お前の唇に触れていたい

五嶋樒榴

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相談相手

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準備が整えられたオペ室に橋元が入った。
「ではこれから、髄膜腫による、脳腫瘍摘出術を始めます。よろしく」
一同は一礼した。
「頭蓋骨開けるよ。メス」
オペ看の春香が橋元のスピードに対応する。
「ドリル」
橋元が手術用顕微鏡を覗きながら手術は始められた。
無駄な話は一切なく、スピーディーになおかつ丁寧に脳腫瘍は掻き出され、剥がし取られていった。
スキンステープラーで傷を縫合し、手術は無事終わった。
「しゅーりょ。お疲れさんでしたー」
橋元はそう言ってオペ室を出て行った。
春香がすぐ橋元を追ってきた。
「やっぱり早いわね。見ていて1番安心な手術だわ」
「当たり前でしょ。俺だよ?」
橋元がそう言うと春香は笑う。
「午前中からずっと話題になってるわよ、そのキスマーク。全く、眠れる獅子が起きると大変ね」
今まで大人しくしていた分、今回のキスマークはあちこちで話題になっていて、橋元は優越感があった。
「お前も彼氏に全身キスマークつけてもらえよ」
ふふふと笑って橋元が言うと、春香は橋元の背中をバン!と叩いた。
「それ、セクハラだから」
ニヤッとして春香が言うと、橋元は口元に拳を当てて咳払いをした。
「………俺さ、元彼と再会したんだよ」
橋元の告白に春香は橋元を見る。
「あらま。修羅場?」
「そうならないために、恋人、礼央って言うんだけど、礼央には全てを話した」
橋元の恋人の名前を初めて聞かされ、橋元の礼央への本気度が春香にも分かった。
「随分礼央君にご執心ね」
「うん、もう離せない。でね、この先どーしよーかとこれでも悩んでるんだけど?」
橋元はそう言いながら、病院のカフェに親指を向けた。
「コーヒーご馳走するから少し良い?」
春香は腕時計を見て微笑む。
「仕方ない。少しだけ付き合ってやる。その代わりケーキセットね」
橋元は笑うと春香とカフェに入った。
「………まさか、ここの製薬会社の人間と付き合ってたとはね」
橋元から郁也の話を聞かされ春香は呆れる。
「しょうがないでしょ。その当時は好きだったんだから。んで、ビミョーな距離でプレッシャーかけられてる」
病院内で話す会話じゃないだろうと思いながら春香は話を聞いていた。
橋元も流石に、昔の黒歴史の写真を郁也が持っている話はできなかった。
「礼央にはそれも全て話したけど、1番気になるのは、いつマンションを突き止められるかだな。何事もなく離れていってくれれば問題はないんだけど。流石に病院からあてがわれているマンションを引っ越すのは簡単には行かなくてさ。元恋人が怖くて引越ししたいです。なんて言えねーじゃん」
ふふふと笑いながら橋元は言う。その緊張感のない顔に春香は笑うしかなかった。
「マンションは個人情報だから、簡単にバレる事はないだろうけどね。あんたをストーカーするには高度だしね」
いつ病院から出るか分からない、橋元の行動を探るのは容易ではない。
「でも用心しておかないとね。一応いろんなスタッフと気軽にコミュニケーション取れる立場の相手だから、ちょっとしたことであんたの行動やマンションなんてバレまくるだろうし」
春香の言葉に橋元は頷く。コーヒーを啜りながら頬杖をついた。
「いっそのこと、礼央を見せちまうかな。んで、諦めてくれ!って言っちまうか」
捨て鉢な橋元に春香は笑う。
「あんた、その発想マジ馬鹿だから。あんたはスッキリするだろうけど、礼央君の立場になったらキッツイわよー」
春香の言葉に橋元はため息をつく。
「だよね。ただでさえ嫉妬深いからさぁ」
「言ってたね。だったら尚更、自然と相手が諦めるまで待つしかないでしょ?ってあんたの自意識過剰ではない?あんたが思っているほど、あっちはあんたに固執してないかもよ」
春香の言葉がそうであって欲しいと橋元も思っていた。
ただ再会したことで、郁也が橋元に面白がって絡んでくるだけだと思いたかった。
本心は、かつて愛した男が、自分を困らせたり、礼央に危害を加えたりするなど考えたくもなかった。
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