予想屋死神

千三十四六

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死神の始まり

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中山競馬場のスタンド裏――レースの熱気と人々の欲望が渦巻くその空間で、フウタはいつも通り“作業”をしていた。

通称は「ハイエナのフウタ」。
仲間たちはそう呼ぶ。理由は単純。自分の予想ではなく、“ツイていそうな人間”の予想紙や馬券をこっそり盗み見て真似るからだ。
狩りではなく拾い食い、それがフウタのスタイルだった。

人波をすり抜けながら、手元を見せている客、払い戻し所でニヤついている客、次レースの検討をしている客……そうした“ツイてる奴”の予想を目ざとく探しては、それを吸収していく。

「お、あのオヤジ当ててんな……ほう、10番に張ってるか」

そんな独り言をつぶやきながら、フウタは今日も“収穫”を続けていた。
そのときだった――彼の視界に、異質な男が映った。

黒シャツの男。

蒸し暑い日差しの中でも、重たい色のシャツを着込み、立ち姿は妙に落ち着いている。
その男は、手にした予想紙をじっと見つめ、そして――不敵に笑った。

(……こいつ、ツイてるな)

フウタのハイエナ勘が騒いだ。
目を凝らして背後に回り、そっとその予想紙を覗き込む。

しかし――

「……なんだありゃ」

思わず小声が漏れた。

予想紙に○が書き込まれていた馬は、ことごとく“負けた馬”ばかり。
5レース、6レース、7レース――すべて、馬群に沈んだ馬たちに○がついている。
そして次の8レースには、ほとんどの人間が印を打たないような穴馬に○がついていた。

(なんなんだコイツ……)

意味がわからず、フウタは困惑しながら男の背後をすり抜けていった。

午後2時20分、第8レース。
スタンドはまたしても悲鳴と歓喜に包まれた。
馬券が当たって叫ぶ者、外れて天を仰ぐ者――フウタもその中の一人だった。

「あ~くそっ……駄目かよ」

参考にした予想が見事に外れ、フウタはベンチに腰を落とした。
ふと、あの黒シャツの男を思い出す。あいつの予想も外れていたから今頃悔しがってるに違いない。そう思って、様子を見に戻った。

……だが。

黒シャツの男は、相変わらず予想紙を見つめ、そして――またしても、不敵な笑みを浮かべていた。

(……おかしなやつだな)

正体不明の違和感にフウタの背筋がぞわついた。
当たってもいないのに、笑う? 普通、悔しがるだろう。
まるで、負けることそのものに意味を見出しているかのような……そんな笑みだった。

その夜。

場末の居酒屋。酒と汗と煙草の匂いが入り混じる中、フウタは競馬仲間たちとテーブルを囲んでいた。

「――でさ、今日も外れたわけよ。だけど、今日すげえ奴見たぜ」

酔いも回り、調子づいたフウタは、黒シャツの男の話を肴に語り出す。

「予想紙には全部ハズレ馬。全レース、○つけた馬がハズレ。それでも、そいつは……ずっと笑ってやがったんだよ。ニヤッてな。不気味だろ?」

話を聞いていたひとりの仲間が、箸を止め、酒を置いた。

「……フウタ、全レース、ハズレだったのか?」

「そうだよ。なんだよ、急に」

その男はしばらく黙ってから、フウタの目をじっと見て言った。

「……そいつ、ひょっとしたらとんでもねえ奴かもしれねえぞ」

テーブルの空気が、ほんの少し冷えた気がした。

フウタは、その言葉の意味をまだ理解していなかった。

「10頭立てのレースで、配当のつかないハズレ馬を引く確率は10分の7なんだよ」
その男は酒も進まぬ顔で、話を続けた。

「適当に選んだとしても、2レース連続でハズレ馬だけを引ける確率は、10分の7の2乗で100分の49…大体2分の1だ。つまり、2回に1回は当たりに引っかかる。でもその男は、何レースも連続して外れ馬だけに印をつけてたんだろ?」

「だからなんだってんだよ?」とフウタ。
確率がどうのこうの言われても、ピンとこない。
フウタは眉をひそめ、うんざりしたように箸を動かした。

男はため息交じりに続ける。

「お前、逆のこと考えてみろよ。確実に“負ける馬”が1頭わかってるってことは、それ以外の中から勝ち馬を探せばいい。消去法で絞れるんだ。それって……めちゃくちゃ有利じゃねえか?」

フウタは箸を止めた。

言われてみれば……。

(あの黒シャツの男、もしかして……負ける馬に丸つけて、それ以外で勝負してたのか……?)

あの不敵な笑み。馬群に沈む印付きの馬たち。そして異様な静けさ。
すべてが、妙に納得できる形になった気がした。

翌週――土曜。中山競馬場。

前夜、深酒が過ぎたフウタは、正午を回ってようやく場内に入った。
まだ頭がボーッとしているが、今日の目的はひとつ。

「……いた」

スタンドの端、先週と同じ場所。黒シャツの男はまたしても静かに立っていた。
時折、手にした予想紙に目を落とし――不敵な笑みを浮かべる。

先週と同じだ。何も変わっていない。

フウタは音もなく背後に回り、男の予想紙を盗み見た。

(やっぱり……)

5レース、6レース――すでに終わったレースの○印がつけられた馬は、やはりことごとく負けていた。

(こいつはやっぱり、負ける馬に印をつけてる……)

そして今、予想紙には次の8レースの○印も記されていた。
それを見たフウタは、無意識のうちに呟いた。

「これで、その馬以外を狙えば……当たるって寸法か……」

しかし、そこで――ふと違和感が生じた。

(あれ……? こいつ……馬券買ってねぇな?)

