7 / 22
死者
しおりを挟む朝方にまどろんだ程度の眠りでは到底足りなかった。疲労の色は顔にも体にも濃く残る。
藍鹿も本音をいえば戻りたくなどないが、老三という人に話を聞きたかったし、蓮主に恥をかかせたままなのも懸念が残る。ゆうべ藍鹿が抜け出した東門はすでに閉じられていたので、言い訳を考えながら南門に向かった。
すでに太陽は天頂にあり、村には採蓮に励む人々の賑わいがある。
(誰か、私に老三殿を紹介してはくれないだろうか……)
村と邸の境界まで来ると、ちょうど南門のあたりに人だかりができていた。
おや、と思えば、門前に立つ石蓮子と目が合った。石蓮子は蓮主の侍衛を務める若者で、岩の化身のような厳つい巨体の男だ。仏法守護の四天王にたとえるなら増長天が近いか。年齢はまだ二十前後らしいが、棍棒を手に周囲を睨む迫力は立派な武人である。
「待て」
石蓮子は藍鹿を呼びつけるや否や、怒りを含んだ表情で見下ろした。
「お客人。東の房でお休みではなかったか? 邸の外で何をしておられた?」
「……酔ったまま、外で眠ったようです」
我ながら情けなくて涙が出そうな言い訳だ。あながち嘘でもないのだが、そんな言葉を信用できるかと石蓮子の顔に書いてある。
「蓮主が滞在を許したとて勝手にうろつかれては困る。今は特に。……疾く邸に戻られよ」
「人だかりができてますね。何かあったのですか?」
「……水簾閣の門前で、女が死んだ。前の村長の娘だ」
南門前に仰向けで倒れていたのは前村長の娘、芳芳。
年は三十手前頃。亡骸には筵が掛けられているが、長さが足りず、ふくらはぎから下がはみ出ていた。足首のあたりなど骨の形が浮き出そうなほど痩せ細り、遺体は履き物がなく、足は傷だらけだ。長患いでもしていたのか、村にいる他の女性と比べて明らかに健康状態が悪そうなのが気になった。
村の人々はすでに埋葬の算段を話し合っていて、誰が何を分担するかを詰めているところだ。人垣の間から黙って眺めていた藍鹿は、素朴な疑問を口にした。
「あの……、捕吏は呼ばないのですか?」
「役人など来ない。近い役場でも歩いて二時辰かかる」
石蓮子が答えた。監視でもするつもりなのか、藍鹿の近くに張りついている。
「ですが、ご遺体の女性には履き物がありません。野盗に遭ったとか獣から逃げてきたとか、何か事件性があるかもしれないでしょう?」
「あれは奴婢だからだ。村の持ち物にすぎん奴に履き物など誰が恵むものか」
「村長の娘さんだった方が奴婢……?」
「もう黙れ。村には村のやり方がある」
女性の骸を前にした人々は一様に落ち着いており、女性が死んだ事実に納得しているような面持ちだ。彼女は奴婢であり奴婢とは物なのだから手出し無用と突き放されたら引き下がるしかなくなる。だが、二百人にも満たぬ小さな村の中でこの扱いはあまりにも冷酷ではないか。
「でしたらせめて、この方のご家族は呼んでさしあげては」
「……その子に家族はおりませんのじゃ」
総白髪の老人が杖をつきながら現れた。右目が白濁している。
「水簾閣のお客人とはあなたですな。無事に村を出たいなら余計な詮索はせんことです」
「そなたこそ余計な言いがかりをつけるな」
威嚇する石蓮子に、老人は悲しげに眉を伏せる。
「老三、そんな野郎に構うんじゃねえ!」
間に割り込んだのは鼻に大きなほくろのある男だった。
「おれは知ってるぞ! おまえだ、おまえがやったんだろ余所者が!」
ほくろの男が藍鹿を突き倒した。よろめいた藍鹿は尻餅をついた。腰も尻も衝撃をまともにくらい、声も出ない。男はさらに大声をあげる。
「見てた奴がいるんだよぉ! てめぇがおれの妻子に話しかけてたってな!」
「なっ、待ってください、身に覚えがまったく……わあぁ!?」
「おれの妻と子を奪おうたって、そうはいかねえぞ!」
太陽を背負って立つほくろ男が、藍鹿めがけて鉈を振り上げる。
「う、うわああ!」
「おい、騒ぎを起こすな」
石蓮子も止めようと動くが、勢いづいた男の行動は素早い。
元々足に自信のない藍鹿はろくに走れず転んでしまう。一寸先に鈍く光る鉈が迫った。
「静まりなさい」
凛と澄んだ声でただ一言。それだけで全員が動きを止めた。
蓮主だった。彼女は長い絹の裙を風になびかせて現れた。
門前におちた沈黙を真っ先に打ち破ったのは、興奮冷めやらぬ状態のほくろ男だ。
「蓮主、死者が出たのはそいつのせいだ。野郎、おれの女房や子供に近づきやがった! この村の女子供を惑わせようとしてるんだ!」
