黒薔薇の刻印 ~死ぬほど愛される、重すぎる愛の逆ハーレム~【ダークファンタジー】

ALMA

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第3部:紺闇の魔王の檻

第23話:王妃なき帰還

 ロゼノアが連れ去られたという報告は、直ちに最前線へと届けられた。
 その瞬間、戦場の空気が変わった。

「――なんだと!?」

 血に濡れた剣を下げたアルカディアスが、報告に来た兵士を振り返る。
 その美しい黄金の瞳から、理性の光が消え失せた。

「奪われた……? 俺のロゼノアが……?」
「は、はい……! ユリウス様が応戦しましたが、敵の皇帝の魔眼にやられ、瀕死の重体で……」

「役立たずがァアアアッ!!」

 ドガッ!!
 アルカディアスの絶叫と共に、彼が握りしめていた剣が、近くの木箱を粉々に叩き割った。
 彼は血走った目で、虚空を睨みつける。

「殺してやる……サイラス……ノクスフェル……一匹残らず、肉片に変えてやる……!」

 アルカディアスは獣のような咆哮ほうこうを上げ、単身で敵陣――ノクスフェル領へ向かって走り出そうとした。
 もはや王としての判断力はない。恋人を奪われた一匹の狂った雄だった。

「お待ちください陛下! 今行けば無駄死にです! 敵はすでに転移で撤退しています!」
「離せ! 俺のロゼノアだ! 俺が助けに……ッ!」

 制止しようとする兵士たちを、剣の柄で乱暴に殴り飛ばす。誰も王を止められない。
 その時。

「――お許しください、陛下」

 背後から忍び寄ったシルヴィアが、王の首筋に短剣の柄を叩き込み、同時に強力な強制睡眠魔法を放った。

「ガ……ッ、ロゼ……ノ……ア……」

 アルカディアスの体がぐらりと揺れ、その場に崩れ落ちる。
 シルヴィアは倒れた主君を抱き留め、苦渋の表情で叫んだ。

「全軍、撤退だ! 負傷兵を回収し、直ちに王都へ戻る! 急げ!」

 聖女を奪われ、最強の騎士が倒れ、王が正気を失った。
 それは、王国軍にとって完全なる「敗北」だった。


 *

 重苦しい空気が漂う王宮。
 帰還したアルカディアスは、シルヴィアに強力な拘束魔法と睡眠魔法をかけられ、寝室に寝かされていた。正気を失った王は、目覚めれば再び暴走し、単身で死地へ向かいかねないからだ。態勢を立て直す必要がある。

 一方、他の負傷兵たちとは別の救護室に運び込まれたユリウスは、虫の息ながらも持ち堪えていた。
 彼の命を繋ぎ止めているのは、以前、ロゼノアに蘇生された時の黒薔薇の刻印の力。全身に巡るロゼノアの魔力が、彼を手放そうとしないのだ。

(ロゼノア様……ああ、貴女を抱きしめて、さらってしまえたら……)

 ユリウスは甘い夢の中にいた。ロゼノアの胸に抱かれ、何度も口づけを交わす。彼女の中に包まれ、温かく満ち足りた幸せ。

(でも、貴女はいつも私にだけ冷たい……。他の男に抱かれるのを見せつける)

 もう一度会えたなら、いつか必ずこの想いを伝えたい――。

 そして、王妃の部屋では。
 留守を守っていた侍女のマリエが、報告を聞いて立ち尽くしていた。

「……ロゼノア様が、連れ去られた?」

 無表情な彼女の顔が、怒りにゆがむ。
 その手の中で、銀のトレイがミシリと音を立ててひしゃげた。

「薄汚いノクスフェルの皇帝め……。よくも、よくも私のロゼノア様を……」

 はらわたが煮えくり返る思いだった。今すぐノクスフェルへ飛び、皇帝の喉笛を食いちぎってやりたい。
 だが、今のマリエにはどうすることもできない。
 さらに悪い知らせがあった。

「ユリウス様が瀕死……? 全身を切り刻まれ、いつ息絶えてもおかしくないと?」

 マリエはギリッと唇を噛んだ。
 ロゼノアがユリウスのことを、密かに慕っていることにマリエは気づいていた。
 ロゼノア様の大切な方。
 ――もし彼が死ねば、ロゼノア様はどれほど悲しまれるか。

(ああ、ロゼノア様がいらっしゃれば……!)

