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瘴気
しおりを挟む夕餉というには侘しい苦瓜の羹を口に運び、藍鹿と菁野は顔をしかめた。
「うーわ、苦っ。あの童子どもの嫌がらせかな?」
「苦瓜を下処理せずに煮込めばこうなりますね……」
苦すぎて舌が痺れる。
──きみたちのお母さんに会いましたよ。
水簾閣に戻ってから何気なく告げたこの一言が、小七と小八の機嫌を決定的に損ねてしまったようなのだ。無表情の彼らがこぼしたのは『あの女』『うざい』だけで、家族を恋しく思う様子は見せなかった。
「早めの反抗期だったんですかね?」
「どうだろうなー。主人がアレなら下も知れてるよ」
菁野はさほど傷ついた様子もなく、匙でぐるぐる碗の中をかき回している。二人とも食べる気はとっくに失せていた。
藍鹿は昼間、金夫人のもとで漬物づくりを手伝った時の話をかいつまんで聞かせた。
「あの子たちのお母さん、微妙に怖かったんですよね。かなり蓮主に心酔していて」
「あいつら、記憶を失くしてるんだって? 面白いな。中には何が入っているのやら」
菁野のつぶやきは小さくて、藍鹿にはすべて聞こえていない。それよりも舌にこびりつく苦瓜の不味さのほうがやばかった。
藍鹿はとうとう羹を食すのを諦め、鉄瓶で茶を淹れた。菁野のぶんも茶杯を用意してやると、彼も虚しく碗をかき混ぜるのをやめ、長い脚を優雅に組み替える。
「今日は苦瓜程度で済んでるけどさ、この水簾閣は伏魔殿だと思って用心したほうがいいな。たとえば、大事なものは部屋に置いておかないようにするとか」
「そうですね……嫌がらせが悪化するとは考えたくありませんが、用心は大事です」
茶を飲んでから、多くはない荷物をまとめておいた。路銀は首に下げているが、それ以外で貴重な物品というと、枕の下に置いた『五毒符』だろうか。枕をどかして手に取ると、菁野が興味津々な面持ちで卓越しに身を乗り出した。
「藍鹿、霊符なんて持ってたんだ?」
「これは――柳玄が買ってくれたんです」
柳玄が仕事で神都を離れる際、藍鹿にくれたのだ。『五毒苻』というお札は毎年、虫が活発に動き出す端午節になると売り出される。五毒と呼ばれる五つの毒虫――蛇、百足、蟾蜍、蜥蜴、蠍――を祓うための札だ。藍鹿の蛇嫌いを知っている柳玄が「気休めに持っておけよ」と贈ってくれたのだ。
「……柳玄って奴、見る目あったんだね。その護符は最上級の上物だ。常に肌身離さず持つようにお勧めするよ」
柳葉のような形のよい目を細め、菁野がぽつりと言った。
食器を引き下げに現れた小八は、一方的に告げた。
「今宵は外に出ないでください。石橋は使わぬように」
「なんで?」
「水の儀式を行います。神聖なものですので静かに執り行わねばなりません。急ぎますので、これにて」
小八は視線で牽制するように藍鹿と菁野を交互に見上げ、膳を手にして去っていく。
「……夜に行う儀式、ですか」
「これは見るしかないな!」
「え、でも」
すっくと立ち上がった菁野は人懐こい笑みを湛えて言った。
「屋根に登るのはだめだとは言われてないよね?」
晩夏、草木に露が光る、白露の季節。蓮葉はいまだ元気に生い茂るが、池を渡る風は時折ひやりとして寒気をおぼえる。亥の刻も半ばをすぎた頃、蓮主が主房から出てゆくのが見えた。姿が消えるのを待ち、藍鹿は菁野の手を借りて屋根に登る。
隣り合って腰を下ろすと菁野が藍鹿の頬をぷにっと摘んだ。
「落っこちないでね」
「そんなドジは踏みませんよ。それより痛いんですけど!」
「しーっ。静かに」
痛いことをしたのはおまえじゃないかと不機嫌な目で睨めば、ごめんごめんと頬を撫でられた。触れられると変な記憶……媚薬でどろどろになった時のことを思い出す。くっ付いた腕から体温が伝わるのも落ち着かない。そわそわした気持ちを隠すように膝を抱えて、ぷいと目を逸らした。
北門へ繋がる石橋の両端で松明が赤々と燃えていた。
