予想屋死神

千三十四六

文字の大きさ
3 / 5

死神への挑戦状

しおりを挟む
競馬場のスタンド席で、ファンファーレが響き渡る。
騎手と馬が走る疾走感、場内を包む怒号と歓声、その全てが、樋上 明の鼓膜にはどこか遠く感じられた。

男の視線は、手元の競馬新聞に釘付けだった。
「スポーツウイナー」――週刊発行の、全国紙ではないが老舗の予想専門誌。その専属予想家として樋上は、もう15年近く飯を食っている。

的中率、およそ40%。

数字だけ見れば悪くない。いや、かなり優秀な部類だ。

競馬とは、勝ち馬を当てること。
16頭立てで1頭を見抜く。
基本的な確率は1/16、約6%。これを超える成績を維持できるのは、ごく一握りの専門家だけだ。

だが、近頃、彼の胸中を煮えたぎらせる名前があった。

「死神」

誰かはわからない。
正体も、性別も、顔も。
だが――“負ける馬”を100%で言い当てる、という。

くだらない、と初めは思った。
そもそも“負ける馬”とは何だ?
配当のつかない4着以下、あるいは賞金の入らない6着以下か。

勝ち馬予想と負け馬予想を、同列に扱うなど――競馬の神を冒涜する行為だ。

そう思っていた。いや、今も思っている。
だが―

「死神の予想が当たりすぎて怖い」
「人気馬を外すからオッズが上がってありがたい」
「プロの予想より信じられる」

…ネットやSNSで、こんな書き込みが、樋上の目にも頻繁に入るようになった。
しかも――彼のコラムのコメント欄にまでだ。

「死神の逆張りの方が勝率高い」
「樋上より死神の方が当たる気がする」
「死神とコラボしてください!」

馬鹿げてる……!

自宅の書斎で、何度机を叩いたかわからない。
だが――無視できないのもまた、事実だった。

「本当にいるなら、俺が競り勝ってやるよ」

静かな決意が、心の中に灯る。
競馬に人生を懸けた自負がある。
自分の予想は、記者としての目と、経験と、統計の結晶だ。

偶然の産物で、踏みにじらせてたまるか。

そして、樋上は動いた。

「スポーツウイナー」3月第3週号。
いつもは堅実なレース分析や有力馬紹介が並ぶ中――
巻頭コラムに、異例の一文が掲載された。

《挑戦状》
最近話題の“死神”という予想家に告ぐ。
あなたの予想が本物ならば、正面から私と勝負してみませんか?

ルールは簡単。
〇月第×週の東京競馬場開催の全レースを対象に、「この馬は負ける」と思う1頭を、私宛にご提出ください。

私も「この馬が負ける」と思う1頭を、紙面で堂々と発表します。

結果は、読者が見届けてくれるはずです。

ご連絡は編集部宛に、郵送でお願いします。

競馬は、勝つか負けるか――
あなたの“予想力”が本物なら、受けてくれるでしょう。
――樋上 明(スポーツウイナー専属予想家)

記事はSNSで爆発的に拡散された。
“あの樋上が死神に挑戦状を?”
“これって業界のガチ勝負では?”
“死神、出てこいよ!”
“どうするのこれ……偽物いっぱい出てきそう”

当然のことながら、賛否両論が巻き起こった。

中には冷笑もあった。
“プロ予想家が都市伝説にマジギレしてるw“
“どうせ死神なんていないんだから、痛いだけ“

――数日後。編集部の一室。
樋上は、机の上に積まれた茶封筒の山を前にして、思わず眉をひそめた。
「……これ、全部?」

若手編集員が困ったように笑った。
「はい。封筒にも、中の紙にも“死神”って書いてあるのが、ざっと300通以上」

彼の告知から数日――予想家としての挑戦状は、思いもよらない反響を生んだ。
死神本人どころか、似ても似つかぬ者たちが“自分こそ死神だ”と名乗って予想を送ってきたのである。

