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夜明け前
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夜更け前
萌絵と晴香は、特に約束したわけでもなくファミレスにいた。
どちらかが「行く?」と言って、もう一人が「まあ」と返しただけだ。
店の外は暗くて、道路沿いのネオンがぼんやり光っている。
光っているというより、消えきらずにそこに残っている感じだった。
自動ドアが開くと、油とソースの匂いが混ざった空気がゆっくり出てきた。
中は思ったより静かだった。
明るすぎない照明と、歌詞の聞き取れない洋楽みたいな音楽。
客はまばらで、好きなボックス席を選べる。
「ここでいい?」
「うん」
それだけで決まる。
メニューを開くまでもなく、頼むものはもう決まっていた。
二人とも、だいたい同じものしか頼まない。
ドリンクバーでコーヒーを入れる。
萌絵は少し薄めにして、晴香はいつも通りの量を注ぐ。
どっちが先に席に戻ったかは、もう覚えていない。
ポテトと、パフェを一つ頼んだ。
二人分だけど、分ける前提の注文だった。
料理が来るまでの時間、特に話すことはなかった。
スマホを見たり、見なかったり。
萌絵は通知を全部既読にしてから、画面を伏せる。
「眠くない?」
「別に」
「私も」
それで終わる。
ちょうどいいタイミングで、ポテトが来る。
熱くも冷たくもない、ちょうど中途半端な温度。
萌絵が一本取って、晴香も一本取る。
ケチャップは、なんとなく今日は使わなかった。
ポテトは音もなく減っていく。
隣の席から、知らない人たちの会話が少しだけ聞こえる。
誰かのバイトの愚痴と、テストの話と、最近見たドラマのオチ。
途中で笑い声がして、すぐに途切れる。
聞こうとしなければ、意味までは届かない距離だった。
聞こうとしなくても、単語だけは勝手に耳に残る。
パフェが来る。
思っていたより大きい。
「でか」
「まあいいじゃん」
晴香がスプーンを刺して、萌絵に渡す。
アイスの角が少し崩れる。
生クリームのてっぺんが、ほんの少しだけ傾く。
「なんかさ」
「ん?」
「虚無だわ」
「わかる」
それ以上は言わない。
「虚無だわ」の中身について説明する元気も、たぶん聞く気力もなかった。
コーヒーをおかわりする。
味はさっきと同じでいいと思った。
違う味にしたところで、今の感じが変わる気はしなかった。
沈黙が長くなる。
でも、長いかどうかを測る人はいなかった。
晴香はスマホを見て、すぐ伏せる。
萌絵はテーブルの端に肘を置いて、指先で紙ナプキンを折る。
三角にして、また伸ばして、なんとなく丸める。
厨房の方から、油のはねる音がした。
店員がトレーを持って歩く足音と、遠くの席でグラスが当たる小さな音。
それだけで、この店がぎりぎり「営業中」だと分かるくらいの気配だった。
外では車が通っている。
音はガラス越しに丸くなって入ってくる。
ヘッドライトが窓をかすめるたび、店内の影が少しだけ動く。
「この時間さ、何もしてない感じするよね」
「してないね」
「でも、別に嫌じゃない」
萌絵は頷いた。
頷きながら、自分が何かを肯定したのかどうか、よく分からなかった。
理由は探さなかった。
「家いたらさ」
「なんか、ちゃんと何かした方がいい気がしない?」
「する。宿題とか」
「しないけどね」
「しないね」
二人とも、ちょっとだけ笑う。
笑ったこと自体を、すぐに忘れそうな笑い方だった。
パフェが、いつの間にか半分くらいになっている。
アイスは少し溶けて、グラスの内側をゆっくり流れていた。
「これさ」
「覚えてると思う? 明日」
「今日の?」
「うん」
晴香は、少し考えるふりをした。
「覚えてないと思う」
「だよね」
少し間があって、晴香が言う。
「てか、いつもこんなじゃない?」
「それな」
それで、この話題は終わる。
パフェがなくなって、ポテトの皿も空になる。
テーブルの上には、コーヒーのカップだけが残る。
縁についたコーヒーの跡が、少しずつ増えていた。
時計を見る。
思っていたより時間が経っていた。
帰らなきゃいけない時間と、まだ帰りたくない時間が、ちょうど真ん中辺りで重なっている。
「そろそろ帰る?」
「うん」
立ち上がる前に、二人とも最後の一口だけコーヒーを飲む。
別に、飲み切る必要はないのに、なんとなくそうした。
会計をして、店を出る。
自動ドアが開いて、夜の空気が触れてくる。
さっき入ってきたときより、少しだけ冷たくなっていた。
外は相変わらず暗い。
ネオンはまだ光っていて、さっきより少しだけ遠く感じた。
車のライトが、道路の白線を断片的に浮かび上がらせては、すぐ飲み込んでいく。
二人は駅の方へ歩き出す。
歩幅は、自然に揃っていた。
「眠くなってきた」
「さっき眠くないって言ってたじゃん」
「今なった」
「便利だね」
「私だからね」
そんな会話をしながら、信号のところで立ち止まる。
青になるまでの時間が、さっきまでのファミレスよりもずっと長く感じた。
今日のことを思い出すかどうかは分からない。
思い出さなくても困りはしないはず。
ガラス越しの明かりと、ポテトの匂いらと、溶けかけたパフェの甘さと、