 ロゼノア様の聖女の力ならば、瀕死の者でもたちまち治癒できる。
 だが、その主人はいない。国一番の医者や治癒師たちでさえ、匙を投げるほどの重傷だという。

(聖女……聖女の力さえあれば……)

 そこまで考え、マリエはピタリと動きを止めた。
 ゆっくりと、その薄い唇が弧を描く。
 冷たく、計算高い笑み。

「……居たわね。もう一人、聖女ガラクタが」


 *

 王宮の敷地内、北の塔。
 かつて聖女として持てはやされ、今は幽閉の身となっている元平民の娘、リリアーナ・リリエール。
 彼女は突然、マリエによって牢から引きずり出された。

「ちょっと、何よ! 離しなさいよ! どこに連れて行くのよ!?」
「黙ってついてきなさい、この穀潰ごくつぶし」

 マリエはリリアーナの腕を乱暴に掴み、石階段を早足で降りていく。

「痛いじゃない! どこへ連れて行く気!? これ以上乱暴にするなら、私の『聖女の力』で酷い目に合わせるわよ!」
「その力が必要なんですよ。……さあ、着きました」

 連れてこられたのは、血と消毒液の匂いが充満する治療室だった。
 ベッドの上には、包帯でぐるぐる巻きにされたユリウスが横たわっている。顔色はろうのように白く、呼吸も浅い。

「ひっ……な、なにこれ、死体!?」
「まだ生きています。……さあ、治しなさい」

 マリエはリリアーナの背中を押し、ベッドの前へ立たせた。

「はぁ? なんで私がそんなこと……」
「あなたは『聖女』なのでしょう? ロゼノア様に比べれば、遠く及ばないクソみたいな力かもしれませんけれど、多少は傷を塞ぐくらいできますよねぇ?」

 マリエの猫なで声には、隠しきれないとげと殺気があった。
 リリアーナはムッとして言い返そうとしたが、ふとベッドの上の男の顔を見て、目を見開いた。

「えっ……この人……」

 端正な顔立ち。黒髪のクールな美貌。
 リリアーナは思い出した。一度だけ北の塔で見た、あの美しい素敵な騎士だ。

「うそ、私の騎士様じゃないの!?」
 リリアーナの瞳がハートマークに変わる。
 世界はまだ自分中心に回っていた。これは運命だ。傷ついた騎士を聖女が救い、愛が芽生えるドラマチックな展開に違いない。

「かわいそうに……! こんなに怪我をして! 待っててね、私の騎士様! 今、愛の力で治してあげる!」

 リリアーナが両手をかざすと、淡い光が溢れ出した。
 ロゼノアの力に比べれば蛍の光ほど頼りないが、それでも腐っても「聖女」の魔力だ。
 時間をかけて光を注ぎ込むと、ユリウスの深い傷が徐々に塞がり、顔に赤みが戻ってきた。

「……ん……」
「騎士様! 気がついたのね!」

 ユリウスがうっすらと目を開ける。
 完全ではないものの、命に別状はない状態まで回復したようだ。
 リリアーナは「きゃっ」と歓声を上げ、そのままユリウスに抱きつこうと身を乗り出した。

