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二章〜世界文明の飛躍〜

30話「羅列する恐怖の感情」

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 ——木、黒、木、黒、木、黒。
 周囲を見渡して映る物は統制されたかの様な二つの単色。
 それは御伽噺に出てきそうな程に鬱蒼とし、不安を仰ぎ立て、恐怖を誘発させる。


「こんなの⋯⋯どうすればいいのよ⋯⋯」


 両手に握られていた拳銃型の魔道具を落とし、圧巻の存在力を見せる漆黒の樹海に真里亞の気持ちは折れかけている。


「ぃやぁ⋯⋯誰か⋯⋯助けて⋯⋯」


 へたり込んでしまった幸は髪を搔きむしらんばかりに両手で頭を抱えこんでしまっている。こちらもまた同様に気持ちが折れかけており、今にも泣き出してしまいそうだ。


「⋯⋯」


 そんな二人を見て美香はどうするべきかを考える。
 そんな中で美香は腰に付けているポーチと死んでしまった女子生徒の傍に落ちている物に気がつく。


「⋯⋯行こう」
「⋯⋯は?」
「⋯⋯ぇ?」


 美香は死んでしまった二人の近くに落ちている機関銃型の魔道具を拾い上げ片方を真里亞に、もう片方を幸に手渡した。


「行くって⋯⋯どこによ」
「⋯⋯決まってるでしょ。香の元よ」
「はぁ!? まさかアンタはこの森の中に突っ込んで行こうって考えてるの!?」
「⋯⋯うん」


 真里亞の恐喝にも似た大きな声に美香は一瞬体を萎縮させてしまうが、震える両膝を抑え気丈に振る舞った。


「香がああなってしまちゃのは私の⋯⋯私達の責任よ」
「で、でも⋯⋯」
「この森が真っ黒なのは多分⋯⋯私達への憎悪じゃないかな? 少なくても私はそう思う」
「⋯⋯」
「別に強制はしない。これは私がしたいことだから。真里亞⋯⋯さんはしたい様にすれば良いと思う。例えそれが⋯⋯その持っている魔道具で私を殺すことでも」
「——ッ! アンタそれって⋯⋯」


 目を見開いた真里亞の問いかけは反応を見せる前に体の向きを変えてしまった美香には届かなかった。
 そして美香は真里亞から離れ、今もなお不安そうな眼差しを向けている幸に向かい、視線を合わせる様に腰を落とした。


「⋯⋯ねえ幸、幸はどうする?」
「⋯⋯どうする⋯⋯って?」
「私はこれから香のところに行こうと思ってるの。幸も⋯⋯来る?」
「⋯⋯わ、私は⋯⋯」
「ううん、別に無理にじゃないよ? 幸だって死にたくないでしょ? それが普通だよ。私はちょっと⋯⋯もしかしたら異常かな?」


 沈んだ雰囲気を無理にでも晴らそうと美香はぎこちない笑みを浮かべる。
 しかし、その震えている手がどうしても、どうしても抑えられず不安が、恐怖が隠しきれない。


「⋯⋯」


 そんな美香の姿を見た幸は美香と真里亞を交互に見た。
 ここに残ることが怖いか、美香とともに行くことが怖いか。
 どちらの恐怖も天秤にかければ強く、重く、秤がギシギシと悲鳴を上げていた。そして——、


「⋯⋯いく。わ、私も⋯⋯連れてって」
「うん、わかった。一緒に⋯⋯逝こ?」


 幸は重い重い足を美香の手に支えられながら動かし、立ち上がった。
 生まれたての子鹿の様に震える足はその止まり方を知らない。
 黒き森を見渡した美香と幸はまるで招き入れているかの様に出来上がっている草木が退いた道を前にした。


「⋯⋯じゃあ幸、何か居たら直ぐにそれ魔道具で撃ってね?」
「う、うん」


 そう一言を交わした二人は静かに森の中へ足を踏み入れ、闇の中へ消えていった。


「⋯⋯」


 取り残された真里亞はじっと自分の足元を見ていた。正確には何かを見ているわけではないが自然と視線が下に行っているだけだ。


「⋯⋯んだよ⋯⋯何なんだよ」


 真里亞の中では美香の行動は不思議そのものだった。
 香が死んだのは⋯⋯実際には死んでいないけど、それは誰かのせいだったのか?
 自分もまた美香達同様に同罪なのか?
 だからここにいるのか?
 自分もまた罰を受けなければならないのか?