封筒の中身は、「この馬が負ける」と走り書きしたメモから、新聞の切り抜きに丸をつけただけのもの、果ては「全馬が負ける」と書いた意味不明な予想まで、玉石混交だった。

「全部読んでたら日が暮れるぞ…」

樋上は苦笑しつつ、次々と封筒を開けていった。
しかし――どれも予想の中身からは、真偽の判断がつかない。

そのときだった。

「……ん?」

ある封筒から、異質なものが出てきた。
それは、マークシートの束だった。

中央競馬用のマークシート。
よく見ると――
競馬場、レース番号の欄は1つだけ塗りつぶされてた。
そして、1着の欄は1頭だけが“白抜き”で、他は塗りつぶされていた。

普通なら、当てたい馬だけを塗りつぶす。しかしこれは明らかに逆だ。
白抜きの馬=“来ない”という意味に取れる。

樋上の心臓が高鳴った。

これだ――!

違和感なく、しかし強烈に直感が走る。
これまでの雑多な“死神もどき”とは明らかに違う。

続くように、封筒の底から一枚の印字された紙が現れた。

――――
拝啓 スポーツウイナー 樋上様
死神と呼ばれています。
あなたの挑戦、お受け致します。
――――

印字された文面だけで、なぜか寒気に似た緊張が走った。
手紙は短いが、妙な威圧感がある。

さらに追い打ちをかけるように――

「樋上さん!編集部にお客様です!」

呼び出されてロビーに出た樋上の前には、ライバル紙「馬勝新聞」の記者が立っていた。
手には白い封筒。

「うちに、こんな手紙が来たんですよ。」

――――
死神と呼ばれています。
スポーツウイナー様宛に、マークシートにて予想をお送りしました。
ご確認お願い致します。
――――

「馬勝新聞」の記者は机上に散乱しているマークシートに目を留めた。

マークシートの1枚を手に取り、興味深そうに眺め始めた。
「一か所だけ白抜きになってる…。ああ、これが死神が送ったっていうマークシートですね。」

「……上手くやりやがったな」

樋上は苦笑した。
握りつぶせないように、他媒体にも連絡していた。

もはや、このマークシートこそが本物――そう確信するしかなかった。

こうして、「死神 vs 樋上」の負け馬予想対決は、正式にメディアで報じられ、競馬ファンの注目を集める一大イベントとなった。

SNSでは様々な声が飛び交った。

「マークシートで?」
「死神は“紙片”で渡すんじゃなかった?」
「今回は自作自演じゃないのか?」

だが、“死神”を名乗る文面と、独特な予想形式、周到な手回しに――「これこそ本物だ」という空気がじわじわと広がっていった。

迎えた日曜。
中央競馬の全レースで、死神のマークした馬は全て6着以下に沈んだ。
一頭も圏内に入らなかった。

一方の樋上。
10レースは的中したが、2レース、「この馬は負ける」と予想した馬が1着となってしまった。

会議室で速報を確認していた編集部に、重苦しい空気が漂う。
樋上は、静かに額を押さえた。

「……たった2レース、されど2レース、か」

翌週。
「死神、予想家樋上を圧倒」「100% vs 83.3%の現実」「負ける馬を読む“逆賭博理論”とは」――
メディアはこぞって“死神の勝利”を報じた。

だが、それで終わりではなかった。

「……なんだよ、これ」

その後の数週間。
樋上の本職である勝ち馬予想の精度が、目に見えて崩れ始めたのだ。

いつも通りの理論で組んだ予想が外れる。
調教タイムも展開読みも、なぜかハマらない。

「的中率、今週も18%。先週は11%。」

「10%切るんじゃ……?」

編集部の若手が、心配そうに目を伏せる。
ネット上では、「樋上さん死神化」「逆死神の呪い」などと書かれ、揶揄される始末だった。

そして1ヶ月後――
「スポーツウイナー」誌上に、再び見慣れたフォントの見出しが踊った。

《再挑戦》
スポーツウイナー予想家・樋上明、再び死神に挑む!
同形式・全レース予想対決、リターンマッチ決定!

