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第3章

第60話

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 41階層。
 緑を基調とした美しくも荘厳な建造物。まるでどこかの王城の中を散策しているかのように錯覚しそうな迷宮にエルは降り立った。
 といっても直ちに40階層に戻り守護者との闘いを続ける予定なので、この階層にはほとんど用はない。
 迷宮都市アドリウムに帰る時のことを考慮し、地上への帰還用の転移陣の傍にある暁の時空神クロスの像に血を垂らし登録を済ませると、さっさと40階層に戻るのだった。

 剣峰アンガナルバ、雲よりも高い遥かなる峰付近にある火口は、まだ昼だというのに気温も低く空気も薄い。肌寒く感じ呼吸も若干違和感を覚えるくらいだ。まあ、闘っているうちに温まるだろうと楽観視すると、エルは転移陣から距離をとった。
 すると転移陣から天を劈く大きな光が立ち昇り、エルなど歯牙にもかけないほどの巨大な影が浮かび上がってきた。
 真っ赤な髪に赤黒い肌、粗末な腰蓑しか身に付けていないが露わになっている肉体は筋肉の塊だ。人間の5倍近い巨大な体。腕は人の胴回りよりも遥かに太い。全身を鋼と見紛うばかりの鍛え抜かれた肉体に包まれ、長大な魔鉱製の棍を右手に持っている新たな守護者、炎の巨人ファイアジャイアントである。
 この巨人が40階層に現れる守護者の中で最も弱く、山頂まで到達する実力のある3つ星の冒険者なら、きちんと対策を取ってさえいれば負けないだろうとされる魔物である。
 攻撃方法はいたって単純だ。片手に持つ長い棍、ないしは空いた巨大な手で殴りつけるか、お得意の炎の魔法で攻撃するぐらいである。
 この中で注意しなければならないのは、もちろん炎の魔法である。蛮人のごとき見た目に反して、この種族は誰に習わずとも強力な火の魔法をいくつも唱えられるのだ。

 ほらっ、今も小柄な人族であるエルを視界に捉えると、彼ら独特の言語を大声で唱え出し、巨人の周囲に無数の火の玉を出現させたではないか!!

 高熱の火炎の球がエルに降り注ぐ。
 その内に強烈な破壊の力を秘めた火球が炸裂すると、辺りに火炎をばら撒いていく。
 まあ、エルにしても馬鹿正直に攻撃を食らってやる心算など毛頭ない。襲い来る無数の火球を左右に飛び跳ねながら躱していく。火球は直線に飛んでいくだけのようなので、その速さだけは瞠目に値するが高速戦闘には自信のあるエルにとっては、特段回避に苦労するというほどでもない。
 顔に笑みを浮かべながら余裕を持ってひょいひょい避けていった。
 たまに回避し辛いものもあったが、気を籠めた両手で廻し受けを行い、火球を爆発させずに横に逸らすことでやり過ごす。
 炎の巨人ファイアジャイアントとの初戦闘ということで、まずは様子見に徹していたが、どうも距離が離れていると火球で攻撃するだけのようだ。次々に良く解らない言語で呪文を唱えては火炎の球を顕現させ打ち出してくる。
 攻撃を受け持つ壁役が入れば十分に防げる魔法であろうし、早さに自身のある人物なら3つ星でも避けられるだろう。

 ましてや、数々の試練によって成長したエルにとっては児戯にも等しい。
 いつまでたっても他の攻撃をしないので、焔の魔法を避けながら距離を詰めることにした。
 ジグザグに飛び跳ねがら魔法を避け、巨人との距離を縮めていく。
 もう少しで殴り合える距離まで近付くと、守護者はやおら大声を上げて腕を横に振るった。

 なんと、今しも飛び込もうとしていた巨人の目の前の地面から、勢い良く火柱が上がったではないか!!
 