傍にいるのはお世話役の童子、小七と小八。彼らの間には着飾った蓮主が偶像のように佇んでいる。金の歩揺が火明かりを反射して蝶のように揺れていた。
夜の池はいちめんの闇に染まっている。元から水色は黒々としていたが、炎に照らされる青蓮花だけがそこを池だと証明していた。時々、石橋の下から水の泡立つ音が聞こえてくる。火明かりに誘われた鯉が泳いでいるのだと思ったが、ぼこぼこと生まれては割れていく泡の音は湧水のように絶え間ない。
藍鹿はそっと菁野に耳打ちする。
「この池、ずいぶん泡が出てますけど……水簾閣の池は湧水なんでしょうか?」
「いや。村の池は湧水だけど、水簾閣の水は北の山から引いているらしいよ。水温が低いから一般的な蓮には向かないみたいだけど」
菁野なりにいろいろと村の環境について調べを進めていたようだ。口にはしないが藍鹿は密かに感心した。
「開門、開門、かいもおーん!」
石蓮子の声が響き渡った。姿は見えなかったが、声の方角から彼は北門の外にいるのだとわかる。
「開門、開門、開門」
小七と小八も唱和して、池に向かって手を合わせる。
闇の中でざらざらという音が聞こえた。木箱の中で砂を揺らすような音だ。大きな雨粒が戸を叩く音にも似ている。それはやがて、ごうごうという響きに変貌して、北門から流れ出した波音なのだと悟った。水の勢いに青蓮花が激しく揺れている。
「水門を開くだけにしちゃ大げさだ。夜にやるなんて、まるで何かを隠しているみたいだ」
「単純に、水の入れ替えじゃないんでしょうか……?」
言いながら藍鹿もおかしいと思った。夜に水門を開くのは事故にも繋がりかねない。わざわざ夜にやるからには菁野が言うように何か意図があるのだろう。
それに臭うのだ。鶏小屋や馬小屋のような生き物を集めて煎じでもしたような臭い……とでも言おうか。そんな悪臭が藍鹿の鼻先に漂っている。得体の知れない瘴気を浴びて、黒水からぬらりと伸びる青蓮も夜の闇に塗りつぶされたように禍々しく見えた。
池中から浮き上がる泡が水勢に押されて西へ流れてゆく。
(――外から守り、内から逃がす)
こんな場面で思い出すのはおかしいが、藍鹿は金夫人に教えてもらった漬物壺の話を反芻していた。漬物壺の中に漬け込まれているのは蔬菜だが、池の底にあるものは何だろうか。
(水底に何かが隠されていて……水はそれを外から隠すために引き込んでいる、とか?)
とりとめのない思考を破ったのは、突然ドーンと立ち上がった水の柱だった。北へ伸びる石橋を挟み、左右の池から水が噴き上がっている。石橋の上では水から守るように小七と小八が衣の袖で蓮主を隠していた。大池から立つ水の柱は夜空目指してゆるゆると伸び、しばらくの間、館は水の帳に包まれた。水簾閣の名の由来はこれか、と藍鹿は少し感動してしまった。
松明の明かりに浮かび上がる黒々とした泥濘は変化がない。これだけ派手な儀式をしたにもかかわらず、池水が澄明を取り戻すことはなかった。波打つ泥池を見ていると、黒水の中で何か蠢く細いモノが見えた気がして、ぶるりと身を引いた。暗闇を見すぎて目がおかしくなったみたいだ。怯えを気取られたくなくて、藍鹿は咄嗟に菁野を肘でつつく。
「菁野はどう思います? ……菁野?」
池を見つめる菁野の唇が震えていた。間近で見ると彫りの深い整った眉間に前髪がはらりと落ちて、菁野の目許を隠してしまう。表情はわからないが、ひどく具合が悪そうだ。
「ふざけやがって……なんておぞましい……」
「菁野、顔色が優れません。疲れているなら薬湯を頼みましょうか」
片手で顔を覆い、何事か呻いている。支えるべきかと傍に寄り添うが、手を押し出して「大丈夫」と制された。前髪の隙間から覗いた眼差しは強く鋭い。
「明日は義塚に行ってみる。俺は死者を掘り返したくなったよ」
菁野は揺るぎない口調でそう告げた。
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