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一章〜盤外から見下ろす者、盤上から見上げる者〜

4話「見えない見つからない見えていない」

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「ううぅ⋯⋯痛い⋯⋯痛いよお⋯⋯」

 ゼーレは少し赤くなった両頬を上下左右にこねるように摩りながら痛みを和らげようとしていた。しかし、それでも一向に治らない痛み⋯⋯余程のことがあったのだろう。

「痛い⋯⋯痛い痛いよお⋯⋯どうしてくれるのお兄ちゃんっ!」

「どうもしねえわ!」

 念仏のように聞かされる『痛い』と言う言葉に遂にレイジの限界値に達した。

 そんな二人がいるのはダンジョンの最奥地、髑髏の水晶が安置されている場所だ。今となっては髑髏の水晶も疲れてしまったのかホログラムを投影しておらず、静かに光を乱反射させながら居座っている。

「それで、何でゼーレをここに呼んだの? あと痛い」

「いや、お前言ってただろ? 新しい機能がどうとかって」

「あれ? まだ見てなかったの? あと痛い」

「⋯⋯見るも何もどうやればいいか分からんから無理だろ。そもそも、この水晶が【ルール説明】を見せてきたのですら驚いたわ」

「それはゼーレも驚いたよ。何だったんだろね。あと痛い」

「⋯⋯そう言うわけだからその新らしい機能とやらを見たいんだが⋯⋯」

「は~い! あと痛い」

 そう言いながら頬を揉んでいた両手を上げゼーレは元気に返事をすると水晶に向かい——

「ていっ!」

 目潰しをかました。

 否、水晶には眼球が空洞になっているため潰せる目はないのだが⋯⋯ゼーレは両手の人差し指を左右の空洞に突き刺した。

「ちょっ! おまっ、何やってんだよ!」

「え? どうしたのお兄ちゃん? あと痛い」

「どうしたの? じゃねえよ! 何してんの?!」

「だってこれが起動方法なんだもん」

「そんな訳——」

 あるはずがないだろ、そう言おうとしたレイジの言葉を遮りように水晶は突然光った。
 水晶全体に行き届く光。周囲を照らす程の光量ではないが明らかに動いている、起動し始めていることが分かる。

「嘘ぉ?!」

 そしてレイジの驚きの声を無視し続け光り続ける水晶。次第に光が邪魔にならない程度まで抑えられて行き一つの画面の様なホログラムを投影した。
 そして投影されたホログラムには——


『準備中です。しばらくお待ちください』


 の文字が映し出された。更に、文字の横にはロード中を示す様な青い輪っかがグルグルと回っており、画面の左下にはアメリカの三大企業とまで言われる某企業のロゴまで入っている。
 そう、これはまさしく——

「パソコンじゃねえか!?」

 現代に生きる人々にとっては欠かすことのできない、ライフワークにすら数えられるだろう代物——インターネットだった。

「どう? すごくない? すごくない? すごいでしょ!」

「あ、ああ。確かにすごいな⋯⋯」

 あまりの興奮でドヤ顔で自慢するゼーレ。何が彼女の心をここまで震撼させるのかは分からないがレイジは素直に思った——何でここまで技術はあるのに起動方法が目潰しなんだよ!? と。

「な、なあゼーレ⋯⋯」

「見て見てお兄ちゃん! これWindo◯s10まで入ってるよ! しかも容量が⋯⋯10TBだって! すごっ!」

 レイジの中で疑問に疑問が重なって行く。
 水晶の大きさは手の平よりも一回りほど大きい砲丸投げで使うボールくらいの大きさだ。当然、片手で持って歩く事もできるし、りんごを片手で潰せる人なら潰せるかもしれない。だから思ってしまう——

 ——その体積で容量はおかしく無い? 何でソフトは現実味あるのに容量は非現実的なんだよ!? と。

「だからゼ⋯⋯」

「見て見てお兄ちゃん! これダンジョンの中なのにwifiの電波が良好だって! これならネトゲもし放題じゃん!」

 今まで『暗黒』、『餓鬼道』、『墓場』といくつかの階層があり、当然深くまで存在するであろうにも関わらずwifiが繋がっている時点でおかしい。更に、良好にまでなっていれば尚おかしい。

