15 / 30
音のない世界
第15話
しおりを挟む◇
目を覚ましたとき、天井のシャンデリアがぼんやりと視界に映った。
——ここはどこやったっけ?
ゆいは、まだ夢の中にいるような感覚のまま、ゆっくりと身体を起こした。
部屋の空気はひんやりしていて、ほのかに香水の匂いが漂っている。
リビングのソファには、ナナが毛布にくるまりながら眠っていた。
ユウカは床に寝転び、ポッキーの箱を枕代わりにしている。
アオイだけはすでに起きていて、キッチンで水を飲んでいた。
「お、起きた?」
アオイが気づいて、軽く手を振る。
ゆいは頷き、スマホを手に取った。
「おはよう」
「おはよーさん。昨日の夜、思ったより騒ぎすぎたな」
アオイは少し笑いながら、冷蔵庫を開ける。
「……腹減ってへん? なんか食う?」
ゆいは一瞬迷ったが、「うん」と打ち込んだ。
アオイは冷蔵庫から適当にヨーグルトを取り出して、ゆいに渡す。
「ほれ、これでええ?」
「ありがとう」
ゆいは、それを受け取ってスプーンを口に運んだ。
——ここに来てから、誰かとこんな風に朝を迎えるのは初めてやった。
家を出て、ひとりになったはずやのに。
この場所には、同じように「居場所を求めてる」人たちがいた。
ゆいはスマホを見つめながら、心の中の何かが少しずつ変わっていくのを感じていた。
「——さて、そろそろ行くで」
部屋のドアが開き、マチが無造作に入ってきた。
「お前、今日の仕事の内容、ちゃんと覚えとるか?」
ゆいは頷き、スマホに「金の受け渡しの確認」と打ち込む。
「そうや」
マチは腕を組みながら、ゆいを見た。
「ただの“確認”や。でもな、そんなんで済むとは限らん」
「……?」
「そもそも、うちらの金を持っとるのに、何週間も払わへん時点で、向こうはナメとる可能性が高い」
ゆいは、スマホを握りしめた。
「つまり?」
「覚悟しとけってことや」
マチは、にやっと笑う。
「まぁ、いきなりお前に戦えとは言わへんけどな」
「……」
「でも、どこまで“強く”なれるか——お前次第やで」
そのとき——。
「話は聞かせてもろたわ」
ドアの向こうから、美柑が現れた。
昨日の夜のままの余裕のある表情。
ただ、少しだけゆいのことを試すような目をしていた。
「ほんなら、お前に聞こうか」
美柑はゆいの正面に立ち、じっと目を見つめる。
「お前、昨日“強くなりたい”って顔しとったけど——ほんまにそうなん?」
ゆいは、スマホを握りしめた。
「……」
「まぁ、答えんでもええ」
美柑は笑う。
「でも、今日の仕事で、お前がほんまにこっちの世界でやっていけるか、決まるんやで」
「……」
ゆいは、その言葉を噛み締めながら、スマホに短く打ち込んだ。
「わかった」
美柑は、その文字を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「ほな、行こか」
ゆいは立ち上がり、初めての「交渉」の場へと向かう。
「ほな、行こか」
美柑にそう言われ、ゆいはマチとともにマンションを出た。
街は朝の光を浴びていたが、ゆいの心の中はどこか曇っていた。
——これは、ただの確認やない。
マチが言っていた「覚悟しろ」という言葉が、ずっと頭の中で繰り返されていた。
「大丈夫か?」
マチがタバコをくわえながら歩く。
ゆいはスマホに「うん」と打ち込む。
「ほんならええ」
三宮の駅を抜け、繁華街の端にある雑居ビルへと向かう。
目指すのは、そのビルの3階にあるバーの裏部屋や。
——ゆいにとって、初めての「仕事」の場所。
◇
狭い階段を上り、重たい鉄製のドアを押す。
薄暗い店内には、酒の匂いとタバコの煙が充満していた。
カウンターの奥から、ガラの悪い男が顔を出す。
「誰や?」
マチが無造作に歩み寄り、男の顔を覗き込む。
「お前、田村やろ?」
男——田村は30代前半くらい。
髪は金髪に染めているが、根元は黒く伸び、
派手なブランドジャージの上下を着ていた。
どこかホスト崩れのチンピラという感じやった。
「……なんやねん、朝っぱらから」
「決まっとるやろ」
マチはポケットから折りたたんだ紙を取り出し、田村の胸元に突きつけた。
「これ、お前の未払い分や。さっさと払えや」
田村は、その紙をちらりと見て、苦笑する。
「はぁ……そんなん、すぐ払え言われてもなぁ」
「お前、何週間待たせとる思っとんねん?」
マチの声が一気に低くなる。
ゆいは、スマホを握りしめながら、じっと2人を見つめていた。
——この場の空気が変わる瞬間を、肌で感じた。
「いや、払うつもりはあるんやけどな」
田村はニヤニヤしながらカウンターに寄りかかる。
「ちょっと時間が欲しいねん」
「時間?」
「せや。あと……1ヶ月くらい待ってくれたら、なんとかすんで」
マチの目が細くなる。
「お前、ナメとんのか?」
「ナメてへんやん。ただ、もうちょい待ってくれってだけの話や」
田村は飄々とした態度のまま、足を組んだ。
「そっちの子は、新入りか?」
田村の視線が、ゆいに向けられる。
「……」
「おいおい、めっちゃ可愛いやん。どこで拾ってきたん?」
田村は口元を歪めながら笑う。
「お前も、こんなとこおらんと、もっとええ仕事したほうがええんちゃう?」
ゆいは、何も言わずにスマホを見つめたまま、じっと田村を見た。
——この男は、絶対に払う気がない。
マチは、短く息を吐くと、ポケットから何かを取り出した。
カチッ
折りたたみナイフの刃が光る。
「お前、ほんまに払うつもりないんか?」
「……!」
田村の顔から、わずかに余裕が消える。
「おいおい、ちょっと待てって……」
「待てへん。払えんのか? 払われへんのか?」
マチは無表情のまま、ナイフを田村の喉元に押し当てた。
「——せやなぁ」
田村は一瞬の沈黙の後、薄く笑った。
「じゃあ、代わりにこの子置いていくってのは?」
ゆいの身体が一瞬、固まる。
「……っ」
「おい、お前……」
マチの目が一気に鋭くなった瞬間。
「——払うんか、払わへんのか」
ゆいが、スマホにそう打ち込み、田村に突きつけた。
「……え?」
「金がないなら、どうするか決めろや」
ゆいの指が震えていた。
でも、引くわけにはいかへんかった。
「……ちっ」
田村は、舌打ちをして、ポケットから財布を取り出した。
