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メイクアップ

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「いや、あの……大丈夫、大丈夫だから……!」

 羚衣優が落ち込んでいる時に茉莉がいつもそうしているように、私は声をかけるけれど、やっぱり羚衣優には茉莉の声じゃないと届かないらしい。その場にしゃがみこんで手で顔を覆い、嗚咽を漏らす羚衣優はそれはそれで儚げで絵になるといえばなる。

「……まっちゃん、どうして? わたしが嫌いになったの……?」
「単に仕事が忙しいだけだよ!」
「わたし、まっちゃんがいないとなにも出来ないのに……」
「そ、そんなことない! タマがいるし!」

 正直なんの自信もないし、何ができるかと言われるとほとんど何もしてあげられないけれど、それでもそう言わざるを得なかった。羚衣優に自信をつけてあげたいって茉莉に頼まれたし。

「羚衣優は、出ればきっと優勝できる! だから信じて?」
「ほんと……?」

 顔を上げた羚衣優はまっすぐに私の目を見つめて問いかけてきた。そういう訊かれ方をすると答えづらくなる。でも、ここは精一杯自分を騙す場面だと思った。なによりも、目の前で泣いている人を放ってはおけない。

「うん、だからやろう? 茉莉ちゃんも、羚衣優に優勝してほしいって」
「……頑張る」

 羚衣優は前向きになってくれたようだ。
 すると、心羽先輩が感心したように呟いた。

「ふーん、なかなかどうして、スイッチが入ると玲希は自信が持てるようになるんだね」
「なっ……!」
「新しい知見を得たわ」
「もうっ!」

 心羽先輩にからかわれて顔が熱くなる。やっぱり私には他人を励ますのなんて百年早かったのかもしれない。と、その時ふと重要なことに気づいた。

「あれ羚衣優の衣装は……?」
「会長さんたちが持ってるって」
「ダメじゃんそれ……」

 終わった。詰んだ。メイクやヘアアレンジは最悪アドリブでなんとかするにしても、衣装だけはどうにもならない。私が絶望して天を仰ぐと、釣られて羚衣優もまた泣き出しそうになる。だめだ、結局ダメダメなんだ……。
 全てを諦めようとしたその時だった。

 ガチャンと音を立てて生徒会室のドアが開いた。そこには、右手に紙袋を持って肩で息をしている頼れる後輩の姿があった。

「優芽花ちゃん!?」
「──うっす、間に合ったみたいっすね」
「でもどうして……」
「衣装係のゆめちんだけはどうしても行かなきゃいけないからって、さきりん先輩が気を利かせてくれたんす」
「沙樹が……?」

 どうして沙樹は数いる生徒会メンバーの中から優芽花を寄越したのだろうか。例えば杏咲を茉莉の教室に行かせて、代わりに茉莉を寄越すなんてこともできたはずなのに。
 でもその理由はすぐに分かった。

「衣装と、メイク道具、あと必要なものは全部持ってきたので、ちゃちゃっとおめかしやっちゃうっすよ!」
「やけに準備いいね……」

 紙袋から出した小物をテーブルの上に並べ始める優芽花に感心する。そういえば、この後輩は中学生徒会一オシャレなモテ後輩だった。口調はちょっと横柄な印象を与えるけれど、黙っていれば普通に可愛い。羚衣優とかに比べると素材はそこまででもないが、服装もメイクも髪型も、顔立ちにバッチリハマっていて、いつも雑誌の読者モデルのようだった。

「元々メイクはゆめちんが担当する予定だったんすよ。れいれい先輩のお顔をいじくるなんて恐れ多いっすけど」
「……じゃあわたしは髪をやればいいのね?」
「おっ、この方がウワサのタマちゃん先輩のカノジョさんっすか?」
「ばっ……!」

 口を挟んだ心羽先輩に、優芽花はサラッと爆弾発言をしたので私は再び固まってしまった。どうしてみんな勘違いするの!? しかもウワサの……ウワサのってなに?

「あー、こっちでは有名な話っすよ。タマちゃん先輩が高校生の美人先輩連れ回して文化祭回ってるって」
「なんで……!」

 生徒会の人たちに気づかれないように気を配っていたというのに……! どこで見られたのだろうか?