今の時間なら、窓口や機械に並んでいるはずだ。けれど、男はその場を一歩も動かない。
人混みに流されることもなく、ただそこに、黙って立っているだけ。

フウタは思わず距離を取った。
そして気づけば――その後も、ずっと男の動きだけを追っていた。

8レース、9レース、10レース……
黒シャツの男は、一度も馬券を買いに行く素振りを見せなかった。
スマホを取り出して誰かに連絡するでもない。誰かが近づいて話しかける様子もない。

(……あいつ、何がしたいんだ?)

気がつけば、陽は傾き、最終レースが終わっていた。
ファンたちは次々にスタンドを後にし、場内に静寂が広がっていく。

フウタはひとり、ベンチに腰を下ろしながら空を見上げた。

(――あの黒シャツの男は、一体何者なんだ)

勝ちたいとか、儲けたいとか、そういう欲が感じられない。
ただただ、“負ける馬”に印をつけるだけの存在。

まるで、誰かに見せるためでも、買うためでもなく、負けを記録するためだけに存在しているかのような――そんな異様さがあった。

黒シャツの男は、静かに立ち去っていった。
その背中を、フウタはただ無言で見送った。

【後編】
「いやぁ……正直、気味が悪くてさ……」

いつもの居酒屋。
フウタは酒をあおりながら、あの黒シャツの男の話をした。

「だってよ、馬券買ってねぇんだぜ? ずっと負け馬に印つけて、笑ってんだよ……」

吐き出すように語るフウタに、仲間たちは気の抜けたような声で返す。

「でもさ、予想は当たってるんだろ?」

「だったら、そいつの予想だけ参考にすりゃいいじゃねえか。」

「そうそう。お前、今まで予想パクる時に、そいつが何者かなんて考えてたわけじゃねえだろ?」

――たしかに。

「そりゃまあ、そうだけどよ……」

フウタは気弱に呟いた。が、心の奥のざわつきは拭えなかった。

翌週――日曜。中山競馬場。

フウタは黒シャツの男を探した。
そして、見つけた――例のスタンドの一角。
男はいつも通り、微かに笑っていた。

……だが、様子が違った。

(予想紙を持ってねえ……!?)

不敵な笑みは変わらない。だが、あの紙が見えない。
(まさか……俺が盗み見してたのを警戒して?)

フウタは冷や汗をかいた。胸の奥がざらつく。

(でも……知りたい……あいつの予想が)

恐れを押し殺し、フウタは一歩ずつ、黒シャツの男に近づいていった。
そして、喉が詰まるような声で言った。

「……あ、あのよ……あんたの皐月賞の予想が知りたいんだけど、いくら出せば……」

男は振り向き、静かに言った。

「お気持ちで構いません。」

フウタは少し迷って、財布から千円札を1枚抜いて渡した。

男はポケットから小さな紙切れを出し、そこから馬名が印字された部分だけを切り抜いたような紙を手渡した。

フウタはその場を離れ、紙に書かれた馬名を見た瞬間、思わず叫んだ。

「――なんだこりゃ!?」

ホープインパクト

単勝オッズ1.0倍。ここまで無敗、世間が絶対本命と騒ぐ馬だ。

(こんな馬に丸をつけたのか!?)

フウタは混乱した。だが――思い直す。

(もし、他の馬が勝ったら配当はバカでかい……)

その魅力に勝てず、フウタはホープインパクト以外の馬を軸に流しにいった。

そして、皐月賞――発走。

ホープインパクトはいつも通り、先頭集団でレースを進めていた。
第3コーナー。周囲も、フウタも、ああ今日も勝つな――と思っていた、その時だった。

異変が起きた。

ホープインパクトが突如、失速した。

前脚をかばうような仕草。次の瞬間、倒れ込んだ。

観客の悲鳴とどよめき。
他の馬たちが、その脇を駆け抜けていく。

(――嘘だろ!?)

モニターに映るのは、倒れ込んだホープインパクト、駆け寄る医療スタッフ、救急車。
スタジオのキャスターが神妙な面持ちで状況を伝えていた。

(あいつ……これを予想してたのか……?)

フウタは馬券が的中し、かなりの額を手にしていた。
だが、それよりも先に来たのは、ゾッとする感覚だった。

恐る恐る――黒シャツの男の方を見る。

男は、あの時と同じ、不敵な笑みを浮かべていた。
その表情は、ホープインパクトの不幸を喜んでいるようにさえ見えた。

フウタは背筋を冷たいものが流れるのを感じた。
それでもあの男と渡りをつけておいたら――そう思い、金を差し出した。

手にした収益の3割ほど。
男は静かに受け取り――一言。

「恐れ入ります。」

――フウタは、問わずにはいられなかった。

「……あんたは……一体、何者なんだい……?」

黒シャツの男は答えた。

「死神と呼ばれています。」

――こうして、死神伝説が始まった。
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