上 下
32 / 66
二章〜世界文明の飛躍〜

31話「悪戯少女の再臨」

しおりを挟む
 
 漆黒の樹海に入って十分程が経過していた。


「⋯⋯」
「⋯⋯」


 自然と口数が少なくなる美香と幸。
 視線を右へ左へ休みなく動かし、左右に並ぶ黒い木の表面を調べる。表情のような模様が有るか無いか。トレントかただの木か。
 本来そのような見分け方は危険である。しかし、今のこの二人のとってはそれ以外に方法が無く、そうでもしないと落ち着かないのだ。


「⋯⋯なんか、全然居ないね」
「⋯⋯そうね」


 魔道具で一回だけだが大量のトレントを退けたその後からは一度もトレントに遭遇していない。それどころか攻撃すら止んでおり静かな森の中が一層不気味さを増す。


「でも、一応近づいているのかな?」


 周囲の木々から視線を上げ高くそびえ立つ大樹に目を向ける。
 入った時よりも大きく感じるその大樹は近づいている証だろうと美香は思っている。


「⋯⋯やっぱり、香は怒ってる⋯⋯かな?」


 再び視線を戻し周囲の木々を調べながら足を動かす美香に幸は声をかけた。


「怒ってるんじゃ⋯⋯ないかな? むしろ殺してやる! って言われてもおかしくないね」
「そう⋯⋯だよね」


 予想していたその答えに幸の口は貝殻のように閉じてしまった。
 少しでもこの暗い雰囲気を取り除こうと話題を作ったつもりだったがそれが逆に雰囲気を重くしたのだと幸は後悔する。


「⋯⋯」
「あ、幸、あれ見て」
「⋯⋯ぇ?」


 気を落としていた幸は間抜けな声を漏らしながら美香が指す方へ顔を上げる。


「⋯⋯光?」


 視界に映ったのは一筋の光芒。この森の終わりを告げるかのように美香と幸を照らすその光。それはどこか妖しく、艶美に輝いていた。


「え? お、終わりなの? でも⋯⋯」


 その光を見て幸の口からは疑問の声が溢れる。なぜなら——


「⋯⋯大樹はあんなに遠くにあるよ?」


 そう、明らかに距離感が違うのだ。
 目の前で誘い込むように輝く光は素人が見ても大樹の根元には見えない。だからそこが終わりだと考えるにはあまりにも違和感を覚える。


「でも、進むしかない」
「そ、そうだね」


 しかし、美香の決意にも似た声に結局は同調しかできない幸だった。
 例え違和感を覚えようが危機感を感じようが今の二人に残された選択肢は進むのみ。彼女達に選択の権利はなかったんだ。


「うっ⋯⋯」
「⋯⋯っ」


 久しく照らされる光に目が焼かれ、口からは苦悶の声が溢れ、体が無条件に強張る。
 全身が欲するのだ。光を、望みを、赦しを。

 鼓動がうるさいと思えるほどに早まる。
 何を期待しているのか、何を求めているのか、何を予感しているのか。

 徐々に慣れてくる視界。
 そこに願いを込めて二人はゆっくりと目を開け映し出される光景を確認する。


「⋯⋯こ、ここは?」
「どこ⋯⋯ここ?」


 周囲を見回すように忙しく首を動かす二人。
 黒い木々は一本も無い。だが、その代わりに真っ赤な木が周囲を囲う。付けている葉も赤く、滴る液体もまた赤い。
 円形に開かれた広場の様なこの場所は所狭しと赤い花がその美しさを振りまき、幻想的だが同時に悪趣味さを感じる花畑となっている。そして——、


「⋯⋯なに⋯⋯あれ⋯⋯?」


 美香と幸は同じ物に目を向けていた。
 真っ赤な薔薇で出来上がった腰程まである一つの球体。表面には蔓が血管の様に浮き出ており今も絶え間無く鼓動している。まるで——


「⋯⋯」


 ——心臓の様にドックン⋯⋯ドックン⋯⋯とゆっくりと動いている。


「なんだろう⋯⋯変な感じ⋯⋯」


 一番に変化が起きたのは幸だった。
 怒りたくもないのに怒りがこみ上げる。前触れもなく波だった激情が瞬く間に荒波へ変えていく。


「⋯⋯幸?」
「⋯⋯でよ⋯⋯」
「え?」
「なに⋯⋯なんなのっ! 何がいけないって言うの!」
「ちょっ、幸! 落ち着いて!」
「うるさい!」
「うっ⋯⋯」

 突然叫び出す幸。不自然に込み上がった激怒はその制御を外れ落ち着かせようと近寄った美香を突き飛ばす。


「なにが⋯⋯一体何が起きてるの?」
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い——」


 目を虚ろにさせ念仏の様に怒りを、憎しみを言葉にする幸。
 髪を掻きむしり、頭を激しく振り、歯を強く噛み締める。半狂乱の姿は先ほどの怯えた少女の姿からは想像できないほどだ。