 とっさに全身に気を張り巡らせ、両手を顔の前で交差させるようにして身を守る。
 炎が消えた後には全身の所々に焼け焦がした痕を残すも、未だ健在なエルが姿を見せた。火柱が消えるまでの数秒の間、少年の全身を襲う苛烈な熱さを、全力で気を放出し続ける事で辛くも難を逃れたのである。  
 しかし、さすがに無傷というわけにはいかなかったようで、軽微ながら全身に火傷を負ってしまった。
 体中から痛みと熱を感じるというのに、エルは戦闘狂の気が顔を出し始めうれしそうに笑った。
 先程の火柱の魔法は、実はきちんとエルが読んだ情報誌に記載されていた。効果範囲は人間数人を撒き込めるほどの狭さだが、威力は高いので要注意の魔法だと但し書きされていたのだ。攻撃前の合図は大声と片手の横振りであり、その動作を見たら直ちに退避せよとも記述されていたのだが、飛び込み様だったので避ける暇がなかったのである。
 気の量も膨大で、下手したら5つ星クラス以上と目されるエルだからこそ、この程度の軽傷で済んだというわけだ。3つ星の冒険者だったなら大火傷だったにちがいない。
 最弱の守護者だと侮っていたが、どうしてどうして強いじゃないかと、闘争心に火が付いたエルは獰猛な顔を見せ始めていた。
 今度はこちらの番だとばかりに全力で攻撃を仕掛けようかとした瞬間、本来の目的、相手の技を見極める事を辛うじて思い出し、寸での所で飛び出し掛けた足を無理矢理ストップさせた。
 そうだ、今は自分の修行や楽しみのために闘っている場合ではないのだ。リリの悲しむ顏が見たいのかと自分に問いかけ、頭を何回も激しく左右に振り回した。
 熱く燃え盛り始めた心をどうにかして落ち着かせることに成功するのも束の間、空から巨大な棍が降ってきた。
 エルの珍妙な行動など気にも留めず、ただ侵入者を排除するために巨人が携えていた魔鉱製の棍を叩き付けてきたのである!

 はっとするももう逃げられる状況ではない。
 エルは最も信頼するもの、自分の拳に思いを託し武人拳で迎え撃った。
 はたしてその結果は、何十倍の体重差を覆し手にした武器ごと炎の巨人が宙を舞う異様な光景であった。
 種族として絶対的な差をもつ巨人の剛撃を、修練と日々の闘いによる成長によって覆したのである。吹き飛ばされた巨人は地に落ちると、理解できないと事象に起き上がる事ができずしばしの間茫然と座り込んだ。
 エルは拳の残る確かな手応えとその結果に思わず笑みを浮かべていると、やがて正気に戻った巨人が元々赤い顔を怒りで更に真っ赤に染め激昂した。立ち上がると雄叫びを上げて突進し、重い棍を右手で振り回し、あるいは時折空いた左手を叩き付けてきたりもした。
 憤怒に身を染めた巨人の怒涛の連続攻撃である。
 だがその連撃をもってしても、エルに毛ほどの損傷を与えることはできなかった。怒りで攻撃が単調になったということもあるが、冷静さを取り戻したエルにとっては接近戦は自分の土俵である。この魔物より速い攻撃を経験し打ち勝ってきた自負もある。焦らず敵の攻撃をじっと観察し回避を主眼に置けば、避けられない道理はない。
 大地を穿ち大音を発しつつも、一度として小さな少年を捉える事はできず、ただ巨人の攻撃音だけが虚しく響いたのであった。
 攻撃に魔法を混ぜても結果は変わらなかった。棍を横振りし距離を稼ぎ、呪文を唱え無数の火炎球を浴びせても、エルの高速移動術の前には掠らせる事すらできない。火柱の魔法も事前の予備動作がわかっているので、もはや意味をなさなかったのだ。
 巨人は苦し紛れに武器に炎を宿らせ、赤熱した棍で殴り付けてきたが、もとより当たらない攻撃の威力が増そうとも、エルには脅威足り得なかった。
 情報誌に載っている全て攻撃を見て目的を達成したエルは、適当な攻撃を牙受けで横に逸らすと、溜めに溜めた鬱憤を晴らすかの様な烈火の如き攻勢に出た。
 体勢を崩した巨人の膝に猛武掌を打ち込み粉砕し、倒れ込む巨人の胸部に猛烈な踏込からの肘撃、短震肘で胸を陥没させるほどの大打撃を与え、内部の心臓をも破裂せしめたのである。
 心臓を破壊されれば強靭な生命力を誇る巨人とてただでは済まない。目や鼻、そして口から夥しい血を噴血し、弱々しい呻き声を上げながらなんとか立ち上がろうと力行するも、割られた膝に力が入らず無為に失敗を繰り返し続けたのである。後はただ、人を丸呑みにできる大きな口を有する顔にエルの武人拳を突き込まれ、その生涯に幕を閉じるのであった。



・・・
・・



 その後も同様に41階層と40階層を何度も転移を繰り返し、守護者との連戦を繰り返した。幸い遭遇した敵は魔宝獣マジェリックビースト炎の巨人ファイアジャイアントばかりであったので、様子見する必要もなく最初から全力で倒しにかかる事ができた。
 1回目よりも2回目、そして3回目と同じ守護者との闘いを繰り返す度に相手への理解を深め、エルなりの攻略法を少しずつ確立していった。そのおかげで徐々に戦闘時間を短縮し、着実に討伐スコアを稼いでいったのである。