「わかったわ。半分だけなら、今払える」
「残りは?」
「……来週」
マチはナイフをしまい、腕を組む。
「しゃーない。ほな、来週また来るわ」
田村は、しぶしぶ金をカウンターに置く。
「ほな、次は待たへんで」
マチがそう言い、ゆいの肩を軽く叩く。
「行くで」
ゆいは、スマホを握りしめたまま、その場を後にした。
「……お前、さっき震えてたな」
ビルを出たあと、マチがふと笑った。
「緊張してた?」
ゆいは、「うん」と打ち込む。
「まぁ、初めてやしな」
マチはポケットからタバコを取り出し、火をつける。
「でも、お前、ちゃんと立っとったで」
「……」
「お前が、最後に“決めろ”言うたから、あのアホも折れたんや」
ゆいは、スマホの画面を見つめたまま考えた。
——これが、“仕事”なんや。
交渉なんて、綺麗ごとじゃない。
相手が払う気がないなら、それを強制的に引き出す。
——強さが必要なんや。
ゆいは、スマホに短く文字を打った。
「次は、もっとちゃんとできる」
マチは、それを見て、ニヤッと笑う。
「ええ心がけや」
「ほな、美柑ちゃんに報告しに行こか」
ゆいの心の中で、ほんの少しだけ“覚悟”が生まれ始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
もう一度、やり直せるなら
青サバ
恋愛
告白に成功し、理想の彼女ができた。
これで全部、上手くいくはずだった。
けれど――
ずっと当たり前だった幼馴染の存在が、
恋をしたその日から、
少しずつ、確実に変わっていく。
気付いた時にはもう遅い。
これは、
「彼女ができた日」から始まる、
それぞれの後悔の物語。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語
ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。
だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。
それで終わるはずだった――なのに。
ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。
さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。
そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。
由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。
一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。
そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。
罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。
ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。
そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。
これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?
すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。
お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」
その母は・・迎えにくることは無かった。
代わりに迎えに来た『父』と『兄』。
私の引き取り先は『本当の家』だった。
お父さん「鈴の家だよ?」
鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」
新しい家で始まる生活。
でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。
鈴「うぁ・・・・。」
兄「鈴!?」
倒れることが多くなっていく日々・・・。
そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。
『もう・・妹にみれない・・・。』
『お兄ちゃん・・・。』
「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」
「ーーーーっ!」
※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。
※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。
※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)
クラスで3番目に可愛い無口なあの子が実は手話で話しているのを俺だけが知っている
夏見ナイ
恋愛
俺のクラスにいる月宮雫は、誰も寄せ付けないクールな美少女。そのミステリアスな雰囲気から『クラスで3番目に可愛い子』と呼ばれているが、いつも一人で、誰とも話さない。
ある放課後、俺は彼女が指先で言葉を紡ぐ――手話で話している姿を目撃してしまう。好奇心から手話を覚えた俺が、勇気を出して話しかけた瞬間、二人だけの秘密の世界が始まった。
無口でクール? とんでもない。本当の彼女は、よく笑い、よく拗ねる、最高に可愛いおしゃべりな女の子だったのだ。
クールな君の本当の姿と甘える仕草は、俺だけが知っている。これは、世界一甘くて尊い、静かな恋の物語。
女子ばっかりの中で孤軍奮闘のユウトくん
菊宮える
恋愛
高校生ユウトが始めたバイト、そこは女子ばかりの一見ハーレム?な店だったが、その中身は男子の思い描くモノとはぜ~んぜん違っていた?? その違いは読んで頂ければ、だんだん判ってきちゃうかもですよ~(*^-^*)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる