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3、八千代15歳、菊華21歳─春
18.春の乱─甘②
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タコ焼きパーティから菊華が帰宅したのは、午前零時を回っていた。何度も八千代に連絡しても電話が繋がらなかったから、帰宅せずにダメもとで隣の八千代の自宅を訪れた。春の旅行の計画を立てていた都子と香織に家に入れてもらえたのだが、ついでに「嫁入り前の娘なのに、帰りが遅いわよ」と香織から小言を頂くことになってしまった。
お小言から旅行の話になってしまい、一時間も経ってしまった。母親たちのエネルギーに感心もするが、早く解放してほしかった。
「やっくん……ただいま?」
ノックをしても反応がなかったドアをそっと開けると、案の定、部屋の中は暗かった。
卒業式もあったし疲れてたのかな。
起こしたら悪いからと、スマートフォンで足元を照らして音を立てずにベッドまで静かに歩いた。
規則正しい寝息が聞こえる近くで、今日の帰りが遅かったと頭を下げた。
「ごめんね。十時に切り上げようって思ってたんだけど……話しこんじゃったの。でも、飲んだのはワイン一杯だけだよ」
寝ている八千代はなにも言わない。
罪悪感が胸を押す。
すれ違う生活は寂しい。そう思ったのは菊華なのに。
懺悔するように静かに口が動いた。
「あのね、やっくんを好きだって自覚したのはね……」
嵐の夜は、どうしても八千代とじゃなきゃ寝られない。幼稚園児だった八千代を抱きしめて寝ていたのに、今は抱きしめられる側だ。
あの時は、八千代を抱きしめていた。弟から――男の子になったあの時。
だけど、しばらくは自分の気持ちに知らぬふりをした。告白を失敗して、優しさとぬくもりを失ってしまうのが怖かったのだ。ずっと離れない姉弟みたいな間柄でいようと思っていた。
「……やっくんの煎れてくれるチャイが美味しいなって思ったの。それと、いなくなったら嫌だなって。昔から守ってもらうばっかりなんだけど、守りたいって思うのはやっくんだけだよ」
そっと掛布団を直して「おやすみ」と声をかけようとした腕を寝ているはずの八千代が掴んだ。驚いて息を呑むとベッドに引き倒された。
「卑怯だな、キッカ。人が寝たフリしてる所にそんな告白するなんて」
「もうっ。ズルいのは寝たフリしてた方だよ」
気づかなかった私もどんくさいけど、起きているなら起きてるって言ってよー。
強く抱きしめられて心臓が鳴り止まない。不意にこんなことをするから、ズルいのだ。
「ワイン1杯か……酒くさいな」
「もー、帰るぅ!」
「抜け出られたらどうぞ」
菊華が「ぬひー」と変な声を出して、八千代の腕をどかそうとするが、ビクともしない。
「酔っ払い」
「そんなに飲んでないよ」
「はいはい」
軽くあしらわれて菊華は「むぎぎー」と唸る。背中を摩ってくれる手が優しくて、いつまでもジタバタしていられなくなってしまった。
「……ズルい」
ボソッ言ったのに、八千代の耳に入ったらしく、くつくつ笑われてしまった。
「……で? 自覚症状は?」
「さっき言ったよ」
「具体的じゃないな」
「好きになるのに……具体的とかないでしょ。好きが積み重なったんだから」
「そう? チャイが美味しいって……しばらく作ってなかったけど」
ふうん、と八千代がひとりで納得した。八千代には、菊華が自分を好きになり始めた時期がわかったのだ。
バレたと思った途端、菊華は恥ずかしくて全身が熱くなった。
「チャイをよく淹れてたのは、受験生の時だったな」
菊華十八歳で八千代十二歳の年だ。
その二年後に、ふたりが付き合うようになったのだから、人生何があるかわからない。
「ちが、違うの……それはね、好きっていうか、背中を摩ってくれるやっくんが……男の子だなって……」
誰にも言ってなかった気づいたその瞬間。その瞬間から、八千代は弟ではなく、男の子になった。
自分が先に好きになったのだと、菊華は思っていた。実際は八千代がその前から菊華を想っていたのだ。
「──そう。……それは話しにくいな」
先回りして言葉を結んだ八千代に背中をポンポンと撫でられた。
八千代が男の子だと気づいた時は、誰にもずっと言えなかった苦い体験をした時だった。それでも思い出すのは、こうして背中を優しく摩ってくれる八千代の手があるからだ。
その時は小さかったのに。……優しさは変わらないね。
菊華は一度目を瞑って息を吐いた。
きっとやっくんなら、受け止めてくれるはず。
「……私、高三の夏から予備校に通ってたでしょ? その時に短い期間だったけどカレシがいたの。同じ高三のコ」
少しは楽しいことがあったが、最後が辛くて思い出したくない。心の整理はついているのに。
「無理して言わなくていいよ」
八千代の大きな手がゆっくり上下するたびに、大丈夫だと思えてくる。話してケジメをつけたかった。
「ううん。話をさせて。……やっくんが聞きたくなかったらストップって言ってくれればいいから」
お小言から旅行の話になってしまい、一時間も経ってしまった。母親たちのエネルギーに感心もするが、早く解放してほしかった。
「やっくん……ただいま?」
ノックをしても反応がなかったドアをそっと開けると、案の定、部屋の中は暗かった。
卒業式もあったし疲れてたのかな。
起こしたら悪いからと、スマートフォンで足元を照らして音を立てずにベッドまで静かに歩いた。
規則正しい寝息が聞こえる近くで、今日の帰りが遅かったと頭を下げた。
「ごめんね。十時に切り上げようって思ってたんだけど……話しこんじゃったの。でも、飲んだのはワイン一杯だけだよ」
寝ている八千代はなにも言わない。
罪悪感が胸を押す。
すれ違う生活は寂しい。そう思ったのは菊華なのに。
懺悔するように静かに口が動いた。
「あのね、やっくんを好きだって自覚したのはね……」
嵐の夜は、どうしても八千代とじゃなきゃ寝られない。幼稚園児だった八千代を抱きしめて寝ていたのに、今は抱きしめられる側だ。
あの時は、八千代を抱きしめていた。弟から――男の子になったあの時。
だけど、しばらくは自分の気持ちに知らぬふりをした。告白を失敗して、優しさとぬくもりを失ってしまうのが怖かったのだ。ずっと離れない姉弟みたいな間柄でいようと思っていた。
「……やっくんの煎れてくれるチャイが美味しいなって思ったの。それと、いなくなったら嫌だなって。昔から守ってもらうばっかりなんだけど、守りたいって思うのはやっくんだけだよ」
そっと掛布団を直して「おやすみ」と声をかけようとした腕を寝ているはずの八千代が掴んだ。驚いて息を呑むとベッドに引き倒された。
「卑怯だな、キッカ。人が寝たフリしてる所にそんな告白するなんて」
「もうっ。ズルいのは寝たフリしてた方だよ」
気づかなかった私もどんくさいけど、起きているなら起きてるって言ってよー。
強く抱きしめられて心臓が鳴り止まない。不意にこんなことをするから、ズルいのだ。
「ワイン1杯か……酒くさいな」
「もー、帰るぅ!」
「抜け出られたらどうぞ」
菊華が「ぬひー」と変な声を出して、八千代の腕をどかそうとするが、ビクともしない。
「酔っ払い」
「そんなに飲んでないよ」
「はいはい」
軽くあしらわれて菊華は「むぎぎー」と唸る。背中を摩ってくれる手が優しくて、いつまでもジタバタしていられなくなってしまった。
「……ズルい」
ボソッ言ったのに、八千代の耳に入ったらしく、くつくつ笑われてしまった。
「……で? 自覚症状は?」
「さっき言ったよ」
「具体的じゃないな」
「好きになるのに……具体的とかないでしょ。好きが積み重なったんだから」
「そう? チャイが美味しいって……しばらく作ってなかったけど」
ふうん、と八千代がひとりで納得した。八千代には、菊華が自分を好きになり始めた時期がわかったのだ。
バレたと思った途端、菊華は恥ずかしくて全身が熱くなった。
「チャイをよく淹れてたのは、受験生の時だったな」
菊華十八歳で八千代十二歳の年だ。
その二年後に、ふたりが付き合うようになったのだから、人生何があるかわからない。
「ちが、違うの……それはね、好きっていうか、背中を摩ってくれるやっくんが……男の子だなって……」
誰にも言ってなかった気づいたその瞬間。その瞬間から、八千代は弟ではなく、男の子になった。
自分が先に好きになったのだと、菊華は思っていた。実際は八千代がその前から菊華を想っていたのだ。
「──そう。……それは話しにくいな」
先回りして言葉を結んだ八千代に背中をポンポンと撫でられた。
八千代が男の子だと気づいた時は、誰にもずっと言えなかった苦い体験をした時だった。それでも思い出すのは、こうして背中を優しく摩ってくれる八千代の手があるからだ。
その時は小さかったのに。……優しさは変わらないね。
菊華は一度目を瞑って息を吐いた。
きっとやっくんなら、受け止めてくれるはず。
「……私、高三の夏から予備校に通ってたでしょ? その時に短い期間だったけどカレシがいたの。同じ高三のコ」
少しは楽しいことがあったが、最後が辛くて思い出したくない。心の整理はついているのに。
「無理して言わなくていいよ」
八千代の大きな手がゆっくり上下するたびに、大丈夫だと思えてくる。話してケジメをつけたかった。
「ううん。話をさせて。……やっくんが聞きたくなかったらストップって言ってくれればいいから」
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