夜行性の暴君

恩陀ドラック

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魔術の章

サスペンスの開幕1

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 昢覧が離れを留守にした数十分の間に、また壱重の機嫌が悪くなっていた。いつ誰が来る分からない状況の中、短時間で。というシチュエーションが興奮を煽ることは解かる。しかし明日紀と壱重は数時間前も二人で仮眠室に閉じこもったばかりだ。セックス覚えたてのガキでもあるまいしと昢覧は呆れた。


「明日紀、程々にな?」

「咎められるようなことはしてない」

「嘘つけ。したからこうなってんだろ」


 嘘ではないが本当でもない。仲居を追い返した後、壱重を膝に乗せてキスをした。それ以上のことはしていない。仮眠室でもキスまでで我慢している。ではなぜ壱重の機嫌が傾いたのかというと、明日紀が常に壱重を腕の中に捕まえて片時も離さなかったせいだ。解放されたのは昢覧の気配がしてからだ。壱重もまさか二時間の抱っこのあとでまた拘束されるとは思っていなかった。自宅に居たときより束縛が酷い。つかず離れずくらいがちょうどいい壱重は確実にストレスを貯めていた。

 壱重が好きだと言いながら彼女の気持ちは汲んでいない。以前の明日紀ならもっと相手をよく見て絶妙な、嫌がらせともじゃれ合いとも取れる悪戯を仕掛けてきたのに、今はただ己の欲望を優先させているだけに見える。しかし長期にわたる悪戯の可能性も捨てきれない。なんにしても、昢覧は「程々にしろ」以外の感想が出てこなかった。


 日が沈み、三人は魔術の効果が表れるという花桐本館に移動した。そこでは菊池の活躍のおかげで殺人鬼に怯えた人々が籠城していた。正面玄関にはバリケードが築かれ、従業員の面通しをクリアしないと中に入れない。ロビーにはヴァンパイアハンターから奪った武器を携えた男たちがうろついている。

 実は昢覧たちより少し前に後藤が花桐に姿を現していた。吸血鬼と共に夜を迎える意味を知っている彼は、間もなく訪れる夕闇に居ても立っても居られなくなったのだ。説得にあたっていた井塚門人たちは止む無く暴力的に制圧した。そして逃げ込もうとした花桐で後藤は殺人集団の一員と見做され袋叩きにされてしまう。引っ張られて行ったガレージには、苛烈な私刑を受けてぼろぼろにされた小川と太田が居た。


「なんでこんな酷いことを……俺たちは人間のために戦っているんだ……全部君たちのためなんだ……頼むから解放してくれ。君たちは騙されてる。本当の敵は俺たちじゃない……!!」

「そいつを外そう」

「おい、ロープもう一本ないか?」


 後藤の叫びは無視され、太田が縄を解かれて地べたに転がされた。空いた柱に後藤を縛り付ける。死んだと思われていた太田はまだ微かに息があり、後藤と視線が合った。だがそこに意思の力は感じられなかった。


「太田さん、太田さん!  死んじゃ駄目だ!  太田さん!!  うっ」


 脚、胴体、首にロープが掛けられ、すっかり柱に固定されてしまった。喉が圧迫されて呼吸が苦しい。助けを求める掠れ声が誰かに届くことはなく、底冷えするガレージにハンターだけが残された。ロビーに漂う物々しさは、一仕事終えて戻ってきたばかりの自警団に纏わりついた殺気の残滓のせいでもあった。


「外は殺人鬼がうろついてるんですよ。ここまで無事に辿り着いたのは不幸中の幸いでしたね」


 後藤の人質として花桐まで連れて来られていた高橋に労いの言葉がかけられた。暖かい室内でやっとまともな扱いを受け、ほっと一息ついていたところに現れたのが昢覧たちだった。彼らが地下で説教した三人だと気付いた高橋は冷や汗をだらだらと流した。秘密を知った彼らをなぜあのとき帰してしまったのか。


「なあみんな、例の殺人鬼だけど、拷問が得意な医者なんだって」


 若者の一人が声高に言う。後藤も高橋がマッドドクターだと主張したが誰も信じようとしなかった。自分を殺人鬼に仕立て上げるつもりのようだが、どうせこいつらが何を言ったってここの連中は聞きやしない、という高橋の予想を裏切り、全員が昢覧の言葉に耳を傾け殺人医師への憎悪を滾らせている。


「高橋先生も医者だよね。何か心当たりない?」


 ロビーを離れようとそっと立ち上がったところで、高橋は注目の的となってしまった。


「そんなものはない。それより殴られたところの手当てをしたい」


 顔を腫らしていたのが幸いした。一人で医務室に来ることに成功した高橋は内線の受話器を手に取った。自分の身に起きたことと、件の殺人鬼のことを先生に伝えなくてはならない。しかし何度かけても施術棟への内線に応答はなかった。

 高橋は痛み止めを探して棚を漁った。ここに来て頭痛と吐き気まで併発している。ベッドに横になりたいが、今は休んでいる場合ではない。地下の秘密を知る三人の若者は自分を陥れようとしている。かつて取り返しのつかない医療事故を起こしている高橋は悪意を向けられる心当たりがあった。なぜかあの若者たちの言葉を素直に聞き入れる自警団が、その矛先を向けてくる前に花桐を脱出することにした。







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