「⋯⋯違う、そんなんじゃない」


 香が【ダンジョンマスター】になったのはあの“声”のせいだ。
 人殺しなんかじゃない。これは運命なんかじゃない。


「⋯⋯あ、アタシは⋯⋯悪くねえ。本当に悪いのは⋯⋯あの“声”さえ居なければこんな事にはならなかったんだ」


 自分自身の正当化によって生まれる他者への責任転嫁。
 それは傲慢で、残酷だが酷いと思えるほどに人間らしい。
 白かったものに色を着け、色を着けたものに色を重ねて、重ねた色で見えなくなって、いつのまにか黒に変わる。


「そうだよ⋯⋯私は悪くない」


 生きることを諦めたものには見ることのできないものが真里亞の瞳に映っていた。だから——、


「アタシは⋯⋯アタシのやりたいことは⋯⋯アイツを⋯⋯【ダンジョンマスター】を殺して生き残ることだ」


 真里亞は体の向きを変えた。そして、美香達を追う様に闇の中にへ全てを沈めていった。

 ◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾

 ——夜の帳とは違う暗さの中で、


「⋯⋯幸、何か⋯⋯いた?」


 ——夢の中とは違う感覚の中で、


「う、ううん、何も⋯⋯居ないね」

 ——見たことも感じたこともない世界で二人は彷徨っていた。

 出入り口前では感じられなかった風の動きが草木を揺らし小さな音を立てる。それは決して鳥のさえずりの様穏やかなものではない。
 見えないわけでは無いが、見えるわけでも無い周囲の暗さの中で不安になる一歩。微かに見える天にまで届かんばかりに伸びている大樹を頼りに進み入る。