「なんで私がこんなに苦しい思いをしないといけないの! なんで私がこんな怖い思いをしないといけないの! なんで私がこんな死ぬ思いをしないといけないの! なんで何でナンデなんでなんでなんでなんでなんでなのおおおおおおおおおおぉぉっ!」
「ちょっ! やめて幸!」


 持っていた機関銃型の魔道具を周囲にばらまく幸。
 爆発が、轟音が、閃光が、土煙が、問答無用で赤い花畑を破壊する。


「ぐっ⋯⋯!」


 当たらない様に身を伏せていた美香にも同様に余波が襲う。吹き飛ばされた美香は二回ほど花の上をバウンドし数回転がりようやく止まる。


「いっ⋯⋯!」


 腕を強打してしまったか、はたまたもう折れてしまったのか美香は利き腕とは逆の左腕に痛みを覚える。


「幸、やめて⋯⋯もうやめてっ!」
「うわあああああああああああああああああああああああああああぁぁっっ!!」


 美香の叫び声も届くことなく幸は乱射をやめない。引き金を引き続け、周囲に爆撃をもたらす。
 爆風に煽られながら転がった先で、運よく隠れそうな岩陰を見つけた美香はそこへ避難する。


「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯一体、一体何が起きて——ッ!」


 美香が岩を背中にして思考を始めようとした瞬間、どちゃりと何かが弾け飛んだ嫌な音が耳を通る。


「さ、幸!?」

 岩陰から身を乗り出し、嫌な音に嫌な光景を連想させる。


「ああああああああああああああああぁぁああああああぁぁっっ!!」


 しかし、美香の予想とは違い幸は傷一つなく機関銃を打ち続けていた。


「ほっ⋯⋯よかった⋯⋯じゃ、じゃあ何のお——」


 幸の姿を見た美香は安堵の息を漏らすが次の瞬間には息を飲んだ。音の正体が分かったのだ。肉片を散らす様なあの嫌な音の正体を。


「ま、まさか⋯⋯!」


 視線の先を幸から中心にあった心臓の様な球体に向ける。


「なに⋯⋯あれ⋯⋯?」


 球体の中心部分が爆発で弾け飛び、周囲を花の赤色とは別の赤を彩っている。そして——、

「⋯⋯ひ、と?」

 球体の中からはのっそりと何か⋯⋯人型の何かが球体の壁を乗り越えてきているのだ。
 人型は周囲を見渡すと全身の凝りを治すかのように伸ばす。


「ふわあぁ~あ、なんかうるさいなぁ」


 人型の何かは寝起きのように手を口に添え、目をこすりながら大きな欠伸をすると全身を震わせへばり付いた赤い液体を振るい落とす。
 背丈が子供くらいで全身が赤い。
 髪のように伸びている蔓は引きずられるほどに長く、体はほぼ裸に近いが所々が体から生えた紅色の葉で隠されている。
 そんな少女とも形容できる植物の子供が楽しそうに顔を歪めていた。


「あ、あなた⋯⋯誰?」


 美香は岩陰から出てきた少女を声をかける。依然として半狂乱の幸が乱射を続けているためかなり大声を張ったお陰か、少女もまた美香の声が聞こえたらしく笑顔を浮かべながら振り向く。


「わたしー? わたしはね⋯⋯『ラウ』だよ!」
「ら、ラウ?」
「そう! お姉さん達に——」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええええええええええええぇぇっっ!!」


 人懐っこい笑みを浮かべながら自己紹介をするラウを標的に示したか幸は銃口をラウに向け、爆撃を放とうとするが——、


「ああっ! もう! ちょっと黙って!」
「もがっ!?」


 ラウが片腕を軽く上げただけで幸の足元から赤い蔓が伸びる。伸びた蔓は幸の足に絡みつき瞬く間に登り口を締め、引き金から指を外させた。


「ふー、やっと静かに——」
「もがっ! もがああああああっ!」


 手足を縛られ、口を封じられてもなお幸の暴走は止まらなかった。
 流石に限界が来たのかラウの眉間に小さなシワが刻まれ、上げた手を軽く握った。


「もう静かにしてっ!」


 ——ゴキリッ。
 凡そ普段の生活では聞くことのない何かが折れた音が頭の中を通り抜けた。
 嫌な音、嫌な予想、嫌な未来、嫌な現実。それらが無意識のうちに美香の脳裏に浮かび上がる。
 その音と同時に叫び狂っていた幸の声が止まり、腕を力無く落とす。


