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祠堂
しおりを挟む行為の興奮が引いてしばらく経つと非常に頭がスッキリしていた。
「……最悪です」
「最高の間違いじゃない?」
素性の知れぬ男と情事に耽った事実に頭を抱えたが、隣で体を拭く男はまだまだ元気そうだ。痩身に見えるだけで、腕や腹筋は無駄がなくてたくましい。
「……舟旅をしていた時、あなた、崖の上にいませんでした?」
「うーん? 覚えてなーい」
とぼけた調子で返されてむかっと腹が立った。
「自分の行動を覚えていないなんてあり得ますか?」
「そういうこともあるんじゃないの。だってさ、きみ……えっと?」
「藍鹿」
「藍鹿……子鹿ちゃんて呼んでもい?」
「やめてください、趣味が悪い!」
「冷たいなあ。でもさぁ藍鹿、たとえばだけど自分が口走ったことって全部認識できる? さっき俺の胸で達した時、全部で何回『待って』って言ったかとか数えてたりするの?」
「あっ……あなたの品性どうなってるんだ!?」
髪をぐしゃぐしゃにして激昂する藍鹿に、菁野は腹を抱えて笑った。
「自己紹介が遅れたな。俺は菁野。丘をうろつく修行中の半仙だ。神仙の領域に到達する気概はないけど、いろんな術が使えるよ。解毒もちょちょいのちょいだ。きみを介抱した礼に酒でも奢ってくれたら嬉しいなー」
「……丘? 東の丘ですか? 義塚がある場所ですよね。幽鬼が出ると聞きましたよ。そんな薄気味悪いところ、行かないほうが……」
「義塚ならこの近くだよ。ここは壊れてるけど古い祠堂だから」
「ここ祠堂なんですか!? あ、あなた、なんて罰当たりなことを……!」
「俺が壊したんじゃないよ?」
「そうじゃない! 死者を弔う場所であんな……情交なんてよくできたな!!」
「ええー? でもお互い愉しんだよね」
相性が良かっただの盛り上がっただのといって悪びれぬ菁野を無視して、藍鹿はようやく館の内部に目を向けた。
夜はとうに明け、朝の日差しに包まれている。
木造のお堂はところどころに雨漏りの痕があった。よく見れば天井も床も腐りかけだ。こんな環境で男二人がドタドタ暴れていて、よくもまあ一晩無事に過ごせたものだ。まさか祖霊を祀るお堂だったとは完全に予想外だ。
「俺が見回った限り、祠堂の扉は斧で破られて位牌もない。外に焦げ跡があったから全部薪にして燃やしたんじゃないかな。かつての村長一族も堕ちたものだね」
「……村長の祖廟だったんですか」
「まあだからあれだよ、村長は慕われてはいなかったんだろうな」
藍鹿は舟旅の記憶を思い返す。
老船頭の話では、村長が亡くなってから蓮花村はおかしくなったと言っていたが……。
「あの女を外から連れてきたのは死んだ村長だよ」
「菁野、あなたどうしてそんなこと知ってるんです?」
「幽鬼と話したから」
こともなげに言う菁野に、藍鹿はこいつに常識を説くだけ無意味なのだと悟った。
祠堂を一歩出て気づいたのは、桃の木が点々と植えられていることだった。
「時々、桃の木を世話しに来る爺がいるんだ。老三て言ったかな」
「老三……?」
「藍鹿の知り合いかい?」
「いえ、聞き覚えがあるだけで」
菁野によると、桃の木は村の北から東の角を埋めるように植えられていて、村に入り込もうとする陰の気を抑えているのだという。
この国では人々の間に祖霊信仰が強く息づいている。先祖の幽鬼がさまよっていると聞けば、子孫はできる限りの盛大な供養を執り行う。冥府の生活で苦労しないように紙銭を燃やし、酒や肉などの供物を捧げるのが孝行だ。人は死ねばみな冥府へ行くと固く信じているから、人々は生きている家族だけでなく、死んでいった一族のことをも気にかけながら日常生活を送る。
祖霊を大事にするのは国の頂点にいる皇帝も同じだ。国家予算を投じての祭祀には多くの貴族高官が臨席し、ひと山はくだらない羊や牛、さまざまな山海の珍味を並べて捧げるのだ。
国でさえそうなのだから、蓮花村の異常性は言わずもがなだ。
幽鬼に怯える心があるなら祠堂をあのまま朽ちさせるのはおかしい。あえてそうしているとしたら……。
『死んでも村長一族を許さない』
何者かのそういう意思が働いている、と考えたほうが自然か。
覗いてはならぬ戸を開けようとしている。
嫌な悪寒が藍鹿の体を駆け抜けた。村の秘密になど進んで関わりたくないのだが、そんな心を知るはずもない菁野が目元を鋭くして断言する。
「賭けてもいい。蓮主って女、村長を殺してるよ」
陽が高くなったからと、菁野が簡素な蒼い衣を貸してくれた。身だしなみを整える余裕もなかったから彼の気遣いは正直ありがたい。人を散々な目に遭わせた詫び料と思うことにする。
菁野のきれいな二重の瞳が、藍鹿を窺うように妖しげに瞬く。
「これからきみはどうするの?」
「あなたのおかげで頭が冷えました。……水簾閣に戻ります」
「本気? やめたほうがいいと思うけどなー」
「いい酒が手に入ったら、あなたのこと思い出してあげますよ」
藍鹿はまだあの村から逃げるわけにはいかない。日のあるうちに老三という翁に会っておきたかった。
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