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吸血鬼の章
暴力反対
しおりを挟む碧以、結紫、紫束の三人は近所の山の中の少し開けた場所に居た。ここで実戦経験のない碧以のために戦闘訓練を行う。飯田から習った対人用格闘技だけで吸血鬼戦に挑むのは心許ない。初日の今日は結紫と一対一の模擬戦で、吸血鬼のパワーとスピードに慣れてもらうことにした。しかし碧以の様子がおかしい。
「ちょっと碧以、真面目にやんなさい」
「でも当たっちゃう!」
碧以はどうしても結紫に攻撃することができなかった。碧以にとって結紫は大切な家族で、練習であっても攻撃するなんてとんでもない。
「結紫、交代して」
碧以の前に立った紫束は出し抜けに平手を喰らわせた。
「!? い、痛い……」
「殴り返してごらん」
碧以が殴りやすいようにと紫束なりの気遣いだ。渋々身構えるものの、やはり防戦一方で攻撃はできない。
「だって! そんなことしたらこ、こ、興奮しそう!」
馬鹿馬鹿しくなった講師二人がやる気をなくしたためレッスンは終了した。
家に戻った碧以は殴られた頬をさすった。痛みとダメージは直後に消えているが気分の問題だ。吸血鬼も痛覚があり負った傷に見合った痛みを感じる。碧以は痛いのが嫌いだ。痛みは与えるもので自分が味わうものではない。そのせいで回避だけはやたらと上手かった。
「紫束ちゃん。さっきはごめんね?」
碧以にとって女性への暴力は前戯のようなもの。結紫と同じくらい大切な家族である紫束に対して性的な目を向けたのが後ろめたかった。吸血鬼に性のタブーはないのだが碧以的に家族を対象にするのはなしだ。それに、せっかく訓練してくれようとしたのに時間を無駄にさせてしまった。
「別にいいけど、本当に痛いの嫌いなんだね……」
「だってぇ~」
紫束もどちらかというと痛いのは嫌いだ。痛み自体というより、誰かに痛みを加えられているときは大体に於いて自分に主導権がなく、その状況が受け入れ難い。ただただ痛いのが嫌という碧以の感情はちょっと理解しかねる。あと、もじもじする碧以が気持ち悪いなと思った。
「碧以が家族思いなのは嬉しいけど、練習はなんとかしたいなぁ。しょうがないから寸止めで練習しようか」
結紫の提案、寸止め。フルコンタクトと比べたら会得できるものは少ないけれど、やらないよりマシだ。紫束は別の提案をした。
「不殺の連中は、リーダー格以外は弱くて大勢で群れているらしい。だったらそいつらで練習したらいい」
大多数の吸血鬼は他の吸血鬼の動向を探っている。不用意な接触を避ける、あるいは寝首を搔く、覗き趣味など目的は様々。情報提供者はグールが多い。彼らの経営する全掃工業のネットワークは全国津々浦々に及んでいる。
紫束の提案は練習ではなく実戦だ。しかし悪くないと結紫たちは思った。向こうの出方を待つ必要はない。先手必勝ともいう。そうと決まれば作戦会議だ。三人は膝を突き合わせた。
閑静な住宅街に建つこの緑川家は了炫が手掛けたもう一つの家畜小屋だ。犠牲者は四人。四十代後半の夫婦と中学生の長男長女。宮岡家と違い単純に精神干渉だけで支配している。一度に複数人を操れる実力の者がいないため、吸血鬼も四人常駐していた。食事は人間同士で性交させ、最中に拷問を施すというやり方。刃物で切る、針を刺す、頭にビニール袋を被せる、冷水に沈める、火傷を負わせる等々。
不殺主義と呼ばれているのはここに集まる了炫の同胞たちのことで、彼らは吸血鬼でありながら暴力を好まない。殺人未経験者が大多数。この家を利用する一方で、一家が置かれた非人道的状況に眉をひそめている。今夜食事をしに来た四人の吸血鬼もそういう小狡い奴ら。彼らは飢え死にしないギリギリの栄養を摂ると逃げるように立ち去った。
支え合って歩く四人の吸血鬼から強者の匂いはしない。吸血鬼の強さは良質な食事と比例している。苦痛と快楽の末に命を奪われた美しい獲物は悪魔への供物でもある。了炫を除いて茨矜の子供たちは悪魔への供物が甚だ少ない。万年栄養不足。経験不足。当然吸血鬼として成長しておらず貧弱だ。そのような状態だから忍び寄る碧以に全く気付かず、訳も分からないうちに三人が首を刎ねられてしまった。深夜の住宅街に生首が転がる。
「よっわ! 弱すぎてビビるんだけど! 人間?」
紫束の読み通り、不殺主義の吸血鬼たちは弱かった。間違って人間を殺したのかと思ったくらいだ。初の同族殺しでワクワクドキドキしていた碧以は拍子抜けした。