何も決めないまま座っていた時間だけが、
ゆっくりと、どこかに沈んでいた。
萌絵と晴香は、特に約束したわけでもなくファミレスにいた。
どちらかが「行く?」と言って、もう一人が「まあ」と返しただけだ。
店の外は暗くて、道路沿いのネオンがぼんやり光っている。
光っているというより、消えきらずにそこに残っている感じだった。
自動ドアが開くと、油とソースの匂いが混ざった空気がゆっくり出てきた。
中は思ったより静かだった。
明るすぎない照明と、歌詞の聞き取れない洋楽みたいな音楽。
客はまばらで、好きなボックス席を選べる。
「ここでいい?」
「うん」
それだけで決まる。
メニューを開くまでもなく、頼むものはもう決まっていた。
二人とも、だいたい同じものしか頼まない。
ドリンクバーでコーヒーを入れる。
萌絵は少し薄めにして、晴香はいつも通りの量を注ぐ。
どっちが先に席に戻ったかは、もう覚えていない。
ポテトと、パフェを一つ頼んだ。
二人分だけど、分ける前提の注文だった。
料理が来るまでの時間、特に話すことはなかった。
スマホを見たり、見なかったり。
萌絵は通知を全部既読にしてから、画面を伏せる。
「眠くない?」
「別に」
「私も」
それで終わる。
ちょうどいいタイミングで、ポテトが来る。
熱くも冷たくもない、ちょうど中途半端な温度。
萌絵が一本取って、晴香も一本取る。
ケチャップは、なんとなく今日は使わなかった。
ポテトは音もなく減っていく。
隣の席から、知らない人たちの会話が少しだけ聞こえる。
誰かのバイトの愚痴と、テストの話と、最近見たドラマのオチ。
途中で笑い声がして、すぐに途切れる。
聞こうとしなければ、意味までは届かない距離だった。
聞こうとしなくても、単語だけは勝手に耳に残る。
パフェが来る。
思っていたより大きい。
「でか」
「まあいいじゃん」
晴香がスプーンを刺して、萌絵に渡す。
アイスの角が少し崩れる。
生クリームのてっぺんが、ほんの少しだけ傾く。
「なんかさ」
「ん?」
「虚無だわ」
「わかる」
それ以上は言わない。
「虚無だわ」の中身について説明する元気も、たぶん聞く気力もなかった。
コーヒーをおかわりする。
味はさっきと同じでいいと思った。
違う味にしたところで、今の感じが変わる気はしなかった。
沈黙が長くなる。
でも、長いかどうかを測る人はいなかった。
晴香はスマホを見て、すぐ伏せる。
萌絵はテーブルの端に肘を置いて、指先で紙ナプキンを折る。
三角にして、また伸ばして、なんとなく丸める。
厨房の方から、油のはねる音がした。
店員がトレーを持って歩く足音と、遠くの席でグラスが当たる小さな音。
それだけで、この店がぎりぎり「営業中」だと分かるくらいの気配だった。
外では車が通っている。
音はガラス越しに丸くなって入ってくる。
ヘッドライトが窓をかすめるたび、店内の影が少しだけ動く。
「この時間さ、何もしてない感じするよね」
「してないね」
「でも、別に嫌じゃない」
萌絵は頷いた。
頷きながら、自分が何かを肯定したのかどうか、よく分からなかった。
理由は探さなかった。
「家いたらさ」
「なんか、ちゃんと何かした方がいい気がしない?」
「する。宿題とか」
「しないけどね」
「しないね」
二人とも、ちょっとだけ笑う。
笑ったこと自体を、すぐに忘れそうな笑い方だった。
パフェが、いつの間にか半分くらいになっている。
アイスは少し溶けて、グラスの内側をゆっくり流れていた。
「これさ」
「覚えてると思う? 明日」
「今日の?」
「うん」
晴香は、少し考えるふりをした。
「覚えてないと思う」
「だよね」
少し間があって、晴香が言う。
「てか、いつもこんなじゃない?」
「それな」
それで、この話題は終わる。
パフェがなくなって、ポテトの皿も空になる。
テーブルの上には、コーヒーのカップだけが残る。
縁についたコーヒーの跡が、少しずつ増えていた。
時計を見る。
思っていたより時間が経っていた。
帰らなきゃいけない時間と、まだ帰りたくない時間が、ちょうど真ん中辺りで重なっている。
「そろそろ帰る?」
「うん」
立ち上がる前に、二人とも最後の一口だけコーヒーを飲む。
別に、飲み切る必要はないのに、なんとなくそうした。
会計をして、店を出る。
自動ドアが開いて、夜の空気が触れてくる。
さっき入ってきたときより、少しだけ冷たくなっていた。
外は相変わらず暗い。
ネオンはまだ光っていて、さっきより少しだけ遠く感じた。
車のライトが、道路の白線を断片的に浮かび上がらせては、すぐ飲み込んでいく。
二人は駅の方へ歩き出す。
歩幅は、自然に揃っていた。
「眠くなってきた」
「さっき眠くないって言ってたじゃん」
「今なった」
「便利だね」
「私だからね」
そんな会話をしながら、信号のところで立ち止まる。
青になるまでの時間が、さっきまでのファミレスよりもずっと長く感じた。
今日のことを思い出すかどうかは分からない。
思い出さなくても困りはしないはず。
ガラス越しの明かりと、ポテトの匂いらと、溶けかけたパフェの甘さと、
何も決めないまま座っていた時間だけが、
ゆっくりと、どこかに沈んでいた。
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