そこまでおっしゃるなら、こちらから願い下げです

るーしあ

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――死神。


 その不吉な響きに、私の心臓は嫌な音を立てて跳ねた。


 閉じていた瞼を、恐る恐る持ち上げる。
 視界の端で、先ほどまで私を囲んでいた異形の人々が、一斉に動きを止めていた。


 彼らが向ける視線の先。波打ち際から少し離れた大きな流木の上に、その男はいた。


 銀糸のように透き通った長い髪。それを無造作に後ろで結わえ、漆黒のローブを身に纏っている。
 肌は病的なまでに白く、整いすぎた顔立ちはどこか人間離れした冷たさを感じさせた。


 何より異様だったのは、その背後だ。
 彼の影が、地面に落ちる太陽の光を無視して、ゆらゆらと巨大な鎌の形に変質しているように見えたのは、私の見間違いだったのだろうか。


「……エント様」


 私を殺そうと拳を振り上げていた大男――頭部に一本の角を持つ、ヴォルグと呼ばれた男が、忌々しげに舌打ちをして拳を下ろした。


「お目覚めかよ。昼寝の最中に人間に踏まれでもしたのか?」


「踏まれてない。ただ、騒がしいから起きただけだ。……ったく、朝から元気だな、お前ら」


 エントと呼ばれた銀髪の青年は、大きなあくびを一つした。
 その仕草はあまりに無防備で、この場の緊迫感を完全に削いでしまう。


 彼は流木からひらりと飛び降りると、気だるげな足取りでこちらへ歩いてきた。
 砂を踏む音が、一歩、また一歩と近づいてくる。


「待ってください! 私は、ただ……」


 私は震える声で叫んだ。
 彼が何者かはわからない。けれど、この島の人々が彼を「死神」と呼び、畏怖していることだけは理解できた。


「ニンゲン。お前、どこから来た」


 エントが私の目の前で立ち止まり、視線を落とした。
 至近距離で見る彼の瞳は、薄い灰色。感情というものが一切抜け落ちた、鏡のような瞳だ。


「アステリア王国から、船で……。嵐に遭って、気づいたらここに」


「アステリア。……ああ、あの傲慢な連中の国か」


 エントの口角が、わずかに皮肉げに歪んだ。
 周囲の住人たちから、再び低い唸り声が上がる。


「聞いたか! アステリアのニンゲンだとよ! あそこの連中がどれだけ我らハーフを迫害してきたか、忘れたとは言わせねえぞ!」


「そうだ! 生かしておいては災いの元だ! 今すぐ海の藻屑にしてやれ!」


 突き刺さるような言葉の刃。
 私は知らなかった。この国の外に、ハーフと呼ばれる人々が住む島があることも、アステリア王国が彼らを迫害していたという事実も。


 聖女として、ただ目の前の病人を救うことだけを考えて生きてきた私。
 けれど、その「善意」さえも、彼らにとっては偽善、あるいは憎しみの対象でしかない。


「……助けて」


 無意識のうちに、言葉が漏れていた。
 
 裏切られ、捨てられ、死にかけて。
 ようやく辿り着いた陸地で、今度は「人間であること」を理由に殺されようとしている。
 
 あまりに不条理だ。
 あまりに、悲しすぎる。


「助けて? ハッ、笑わせるなよ。ニンゲンが我らに助けを乞うか」


 ヴォルグが鼻で笑い、私を睨みつけた。


「おい、ヴォルグ。これ以上は俺の管轄だ」


 エントが、遮るようにヴォルグの前に立った。


「管轄だと? 死神様が、何の用だよ。まさか、こいつを魂ごと持っていくってのか?」


「……さあな。ただ、俺の屋敷の近くに流れ着いた以上、俺が処分を決める。文句があるならバルドス様に言え」


 バルドス。その名が出た瞬間、ヴォルグを含めた住人たちの顔に、一瞬だけ恐怖に近い色が走った。


 エントは住人たちの反応に興味がなさそうに、再び私の方を向いた。
 そして、ひどく冷めた声で告げる。


「立て。立てないなら、ここで勝手に死ね」


「……っ」


 慈悲など微塵も感じられない言葉だった。
 けれど、それは「今すぐ殺す」という宣告よりは、幾分か希望があるようにも聞こえた。


 私は砂まみれの手を地面につき、折れそうな足を叱咤して、どうにか立ち上がった。
 
 視界がぐらりと揺れる。
 海水に濡れた髪が重く肩にのしかかり、寒さで歯の根が合わない。


 私が立ち上がったのを確認すると、エントは無言で歩き出した。
 断崖絶壁へと続く、険しい岩場の方へ。


「待て、エント! その女をどうするつもりだ!」


 ヴォルグの怒鳴り声が背中に飛ぶ。


「飽きたら殺す。それまで俺の暇つぶしに使うだけだ」


 エントは一度も振り返ることなく、淡々と答えた。


 私は彼の背中を追うしかなかった。
 周囲を取り囲む住人たちが、道を開ける。
 その瞳には、軽蔑、嫌悪、そして「すぐに死ぬだろう」という冷笑が浮かんでいた。


 岩場を登りながら、私は必死に現状を整理しようとした。
 ここはハーフオリジン。モンスターと人間の血を引く者たちが住む、地図にない島。
 そして私を連れて行くのは、やる気のない死神。


(これから、私はどうなるの……?)


 ふと見上げた崖の上。
 そこには、霧の中に浮かび上がるように、古びた、けれど巨大な洋館が建っていた。


 エントの屋敷。
 そこが私の新しい「牢獄」になるのか、それとも。


 ふいに、エントが足を止めた。
 
「おい、ニンゲン。……名前は」


 振り返らずに、彼が問う。


「……エルラ、です」


「そうか。エルラ、覚えとけ。ここでは、誰もお前を助けない。死にたくなければ、俺の邪魔だけはするな」


 突き放すような言葉。
 けれど、彼の銀色の髪を揺らす風が、アステリアの雨よりも少しだけ温かく感じられたのは、私の気の迷いだったのかもしれない。


 私は、重い足取りで彼に従った。
 
 足元では、黒い砂浜が波に洗われ続けている。
 
 かつての「聖女」としての名前も、身分も、ここでは何の意味も持たない。
 ただの「無力な人間」として、私はこの異端の地での第一歩を踏み出した。


 絶望は、まだ終わっていなかった。
 けれど、私の中の何かが、静かに燃え始めていた。


 ――まだ、死んでたまるものか。


 裏切ったあの人たちの顔を思い出し、私は強くペンダントを握りしめた。
 
 その決意をあざ笑うかのように、空からは再び、激しい雨が降り注ごうとしていた。

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