 ただし、夜間での闘いにおいて予想外の苦境に陥った。
 火口は千年以上も前に休止しているので溶岩などの存在もなく、太陽が大地に姿を隠すと深い闇に覆われ、僅かな月明かりだけでは視認も困難であったのだ。燃やせる様な木々も一切なく、念のため回復薬のついでに何個か買っておいた照明用の魔法の道具、爛炭の明かりだけが頼りであった。
 爛炭を戦闘で壊されない範囲に距離を取って設置したが、魔道具の光量もそこまで強くないので、ほとんど暗闇と変わりなく、辛うじて敵を視認できる暗中での戦闘を余儀なくされたのである。 
 エルにしても暗闇の中での闘いは慣れていなかった。魔物との闘いでは何が起こるかわからないので、安全な日中か松明などの明かりが確保されている環境でのみ交戦するのが常道であるからだ。
 しかし今は何より時間が無かった。本来なら危険な夜の闘争は避けたかったが、神が定めた守護者の討伐数は夜間の戦闘も顧慮している可能性も否めなかったのである。
 もしそうであるなら、エルが夜戦を避け討伐数が少なくなるだけで試練は失敗
である。すなわち、あれだけ豪語し誓ったにも拘らず、マリナを助ける事が不可能になるのだ。それだけは何を置いても避けなければならない。
 僅少でもその可能性が否定できないなら、エルは夜戦を行うしかなかったのである。
 昼間なら既に苦も無く倒せる敵であったも、視界の悪い夜なら別であった。
 相手の動きが見え辛く、余裕で回避できたはずの攻撃をもらう事もしばしばであった。中でも魔宝獣の隠し技、剣山の初動がわからず至近で受けた時は重症を負う羽目になった。
 巨大な円錐状の針に対し気の鎧で防ごうとしたが、猛虎の道着ごと脇腹を貫通され手酷い傷を負った。その後は技の反動で動けなくなった魔物を、負傷をいとわず徹気拳の連続攻撃で早急に核(コア)を破壊し勝利を手にしたが、直ちに最上級回復薬で内臓を再生させなければ、命も脅かされかねない非常に危険な傷を受けたのである。
 甚大な痛みを堪えつつ無理にでも回復薬を飲み込み傷を治したながら、つくづく今までの闘いは目による情報に頼り過ぎていたと反省した。

 ふと、この夜間戦闘は自分を見つめ直す良い機会ではないかという考えが浮かんだ。今後、目に負えない敵や自分より早い敵に出会う可能性や、ありえないほどの手数を有する敵と出会う可能性もあり得る。
 神はこの試練を通して視力以外の五感や六感を鍛え、高みに上る機会を与えてくれたのではないかと、修行好きのエルは好意的な考えが浮かんだ。自分が成長する事はすわなち夜間での討伐速度を上げる事につながるので、マリナを助けるという目的からも逸脱しない。案外この考えは正解だという気がして、エルは痛みが徐々に和らぎ爽快な気分を味わいつつ高揚し始めた。
 ならば、折角神の好意で頂いた成長するチャンスを無駄にする事はできない。傷が完治すると頬を叩き気合を入れ直し、深夜過ぎまで暗闇が支配する深山での闘いを続行した。
 火球に身を焼かれ棍に身を打たれ、はたまた魔鉱の塊に手酷く全身を打ち付けられた。様々な痛みに襲われ絶叫し身を捩りつつも、エルは諦めなかった。
 新たな力を得るため、世話になったマリナを助けるため、そして親友のリリの笑顔のために何度痛めつけられようと、たとえ命の危機に瀕しても闘い続けた。
 当初は日中での戦闘とは比べ物にならないほど、敵を倒すのに時間が掛かった。だが、少しずつであるが音や空気の流れ、そして相手の攻撃の起こりを察することによって闘いを有利に進め、視力を用いない闘いに理解を深めていった。
 といっても、一朝一夕でマスターできるほど視界を封じた戦闘は容易いものではない。完全な闇ではなく僅かな明かりが、視界の情報とそれ以外の器官の感覚を橋渡しをしたおかげで、なんとか守護者との闘いを勝利に導いたのである。
 武の奥深さ、そして自分の到らなさを恥じつつも、血を吐き骨を折られる過酷な戦場に身を置き闘い続けるのだった。



 
 
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