 一体、ゼーレはどこで機器類やネットの知識をつけたのか、はたまた既に知っていたのかレイジには分からなかった。しかも、ネット環境が完備されて真っ先に考えることがオンラインゲームである事もレイジには分からなかった。

「ちょ、ちょっ⋯⋯」

「見て見てお兄ちゃん! ここに——」

「人の話を聞けっ!」

「ぴゃいっ!?」

「この際、お前の知識については目を瞑ろう。百歩譲ってこの水晶が実はオーバーテクノロー的なものと言うのも認めよう」

「う、うん⋯⋯」

「こんな水晶ができるんだからダンジョンみたいな地下でネット環境が出来上がってるのも⋯⋯仕方ないが気にしない様にしよう。だがな⋯⋯」

「⋯⋯ごくり」

 レイジの溜めにゼーレは乾いた喉を潤すために生唾を飲む。
 ダンジョンや異世界の転移、そんな事を容易にしてしまう存在それが【外なる神】だ。レイジの中ではそう認識がされている。

 だから、現在⋯⋯と言うより、レイジが地球で生活をしていたときには無かったような物を作り出してしまうのは可能だろう。
 しかし、それでも納得し難い物がそこにあった。それは——





「何で起動方法が目潰しなんだよ!?」

「⋯⋯え?」

「普通そんな起動方法分かんないだろ! むしろ、よくゼーレは気がついたな」

「あ、うん。それはね——」

 レイジの怒りの矛先にキョトンとしたゼーレだったが我に返り今度は水晶の後頭部をペチペチと叩き始めた。
 まるで、映らないブラウン管のテレビを直す時の間違った方法の様に。そして叩き続ける事数回——

「あ、出た!」

 突然、水晶から別に画面が投影された。そして、そこにはこう記されていた。


 ーーーーーーーーー
 【マニュアル】

【両目】⋯⋯PCモードへの起動ボタンです。
【鼻穴】⋯⋯侵入者警告サイレンの設定ボタンです。
【両耳】⋯⋯侵入者映像の設定ボタンです。
【後頭部】⋯⋯お知らせの切り替えボタンです。
【額】⋯⋯DMP通販を使用できます。
【頭頂部】⋯⋯電球の起動ボタンんです。
【顎】⋯⋯実装されておりません。
 ーーーーーーーーー


「⋯⋯」

「あ、ちなみに転移が終わってから実装されたのは上の二つだよ」

「⋯⋯いつからだ?」

「え?」

「いつからこんな機能があったのを知っていた?」

「いつって⋯⋯最初から?」

 この瞬間、レイジの雰囲気が変わった。そして、それを敏感に察知したゼーレも臨戦態勢に入った。
 ゼーレの脳内にある機器を探知する警鐘が鳴っているのだ。今までに感じたことのない危機を。強く、激しく、けたたましく鳴っているのだ。

 逃げなければならない。しかし、ゼーレにはレイジを振り切れるほどの脚力は無い。よしんば、逃げ切れたとしてもその後が怖い。どうするか⋯⋯もはや選択肢は一つしかなかったがそれは最も恐ろしい選択だ。

 宣告する者と宣告を受ける者。
 両者の戦いが水面下で行われているこの瞬間——

「貴方様、ダンジョン内の調査が終わったので報告に来ました」

 救世主であり——

「ナイスタイミングだ! パンドラちゃん! 君を——!」

「え?」

 パンドラの登場に注意を削がれたレイジの脇を潜りゼーレは水晶を奪取した。そして、そのまま逃走に入るが——


「パンドラ! ゼーレを捕まえろ!」

「はい」

「ぷぎゃっ!」

 あっさり捕まった。それはもうすんなりと。猫が子を運ぶ様に首根っこを掴まれプラーンと宙吊りになるゼーレ。
 救世主だと信じていた救世主パンドラは救世主ではなく救済者だったのだ。迷える魂を先導する厄災だったのだ。

「ぱ、パンドラちゃん放して!」

「え? えっと⋯⋯」

「パンドラ、絶対に放すな」

「はい」

「パンドラちゃん!? う、裏切ったな!」

「う、裏切ってなんかありませんわ!」

 空中を漂うながらも口論するゼーレ。しかし、彼女への宣告は刻一刻と近づいていた。

「⋯⋯さて、覚悟はいいな?」

 依然として宙吊りから解放されないゼーレ。俯きガタガタとお腹からの震えが止まらない。伝播する震えは大切に抱えられた水晶をカタカタと音を鳴らす。

 そんなゼーレを下から覗く様に見上げるレイジ。顔に出ている表情は笑っているがゼーレは騙されなかった。
 能面に三日月の形をした口と目を貼り付けただけのその表情は偽物だ。目の奥、深淵をのぞかせる様な昏い黒色は語っているのだ——いらっしゃい。逃げることのできない暗闇の中へ、と。

「ぴっ!」

 ゼーレの口から恐怖の声が漏れる。隠しきれない寒気が背中を摩る。底知れない暗闇が視界を覆う。感じられない不安が足場を無くす。

「覚悟は⋯⋯できたみたいだな」

「ぴ、ぴゃああああああああああああああああああああああああああアァッ!」

 ゼーレは後悔した。
 あの時、逃げることを考えなければよかった。
 あの時、他者を犠牲にしなければよかった。
 あの時、素直に謝っていれば良かった。
 でも、一言言わせてもらえるなら⋯⋯聞かれなかったんだもん、そう言いたい。

 この日を境に数日の間ゼーレを見た者はいなかったそうだ。

 ◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾

 ダンジョンの最奥地。静まった空間の中でレイジは水晶に向かって作業をしていた。

「⋯⋯」

 ひたすら動かす目と指。完備されたネット環境を使いレイジは新たな情報を手に入れようとした。
 一つでも多く、一つでも確実に。レイジの居なかった一年の間に起きた情報を調べ続けた。

「『生徒失踪事件』⋯⋯現在も行方不明となった四人の生徒は発見されておらず、か」

 真っ先に発見したのはレイジ達が異世界へ連れていかれた次の日に書かれ、半年後に更新された記事だった。行方不明になった生徒、場所、日時は間違いなくレイジ達の事だった。
 一種の怪奇現象の様な者と処理され、捜索は半ば打ち切られた状態だが市民団体やボランティアなどで情報を募っている様だ。

「次は⋯⋯は? 新原子だと!?」

 開かれた記事には新たな原子が見つかる!? と言う見出しが大きく貼られていた。
 この原子が見つかる原因となったのは感染症の大災害が起きてからだった。

 突如現れ、世界を震撼させるほどの衝撃を出した感染症。感染者約三十六億人、内死者十八億人と言う人類史上例を見ない大災害を起こした。

 この原子が正確にどこから現れたのかは依然としてわかっていないが、予測はされた。現在は大気中の約三十%を占めている。この数字は大気中に存在する酸素の量より十%程多い。
 にも関わらず、感染症以外の影響を及ぼさないのはこの原子の特異な性質⋯⋯想像をはるかに超える性質によるものだった。

 結合に大きく関係している電子数が変化するのだ。大気中で新原子同士が電子を受け渡ししながら、大気中の多くを占めている窒素や、人類の呼吸に必須となる酸素と結合するのだ。更に、結合した対象と同じ性質を持つと言う特異性質も持っていたのだ。

 では、なぜ感染症が起きたのか。それは新原子同士が一分子として結合した時全くの異物に変わったためだった。

 人間がその分子を体内に摂取すると新たな臓器が成長することが分かった。それは右胸付近、丁度心臓と対象の位置に作られる。その臓器は一時的にその分子を作り、溜め込むことができる。しかし、人によって個人差があり全く成長しないケースもいれば心臓同程度まで大きくなったケースも数人確認された。

 ここで注目されたのは全く成長しない人と、僅かにでも成長した人だった。
 驚くことに、全く成長しなかったのは世界人口の約五十%である三十六億人程だった。そして、全員が感染症にかからなかったのだ。
 逆に、僅かにでも成長してしまった人は例外なく全員が感染症にかかり、死亡してしまうケースも存在した。