藍鹿を敵視するほくろ男に顔も向けず、蓮主は石蓮子に目配りをする。石蓮子が男から鉈を奪い、両手を拘束した。
蓮主は筵をかけられた遺体に近づき、告げた。
「青蓮が教えてくれたのだ。そこの者、女の右の踵をご覧。これがその者の天命だ」
傍にいた村人が足元の部分の筵をめくった。
「あ、これは……蛇に咬まれた痕がありますな」
蓮主が告げた場所、右足の踵には蛇の牙の痕があったようだ。藍鹿は「ひええ」と情けない声を出したが、周囲は「おお、蓮主様」と尊敬のこもった感嘆に満ちる。
「亡骸は東の塚へ運びなさい。穢れを村の内に留めるな。陽の高いうちに済ませるのだ」
蓮主が厳しい声で指示を出す。役割分担はすでに出来ていたらしく、遺体は村外へ運ばれていった。
藍鹿は近くにいた村人に訊ねた。
「こ、この村、毒蛇がいるのですか!?」
「……どこにでもいるだろ。そんなに心配なら水簾閣で毒消しをもらいなよ」
呆れ顔をした村人は早々に農作業に戻っていった。
ここでようやく蓮主がほくろ男に話しかけた。
「ところで黒児。おまえ、あたしの客に許しもなく手をあげようとしたね?」
「そ、それは」
「この失態、あんたの妻子から取り立ててもいいんだよ?」
腕を組んだ蓮主に、男は青ざめて謝罪する。
「す、すまなかった! あいつらには何もしないでくれ!」
「おかしなことを言うね。村人を守るのは蓮主たるあたしの勤めだ。本分をわきまえて、これからも忠節を尽くすと誓うなら引いてやるよ」
「も、もちろんだ! 蓮花村は蓮主あっての村だ!」
鉈を振り回していた男が、大猫を前にした小鼠のように萎縮しきっている。おまえも埋葬を手伝えと命じられて、すぐに東へ駆けていった。石蓮子も奴らの働きを確認するといって後を追う。
周囲にいた村人は今やほとんどが採蓮作業に戻ってしまい、後に残ったのは藍鹿と蓮主だけとなった。
蓮主は藍鹿に向き直ると、がらりと態度を一変させた。
「申し訳なかったわね、藍鹿様。村の男は荒くれが多くていけないわ。ほくろの男……黒児は妻子が他の男と話すだけでも我慢ならず、時には女相手にでも妬くのよ。突然あなたのような美男子が現れたものだから、悋気の虫が騒いだのだろうね。どうか許してやってちょうだい」
美男子、という言葉をやけに強調した。艶と媚びが衣を着て動いているかのようだ。
「……誤解がとけたのならばよかったです」
「あなたのご事情は秘密にしておりますから安心してくださいな。良からぬことを考えるようなら、あたしにも考えがありますけれど」
「……私に何をお望みですか」
「あぁら、話が早い」
ぱっと花開くように広がったのは、獲物をいたぶる残虐な笑みだった。
「取引しませんこと? 秘密を守る代わりに、今夜あたしの房に来て脚を揉んでくださらない?」
もし断ったら、藍鹿が浄い体であると村中に触れ回る。
舌舐めずりする蛇のように、蓮主は赤い口を開けて甘く囁く。
「あなたって虐めがいありそう」
藍鹿はぐっと拳をにぎって耐える。最悪だ。最悪だが、まだ帰るわけにはいかない。まだ何もつかんでいないのだから。
水簾閣に戻る前に、藍鹿は記憶を頼りに村の中を東へ西へ歩きまわった。そして総白髪の人物を見つけると迷わず声をかけた。
「老三殿、少々お話したいのですが」
0
あなたにおすすめの小説
【完結】かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
番外編はTwitter(べったー)に載せていきますので、よかったらぜひ🤲
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
塔の上のカミーユ~幽囚の王子は亜人の国で愛される~【本編完結】
蕾白
BL
国境近くにあるその白い石の塔には一人の美しい姫君が幽閉されている。
けれど、幽閉されていたのはある事情から王女として育てられたカミーユ王子だった。彼は父王の罪によって十三年間を塔の中で過ごしてきた。
そんな彼の前に一人の男、冒険者のアレクが現れる。
自分の世界を変えてくれるアレクにカミーユは心惹かれていくけれど、彼の不安定な立場を危うくする事態が近づいてきていた……というお話になります。
2024/4/22 完結しました。ありがとうございました。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる