈夫。

 そう自分に言い聞かせた。後ろで控えているミラの方を振り返ると、勇気づけるように頷いてくれた。大丈夫。
 扉の傍に控えている従者に合図を送る。

 扉が開く。結婚式の開始を知らせるベルが、高らかに鳴り響いた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

ひっそり静かに生きていきたい 神様に同情されて異世界へ。頼みの綱はアイテムボックス

於田縫紀
ファンタジー
 雨宿りで立ち寄った神社の神様に境遇を同情され、私は異世界へと転移。  場所は山の中で周囲に村等の気配はない。あるのは木と草と崖、土と空気だけ。でもこれでいい。私は他人が怖いから。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

旦那様、離婚してくださいませ!

ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。 まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。 離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。 今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。 夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。 それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。 お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに…… なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【コミカライズ決定】愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
【コミカライズ決定の情報が解禁されました】 ※レーベル名、漫画家様はのちほどお知らせいたします。 ※配信後は引き下げとなりますので、ご注意くださいませ。 愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

処理中です...