 また、死亡数が多い場所と少ない場所もあり、多い場所は世界中で十箇所あり、その地点を起点として原子が流出していると予測されている。

 そして、研究の結果その分子を体内から取り除く方法がわかった。

 一つは吸引する。不思議なことにこの分子は新臓器に入りきらなかった分を体全体へと血液を使い流動させていたのだ。そのため、血液を抜き取れば分子をある程度抜くことができ、どれだけ新臓機が小さい人でも三日に一度行えば危険度は無くなった。

 そして二つ目は放出する。研究の途中でこの分子は不思議な現象を起こすことが分かった。火を作り、水を生み出し、風を巻き起こす。そう、まるで魔法の様だった。その為、それらを発動させれば分子は体外へ排出され、吸引しなくても危険性が無くなったのだ。

 そして、これらの研究成果から研究者および世界各国はこの原子の名前を『原子番号零番、原子記号M』と名付けた。零番なのは電子配置が安定しないから。原子番号は magic のMを取ったそうだ。


 記事を読み終えたレイジは驚きと同時に嫌な感覚に全身が包まれた。

「⋯⋯魔法⋯⋯十箇所⋯⋯【ダンジョンマスター】は九人そして⋯⋯【魔王】が一人⋯⋯合計で十⋯⋯」

 魅入るように次々と記事を読み進めていくレイジ。そして、次々と入り込んでくる新事実が頭を金槌で殴ったように揺らしてくる。

 世界各国で新原子Mが起こす現象を通称『魔法』と呼び、その法律整備が敷かれること。

 世界各地で突然見られるようになった未知の生物。それは、アニメやゲームで現れるゴブリンやスライムに似た物であったり、筋骨隆々の牛面や馬面の生物だったりと。それら種類は様々であるが、共通しているのはことだった。

 世界各国で緊急で未知の生物、通称『魔物』と呼び、それらを駆除する方法を模索した。銃器は効かない事は無かったが、それよりも魔法を使った方が効率的だと知った各国は新たに『WCEO』と言う世界機関を作り、世界共通団体『ギルド』を創設した。

 また、ギルドに所属する者は『冒険者』と呼ばれ軍とは別に存在することになった。
 日本では冒険者を新たな職業として取り入れ、専門とする学校まで開設された。

「⋯⋯魔法に続き魔物、ギルドに冒険者か⋯⋯まさにファンタジーだな」

 レイジは先日まで過ごした世界を思い浮かべた。楽しかったこと、驚いたこと、辛かったこと、悲しかったこと。
 いくつもの思いを浮かべながらその情景を脳裏に映し出すが——

「⋯⋯あれ?」

 ——疑問が湧いてしまった。
 楽しかったのに楽しめない。驚いたけど怒りたくなる。辛かったけど気にならない。悲しかったけど涙が溢れない。

 冗談のつもりが限界に達していて、怒りの気持ちが憎悪を作り出していて、いつのまにか制御が効かなくなっていて⋯⋯
 堂々巡りを頭の中で繰り返す。気がついたけど答えが出ない。しかし、答えが出ないと思うと気がついたことが分からなくなっている。

「⋯⋯ま、いいか」

 何周もしているうちに何が何だかわからなくなったレイジは最後となる今日の記事を開いた。そこには——

「⋯⋯これが⋯⋯そうか⋯⋯」

 思い返される一年前。すっかりと忘れていた内容だった⋯⋯と言うよりも、覚えているほどの余裕がなかった方が正しい表現かもしれない。


『大陸の大移動!?』
 世界十箇所を震源とする大規模な地震が発生。津波や突発的な台風、竜巻の影響により世界に存在するすべての大陸が移動した。

 結果、国家間の距離を大きく縮める事により、衝突などが起きたことは無かった。更に、この自然災害でいくつかの交通機関が停止し、負傷者が数多いが死亡者は依然として見つかっていない。

 そして、それと同時に震源となった十箇所には新たな陸地が出来上がっていた、と記事にはそう記されていた。
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