「ああ、よかった! 私が助けたのよ! さあ、お礼のキスを……」

 グイッ。

 リリアーナの襟首が、背後から無慈悲に引っ張られた。

「ぐえっ!?」
「はい、ご苦労様でした」

 マリエが汚いものをつまむように、リリアーナを引き剥がす。

「ちょ、ちょっと! いいところだったのに!」
「命が助かったのなら十分です。休んでいる暇はありませんよ」

 マリエはズルズルとリリアーナを引きずり、扉の方へと歩き出す。

「へ? ど、どこへ行くの?」
「この隣の広間には、数百人の負傷兵が転がっています。……全員、治していただきますよ」
「はあぁ!? 無理よ! そんなの魔力が尽きちゃうわ!」
「尽きたら魔力回復薬ポーションをガブ飲みしていただきます。死ぬ気で働いてください。ロゼノア様の代わりを務めるのですから」

 マリエの目は笑っていなかった。
 それは、使い潰す気満々の、鬼軍曹の目だ。

「いやぁぁ! 助けて、私の騎士様ぁぁ!」

 リリアーナの悲鳴が遠ざかっていく。
 マリエは冷酷に言い放った。

「まだまだたくさん働いてもらいますよ。――憧れの聖女様になれて、本当によかったですねぇ?」


 *

 一方、その頃。
 ノクスフェル帝国へと連れ去られたロゼノアは、深いまどろみの中から意識を取り戻そうとしていた。

 寒い。
 肌を刺すような冷気が、ここがいつもの王宮ではないことを告げている。

 重い瞼を押し上げると、そこには見知らぬ天井が広がっていた。
 王国の洗練された様式とは違う。荒々しく削り出された黒い石材と、そこに張り巡らされた、見たこともない巨大な獣の毛皮。部屋の隅に置かれた調度品も、武骨で、どこか禍々まがまがしい異国の意匠が凝らされている。

(ここは……?)

 体を起こそうとして、自分が薄い絹の寝間着一枚に着替えさせられていることに気づいた。高級なレースに縁取られているが、冷たく肌にまとわりつく布の感触が不安を駆り立てる。

(……ユリウスは……どうなったの?)

 脳裏に浮かぶ最後に見た姿。多数の剣に貫かれ崩れゆく騎士。

 その時。
 頬に、氷のように冷たい指先が触れた。

「……っ!」
 ビクリと肩を震わせ、視線を向ける。
 寝台のすぐ横に、黒い影が座っていた。

「お目覚めかな、私の聖女」

 そこにいたのは、残虐な皇帝、サイラス・フォン・ノクスフェル。冷酷で淡麗な顔立ち。
 彼は寝台の縁に腰掛け、右目に黒革の眼帯をしたまま、無防備な私の寝姿を上からじっくりと値踏みするように見下ろしていた。

「……っ!」
 私は反射的に身を引こうとした。逃げなければ。
 だが、その瞬間。

「どこへ行くつもりだ?」
 サイラスの指が、右目の眼帯にかかった。
 黒革に刻まれた銀の文字が音を立てて弾け、それが外される。

 ――カッ。

 瞼が開かれ、鮮血のように赤く、底なしの闇を湛えた『魔眼』が私を射抜いた。左が青、右が赤のオッド・アイ。

「……ぁ……っ!?」
 体が、動かない。
 金縛りにあったように、指一本動かせない。シーツを握りしめた手も、逃げようとした足も、完全に石化してしまったかのようだ。

「――抵抗する姿を見るのもいいが」
 不気味な赤い瞳が近づく。
「私の力を思い知らせておこう――」
 荒い息が近づいてくる。
「いい子だ。私の前では、人形のように大人しくしていればいい」

 サイラスの口角がニヤリと吊り上がる。
 動けない私の頬から首筋へ、そして胸元の薄い布地の上へと、冷たい指が這い降りてくる。

「ここは私の城の最奥……皇帝の寝室だ。歓迎するよ、ロゼノア」

 逃げ場のない鳥籠の中で、魔王の冷酷な愛撫が始まろうとしていた。
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