「やめとけやめとけww」
「……恥の上塗り」
「本業の予想をどうにかしろよw」
とSNSは騒然となった。

リターンマッチの告知を終えた頃から、樋上 明の頭の中にあったのは、ただひとつだけだった。

「死神の100%神話を崩すこと」

もはや彼にとって、自分の予想が当たるか外れるかなど、どうでもよかった。
“死神の予想が外れる”という事実さえ世間に広まれば、自分は再び脚光を浴びる――その思いに取り憑かれていた。

やがて、前回と同様に、編集部に一束の郵送物が届いた。中身は前とまったく同じだった。競馬場名とレース番号、白抜きされた番号が1頭だけ残るマークシートの束、そして一通の手紙。

――――
拝啓 スポーツウイナー 樋上様
死神と呼ばれています。
リターンマッチの件、承知致しました。
予想を送付致します。
――――

樋上は手早く中身を確認した。前回と同じ構成。つまり、本物の死神の予想と見て間違いない。
そして、その中の一枚、東京1レースのマークシートに目を留めた。白抜きになっていたのは3番。

樋上はその場で1枚のマークシートを作成した。死神のそれと同じ形式。しかし、白抜きにしたのは4番。

そして、死神が送ってきた3番白抜きマークシートを自作の4番白抜きマークシートに差し替えた。
「死神が4番を“負ける馬”として予想した」ことにする偽装工作だった。

死神がライバル紙にも手紙を送っているだろうことは、樋上も承知していた。だからこそ、一刻も早くすり替えを完了させる必要があった。

数時間後。案の定、前回と同じように、馬勝新聞の記者が編集部を訪れた。

「こんにちは~、また死神から予想届いてますか?」
その軽い口調とは裏腹に、記者の目は鋭かった。

「届いてるよ。」
樋上は平然を装いつつ、答えた。

リターンマッチの当日、両者の予想が紙面に掲載された。

樋上の予想は的中に恵まれなかった。全12レース中、5レースも外した。
だが、それよりも衝撃的なニュースが、飛び込んできた。

「死神、東京1Rで外れ。100%神話、ついに崩壊か?」

紙面も、ネットも、SNSも騒然となった。
ついに“死神”が予想を外した。――その衝撃は計り知れなかった。

だが、事態はすぐに急展開を迎えた。

翌朝、馬勝新聞の記者が緊急記者会見を開いた。

「今回は我々の元にも死神から予想のマークシートが送られており、記録として保管していました。ですが、スポーツウイナー様が公表した死神の予想内容と、我々のものが一致していないことに気づいたのです」

会見場に張り出されたのは、馬勝新聞に届いた“東京1R・3番白抜き”のマークシート。
つまり、死神は3番を“負ける馬”として予想していたのだ。レース結果を見ると、3番は14着。間違いなく“負けて”いた。

一方で、スポーツウイナー紙上で“死神の予想”とされたのは4番。結果、4番は勝利しており、死神が外したことになっていた。

――偽装がバレた瞬間だった。

奴は、俺がマークシートをすり替えることを“予想”していた。
そして、今回は他ライバル紙にも予想のマークシートを送っていた――

「……俺が、こんなことも“予想”できなかったなんてな……」

予想家の矜持も誇りも打ち砕かれた――いや、自ら打ち砕いた樋上。
彼は会見映像を見ながら、自虐的に笑った。

1ヶ月後。
スポーツウイナーの予想家欄から「樋上明」の名前は消えていた。

代わりに、東京競馬場のスタンドに、帽子を目深にかぶった男の姿があった。
それが、肩書きを失った元予想家・樋上明だった。

静かな午後。
彼の視界に、黒いシャツと黒いパンツ、そして黒髪の男が映る。

「……!」

心臓が跳ねた。間違いない、あの佇まい。

「……あんたは……」

男は、わずかに口元をほころばせて言った。

「死神と呼ばれています。」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...