紫束は三人の胴体から心臓を抜き取り、引き千切って川の中や家の植え込みに投げ捨てた。頭部は声を出せないように下顎を踏み砕いてから横の公民館の屋上へ、胴体はその向かいのマンションの屋上にそれぞれ投げ上げる。これだけされてもすぐには死なない。胴体を動かして頭と心臓を拾いに行けば復活できる。だがこの状態で動けるのは余程強力な吸血鬼だけだ。虚弱な不殺主義者にできる芸当ではない。心臓を取られると身体の回復が遅くなる。砕かれた顎が元に戻ることはないだろう。仮に仲間が近くに来ても助けを呼べない。ばらばらにされた三人は恐怖を味わいながら朝を待つしかないのだ。想像した紫束はほんの少し口角を上げた。
残された最後の一人は恐怖で身動きできないでいた。碧以は以前自分をからかうために使われた大きなナイフを片手で弄びながら、泣いて震える吸血鬼に近付いた。
「こんばんは~。なんてゆーか吸血鬼っぽくないね」
「誰……なんでこんな事……」
女も碧以が人間かと思った。だが碧以の纏う鬼気は紛れもない吸血鬼のもの。何故このような無体をするのか。同族から恨みを買う心当たりはない。
「とりあえず家に行こう。話はそこで聞くよ。着くまで静かにしてね」
女の腕をとろうと碧以が手を伸ばす。それだけでも女には恐怖だった。叫び声をあげようとするやいなや顎の下から上に向かってナイフが突き刺される。強制的に口が閉じられ、上下の歯ががちんと音を立てた。悲鳴になるはずだった呼気が、泡立った血と一緒にぐぶぐぶと隙間から漏れた。
「しー。静かにって言ってるだろ。行くぞ」
目を白黒させる女の右手首を掴み、碧以は歩き始めた。女の空いた左手はナイフに触れる前に紫束に捕まってしまった。両手を掴まれ顎にナイフを刺した異様な姿で碧以たちの車まで歩かされる。ナイフを抜かれたのは目的地に着いてからだった。
ゲームに夢中で留守番していた結紫も、帰宅した碧以たちに話を聞いて不殺主義者の弱さに驚いた。拉致した女が怯える姿はまるで人間だ。
女はダイニングキッチンの椅子に座らされた。この家の住人たちはテーブルの向こう側に腰を落ち着ける。女を拘束するものは何もなく、背後には勝手口。見え透いた罠に飛び込む勇気も突破する自信もない女はじっと座り続けた。
「それじゃまずお名前からお願いします」
「面接か」
一人を除き和気藹々とした雰囲気で尋問が始まった。
女の名は毖姱。問われるまま答える。茨矜のこと、了炫のこと、自分たちのこと、緑川家のこと。話せることは全て話した。
「普通に外道じゃねぇか。それでよく人のこと野蛮とか言えたな」
「了炫だー。そうそう。あんたら覚えにくい名前ばっかりだね」
「碧以は戦い慣れてないから練習相手になれ。断るなら今殺す。勝ったら帰っていい」
紫束の言葉は毖姱には事実上の死刑宣告に聞こえた。あれだけ手際よく三人を殺しておいて戦い慣れてないとは。茨矜や了炫と同じ匂いのする吸血鬼に毖姱が勝てるはずがない。何も言えないでいたら承諾と見做された。
今日はもう朝が近い。毖姱は翌夕まで地下室に閉じ込められることになった。八畳くらいの部屋は真ん中から、いかにも頑丈そうな鉄格子で二分割されている。黒ずんだ床や格子についた染みが嫌な想像を掻き立てる。三人は毖姱を格子に括りつけると地下室から引き揚げた。拷問がないことに毖姱は安堵した。
なぜこんなことになったのか。ほんの数時間前まではいつも通りだった。殺された三人とは吸血鬼化後に知り合った友人だ。似た者同士でなんとなく気が合ってつるむようになった。みんな優しくていい人たちだった。それなのに、どうしてあんな目に。刎ねられた首から噴水のように血が飛び出すところを思い出してしまい、ぎゅっと目を瞑る。瞼には了炫の顔が浮かんだ。
『茨矜がなんのためにおまえを吸血鬼にしたと思う。貰った命を大事にしろ』
毖姱は家庭環境に恵まれず、行き場をなくしたところを茨矜に拾われた。茨矜は恩人だ。強くて優しくて頼りになる父。茨矜が居ればなんとかやっていける気がした。そんな茨矜が死んで悲嘆に暮れていたところを励ましてくれたのが了炫だった。こんな所でむざむざ殺されて、新しい人生をくれた茨矜と支えてくれる了炫を悲しませたくない。なんとかして生きてここから逃げ出して、もう一度自由になりたい。
そのとき格子の外、毖姱の背後から物音が聞こえた。牢の扉をくぐり、緊張する毖姱の前に姿を現したのは結紫だった。
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