公爵夫人は命がけ!

保谷なのめ

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【第2章】迷宮と少女編

1話(58話) 夢のはじまり

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 ハッと目を開けると、リディアは真っ白な空間にいた。上も下も、右も左も、どこまでも真っ白。雲の中にでもいるみたいだ。そんなことを考えながら、リディアはひとまず歩いてみることにした。

「あのー」

 出してみた声は思ったより響く。キョロキョロと辺りを見渡してみるが、特になにも見つけられなかった。ぺたぺたと、はだしの足が床か壁かも曖昧なところを踏んでいる。

「すみませーん」

 普通、こんなよくわからない空間に放り出されたら、とりあえずは周りを観察して、大人しくしていた方が良いのだろう。出会う人が危険な可能性だって大きい。そうわかっているのに、今はなぜだか「誰かに会わなきゃいけない」と、そんな気がした。

「誰かいませんかー?」

 ずっとずっと変わらない景色。その中をひたすら進む。いつかこれに終わりが来るのだろうか、と歩みを止めかけたその時。リディアは、自分の手の中にペンがあることに気が付いた。ずっと持っていたのに、なんで気が付かなかったんだろう。
 角度によって様々な色に光って見えるそのペンは、軸が不思議な色の石でできていて、ペン先は金属製だ。

「……あ」

 ポタリ。ジッと見つめていたペン先からインクが一滴、したたって床に落ちた。真っ白だった床が黒で汚れ、途端にそのインクが光り出す。

「え、うわ、何!?」

 光り出したインクは文字となり、床から剥がれてふわふわとあちこちに散らばった。そこには今リディアが生きている世界の文字もあれば、前世の漢字やひらがな、アルファベットもある。

「うわあ……すごい……」

 なんとも幻想的な空間だ。触れるのかと思い手を伸ばしてみるものの、文字たちはつかめず、リディアの手から逃げて行った。もう一度ペンを見てみたが、もうインクはついていなかった。不思議に思うリディアの耳に、ある声が届く。

「——リディア? リディア・アークェット……」

 穏やかで優しく、幻想的で理性的な声——

「……あ、違う。もうローゼンブルクか」

 ではないかもしれない。気を取り直すように咳ばらいをしたその声は、ふたたびリディアの名前を呼ぶ。その声に導かれるようにして歩みを進めると、そこには一つの人影があった。

「——私を呼んでいたのは、あなた?」
「ああ! 来たのね。待ってたのよ」

 彼女の輪郭や顔は光に包まれていて、リディアにはよく見えない。眩しくて目を細めると、「ごめんなさい、眩しかった?」と光量を調整してくれたが、それでも顔はよく認識できなかった。

「あなたは……?」
「私は——」

 彼女は名乗ったようだったが、なぜだか上手く聞き取れなかった。座って、と促されるとそこに真っ白な椅子が登場する。なんだか便利な世界だ。腰掛けると椅子は想像よりふかふかだった。

「キースと結婚したのね」
「ええ、まあ……」

 彼女はリディアに「幸せ?」とか「キースの調子は?」とか、そんなことを次々質問してくる。まるで何かのカウンセリングか、そうでもなければトークショーにでも出演しているような気分だ。

「あの……」
「ああ、そうだったわね。聞きたいことはある?」
「えっ……」

 今度はリディアに丸投げ。振り回されっぱなしだ。リディアは困惑しながらも、まず始めに聞いておきたいことを尋ねた。

「あなたは一体、何者なんですか……?」
「私?」

 彼女は首をかしげる。リディアが頷くと、表情は見えないはずなのに、何故だか彼女が困ったような笑顔を浮かべている気がした。「そうねえ……」と少し考えたあと、彼女が口を開く。

「昔……あなたと同じことをしようとした——先輩? みたいなもの……って言ったらいいのかな」

 先駆者? パイオニア? と、彼女は他にもいくつかの単語をあげ、「まあ、失敗したんだけどね」と続けた。

「同じようなこと……?」
「ええ。わかるでしょう? そう、それで今ここにいる理由も、きっとわかるわよね?」


 彼女はそう言うが、リディアにはまったく心当たりがない。リディアが頭を悩ませていると、光に包まれた彼女は「きっと気付いてるはずよ」と言って水晶のようなものを取り出し、そこに映像を映し出した。

「これはあなたの記憶。見える?」

 映っているのは、夜会で見かけたブロンドの少女と、これまでリディアに訪れた危機の数々。そして、ミラの生まれ育ったというあの教会だった。

「〝物語〟は確実に、変わり始めてる」

 〝物語〟というワードの登場にリディアはハッとして彼女のことを見上げたが、彼女はただ水晶に映像を映し続けている。まるでこの世界が物語であることは、当然のことであるかのように。
 プツンと映像が途切れ、何も映らなくなった水晶に自分の顔がうつった。

「……あれ?」

 そこにうつっていたのは、リディアではなく、前世の里奈の姿だった。おかしい。さっきまでリディアの声のはずだったのに。よく見れば、服も通勤用のスーツに変わり、背も縮んでいる。慌てて顔をあげると、彼女は何の驚きもなく、ただ微笑んでいた。

「今は里奈って呼んだ方がいいかしらね?」
「……」

 彼女は知っているのだ。リディアは里奈であることを。リディア——もとい里奈はしばらく考え、そして首を振った。

「いえ……リディアと呼んで」
「そう、わかったわ」

 リディアがそう言うと、彼女は特に何も気にする様子もなく返事をした。いつの間にか姿が元に戻る。黒髪は赤みがかったブロンドに、身長は高くなって、スーツは寝るときのゆったりとしたドレスに変わっていた。

「さあ——今の映像で自分が何をしたらいいか、わかったわね」
「え?」
「何を選ぶか、どう進むか。それはあなたの自由よ。私はその選択を見守っているわ」

 さっきからずっと、彼女はぼんやりとした、抽象的なことしか言わない。そのせいでリディアは全然何をしたらいいのか、彼女がなにを言っているのかわからなかったが、そんなことお構いなしといった様子で話が進む。

「あの、全然わからないんだけど……」

 戸惑うリディアに、彼女は微笑んだ。そして、そっとリディアの胸元に触れると、指先が輝いた。

「大丈夫。そのための力は、もうあなたの中にある」

 空間を漂う文字の断片たちが揺らめいて、彼女が触れたところから広がる光に吸い込まれていく。まるでリディアの中に文字たちが飲み込まれていくようだった。その光はだんだんと大きくなり、視界を覆う。眩しさに思わず目を覆うと、バタン! と勢いよく目の前で本が閉じた。

「忘れないで」

 耳の奥で響いた彼女の声が何度もリフレインし、焼きついて離れない。次の瞬間、リディアの体は暗い空間に放り出され、宙に浮き——

「——危ない!」

 ドン! と大きな音と衝撃に目を覚ますと、リディアはベッドから落下し、ミラの差し出したクッションの上で転がっていた。見慣れた天井。バクバクと動く心臓とは裏腹に、不思議と気分は落ち着いていた。

「セレナ……」
「……誰です? 頭でも打ちました?」

 セレナ。その名前が、何故だかリディアの寝起きでぼんやりする頭に残っている。理由はわからないが、その名前を忘れてはいけないような気がした。
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