「生徒会の情報網をナメてもらっては困るっすよ? この学園内の情報は色んなところから入ってくるっすから」
「そう、かもしれないけど……!」

 大方、絢愛が気になりだしたことに対して沙樹が動いて網を張っていたに違いない。改めて彼女の人脈と情報網には恐れ入る。これではプライバシーもクソもない。

「じゃあタマがウソついたのも絢愛に──」
「とっくにバレてるっすね。後で呼び出しがあるかもしれないっすよ」
「まっ……」

 精神的ショックを受けた私は力なくテーブルに突っ伏した。テーブルはひんやりとしていてちょっと気持ちがよかった。そんな私にはお構いなしに、優芽花は「じゃあれいれい先輩、お着替えしましょうねー」などと言いながら恐らく服を着替えさせているのだろう。衣擦れの音がする。羚衣優からしてみたら、茉莉以外の人に服を脱がされるなんて──いや、やめておこうこれは。

「おーピッタリ! 測ってないのにサイズが分かってるなんて、さすがづきちゃんっすね!」
「うん、確かにづきちゃんなら羚衣優の全てを把握してそう……」

 顔を上げた私の前に美少女がいた。ゴスロリというのだろうか、黒くてフリフリとした服に身を包んだ羚衣優は、その金髪やお人形さんのような整った顔も相まって、まるで絵本の世界から飛び出してきたかのような、もはや神々しさすら感じる造形美。

「え……やば」

 あまりの美しさに私は語彙力を失ってIQが2のサボテンになった。元々美人が着飾るとこんな風になるのか。まさに鬼に金棒である。

「玲希がバカみたいな顔で見惚れてるから大成功じゃない?」
「よかったっす! 衣装選びもカンペキっすね。じゃあ早速メイクを」
「わたしは髪を」

 優芽花は羚衣優の前に回ってメイクを始め、羚衣優の後ろでその髪を手に取った心羽先輩は、慣れた手つきでそれを結わえていく。いや、手慣れ過ぎている。毎日誰かの髪でも結っているのだろうか。もしかして……絆先輩とか? 心羽先輩自身毎日のように髪型が変わるし、ヘアメイク自体が趣味で大好きなのかもしれない。

「ツインテールでいい?」
「はい」
「ちょっと変わったツインテールにしよっかな」

 茉莉にしか髪を触らせないと思っていた羚衣優も、あまりにも心羽先輩の手つきがプロっぽいからか、されるがままになっている。優芽花も優芽花で、やたらと手際よくメイクをするので、まるで羚衣優は女優さんのようでもあった。
 しばらく私は3人に見惚れていた。本当に、私なんかが入る隙がなかった。
 どれほど経っただろうか。あぁ、やっぱり私はダメダメだぁ……とネガティブになっていると、おもむろに心羽先輩が声を上げた。

「でーきたっと……」
「おぉっ……」

 心羽先輩によってヘアアレンジされた羚衣優は、その見事な金髪を編み込みハーフアップに仕上げられ、残りを左右に垂らすというなかなかゴージャスなツインテール姿に変身していた。ハーフアップのおかげで羚衣優の眩いおでこがこれでもかと開帳され、いつもとはまた違った雰囲気だ。

「こっちも完成っす!」
「おぉぉ……」

 優芽花のメイクも、てっきり羚衣優の危なっかしい可愛さを引き立てる地雷系メイクかと思いきや、上品さを引き出すちょっとオトナなメイクだった。中学生のくせに一人前にアイシャドウなんて入れちゃったりしているわけだから、余計高嶺の花感が高まっている。

「ちょ……あんまり見ないで……」

「恥ずかしそうにしてるれいれい先輩も非常にグッドっすよ」
「ミスコンって大勢の前に立つんでしょう? こんなので緊張してて大丈夫なの?」
「でも、すごく可愛いよ羚衣優……」
「あ、ありがとう……?」

 私たち三人は心ゆくまで羚衣優を鑑賞し、彼女を散々赤面させたのだった。
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