「い、今の⋯⋯何の音⋯⋯?」
「え? 何の音ってうるさいお姉さんに静かにしてもらっただけだよ?」
「静かにって⋯⋯殺したの⋯⋯?」
「やっだなぁー、殺してなんかないよ? 気絶してるだけだから安心して」


 殺していないと言うラウからの宣言。ただその言葉だけならば美香は安堵したのかもしれないが、


「だってほら⋯⋯楽しいゲームができなくなっちゃうでしょ?」


 目を、口を大きく歪ませて笑う少女の笑顔に美香は凍りついた。
 背中には冷たいものが伝い、体が思う通りに動かない。まるで、蛇に睨まれた蛙の気分だ。


「⋯⋯げ、ゲーム?」
「そうゲームだよ! わたし、楽しいことがだぁーい好きなんだ! でもね、ずぅーと寝てることになっちゃって楽しくなかったの」
「ずっと⋯⋯寝てた?」
「そうだよ、ずぅーと寝てたんだ。でもね、寝ててもマスターの気持ちは伝わってきたんだ」
「マスター⋯⋯? もしかして香のこと!?」
「そう、マスターのこと」


 マスターと言う存在を香だと断定するラウに美香はどう思われているかを知るために近づこうとする。


「香は⋯⋯香はやっぱり私達を——ッ!」


 しかし、近付こうとした美香の足元から一本の鋭い何かが伸びる。
 美香の髪を数本散らし初めてそれが研ぎ澄まされた植物の枝なのだと知る。


「それ以上は⋯⋯近づかないでね?」
「なに⋯⋯これ?」
「言ったよね? ゲームをするって。ゲームで勝てばマスターが何を思っているのかも、わたしが何なのかも教えてあげるよ? 勿論マスターの場所まで案内もしてあげる」
「⋯⋯」
「どうする? やる? やらない?」
「⋯⋯やる⋯⋯やるわ! 私を香の元へ連れて行って!」
「そうこなくっちゃ!」


 美香の答えを待ってたと言わんばかりにラウは笑顔を浮かべた。邪悪な笑みを。


「じゃあゲームのルールを説明しよっか。ゲームは三回。全部クリアできたらわたしの知ってることを全部教えてあげる」
「⋯⋯一回でも失敗したら?」
「あははっ! 一回でも失敗したら——死んでるよ」
「——ッ」
「だから一回も失敗しないでね?」


 年頃を言い表すなら小学生位だろう。そんな少女が顔を傾けながら無邪気な笑顔を浮かべているならばどれほど愛らしく感じただろう。
 だが、美香はラウの笑顔がどうしても無邪気にも愛らしくも感じられない。


「それじゃあ一回目! 一回目から失敗しても面白くないから簡単にするね! 二人でこの先の道を真っ直ぐ進んでわたしの所まで来る、だよ!」
「⋯⋯え? それだけ?」


 壮大に構えていただけあって内容があまりにも簡単すぎて美香の緊張が緩む。しかし、ラウの張り付いた笑みは崩れていない。


「そう、それだけ。もちろん、魔物は出るし、さっきみたいに簡単には倒せないからね?」
「⋯⋯わかったわ」
「それと⋯⋯そこのお姉さんは目覚めないからね?」
「⋯⋯は?」
「あ、勘違いしないでね? 眠ってるだけで一回目をクリアしたら起こしてあげるから」
「そ、そう⋯⋯ッ!」


 幸が死んだのかと一瞬勘違いした美香はほっと胸を下ろすが幸が今目が覚めないと言うことがどれだけマズイか理解した。


「じゃ、頑張ってねーっ!」
「あ、待っ——」


 引き止めようと走り出そうとするがそもそも距離が開いておりたどり着くはずもなく、ラウは植物の成長の逆再生のように地面の中へ消えて行った。


「⋯⋯二人で⋯⋯この森を?」


 美香は力弱く開かれた道を見る。
 薄暗い先は遠くまで見通すことができず、人一人を抱えて行かなくてはならないと考えると不安が溢れ出る。


「⋯⋯それでも、行かないと」


 美香は蔓から解放され、眠っている幸に近ずくとその肩を持ち上げ、魔道具を右手に持った。


「いっ⋯⋯何とか、なるかな」


 左腕の痛みが今になって痛む。意識を持っていかれそうなほどでは無いが一歩毎に走る痛みには慣れない。


「⋯⋯待っててね、香」


 美香は振り絞るように決意を出し暗い森の中へ身を投げた。
しおりを挟む

処理中です...