「⋯⋯分かれ道だね」
「⋯⋯うん」


 入って間もないが出くわした初めての分かれ道。右か左か。どちらも同じに見えて、どちらも信じられない。


「⋯⋯」


 美香はふと顔を上げ目印がわりにしている大樹を見た。そして——、


「⋯⋯右、かな」


 右か左か、どちらかと言ったら大樹に続いていそうな方が右だと感じ美香は右を選んだ。幸も反対する事なく右を選び深くに潜っていく。


「⋯⋯これだけ進んでも何も居ないなんて⋯⋯」
「どうして⋯⋯何だろうね」


 疑問しか浮かばない二人。どこか平和的な考えを頭によぎらせてしまうが——、


「——ッ!?」
「え? ど、どうしたの?」
「⋯⋯今、何か居た様な⋯⋯」


 二人は知らないのだ。ここダンジョンがどういう場所なのかを。
 一度も戦ったことのない二人はどんな魔物がどんな脅威を持っているのかを知らない。


「——ッ! やっぱり!」
「え? きゃっ!?」


 咄嗟に幸の手を引きその場から飛ぶ美香。
 そして、その一瞬後には幸が立っていた場所には数本の木の枝が突き刺さっていた。当然その枝の先は——、


「ま、まさか⋯⋯ここにある木全部が⋯⋯?」


 今まさに通り過ぎようとしていた漆黒の木から伸びており、まるで生命の鼓動の様にその肌を脈動させている。


「クッ!」


 立ち退いたのも束の間、近くに立っている別の木がその体をしならせ、鋭く伸びた枝を美香達に向けた。


「走るよ!」
「う、うん!」


 握っていた手を引きながら叫ぶ美香。その声と力に引き寄せられながら必死に幸も足を動かす。


「これが⋯⋯これが香の怒りなの⋯⋯?」


 一拍遅れて美香達の背後に突き立てられる漆黒の槍。地面をわずかに抉るその威力は仮に掠っただけでも深手を負うのは間違いないだろう。


「はぁ、はぁ⋯⋯あっ!」
「さ、幸!」


 一瞬でも遅れれば死。そんなプレッシャーに体を取られた幸が肌を見せていた小さな岩につまづいてしまう。


「こ、このっ!」


 倒れかける幸に容赦なく伸びる枝を回避しようと美香は反射的に進行方向と逆に飛ぶことで幸と共にその脅威から逃れた。しかし——、


「⋯⋯ごめん美香」
「いいよ⋯⋯仕方ないよ」


 改めて大樹に向かって走ろうとするが既に道には何本もの枝が突き刺さっておりさながら鉄格子の様に邪魔をする。かと言って戻ろうにも既に手遅れだった。


「これは⋯⋯お伽話とかで出てくるトレント⋯⋯かな?」


 背後に立っていたのは根を足の様に扱い、畝らせることで移動する黒い樹木。
 胴体には怒っているかの様な半月の目、ギザギザの口が模様の様に描かれている。
 美香は物語やゲームで登場する木のキャラクターを思い浮かべながら硬い笑みを浮かべる。


「ゴアアァ⋯⋯」
「アアァァ⋯⋯」
「ウゴアァ⋯⋯」


 無限に湧き出るかの様に次々と姿を表す真っ黒なトレント。
 其れ等から腹の底から出てきた様な低い声が発せられる。それは怒っている様にも憎んでいる様にも取れる。


「⋯⋯仲良く話し合いで解決って言うわけには——」
「ゴアァ!」


 問答無用で自らの手を振り下ろすトレント達。それだけで自身の枝を鞭の様にしならせ美香達を襲う。


「幸!」
「きゃっ!」


 幸を突き飛ばす様に弾き、その反動でその場から離れる美香。
 凡そ、鉄で地面を叩いた音よりも遥かに大きな音を鳴らしながら撃ち込まれたトレントの一撃。
 地面は僅かに陥没し、これもまた一撃でも喰らえば深手を負うのは目に見えてた。


「幸! 魔道具を使って!」
「う、うん!」


 流石に命の危険に対面した二人は手榴弾と機関銃を構える。
 そして、武器を構えたことでトレント達もまたそれを阻止しようと行動に移す。


「ひ、ひゃっ!」


 実際のところ戦闘経験があまりない幸はトレントが急接近してくることに驚き、その拍子で構えた機関銃の引き金を引いてしまった。すると——、


「きゃあっ!?」
「なっ!?」
「ゴアァッ!?」


 銃口から放たれた数発の弾丸が数メートル先まで迫っていたトレントに偶然にも被弾する。
 被弾と同時に発生した大きな炸裂音と爆撃。たった一瞬のうちに消えてしまう花火の様な爆発だったが代わりに大量の土煙を残していった。


「さ、幸!」


 爆風で若干吹き飛ばされた美香は晴れない土煙の中で幸の名前を呼ぶ。しかし、幸運なことに幸の姿はすぐに見つかった。


「幸! 大丈夫!?」


 幸は立っていた位置から大きく離れた場所で座り込んでいた。全身は土まみれで恐らく銃の反動と爆風で何回か転がったのだろうと美香は考えた。


「な、なによ⋯⋯これ⋯⋯」


 幸は手に持つ魔道具に目を奪われていた。実際に使われたのを出入り口前で見ていたが大きな爆発を生み出す程度にしか考えていなかった。
 しかし、蓋を開けてみればほら——


「⋯⋯うそ」


 沢山としか形容できなかったトレント達はその姿を跡形も無く消していた。そこにはただ大きく抉れた地面と飛び散った土の塊が周囲に飛散しているだけだった。


「なに⋯⋯なんなの⋯⋯これ⋯⋯?」


 再び恐慌状態に戻る幸。手に持っている魔道具は幸の震えに同調する様に小さな音を立てる。
 美香もまたこれほどの威力を持っているとは考えても居なかったために手に持っていた手榴弾に少なくない恐怖を感じる。


「⋯⋯行くよ幸」


 美香は手榴弾を握っていない手を幸の手の甲に添える。多分自分も震えてるんだろうな、と思いながら幸の震えを取り除くために。


「⋯⋯うん」


 そんな美香の心遣いを感じ取ったか幸も震える手を抑えながら、美香の手を握りしめ立ち上がった。


「まだまだ先は長そうだけど⋯⋯頑張っていこっか」
「⋯⋯そうだね」


 笑えていない笑みを浮かべながら見合う二人。
 依然として遠くにそびえ立って見える大樹に目を向けながら二人は慎重に足を進めるのであった。
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