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第四章

1.暗殺屋

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「すると何ですか、一度死んだ人間が生きている、と」
 「そうなんだ。あの娘は確かに私が過去エア・カーでひき殺した筈の娘だ……それなのに、メイン・コンピューターの記憶では生存し、あの研究室にいる」

  幾何学大学から少し離れた高級ホテルの一室。
  暗殺屋の一人は、依頼者が纏めた調査書をめくりながら、愉快そうに笑った。

 「馬鹿馬鹿しい……まさか彼女が化けて出て来たとでも言うのですか」
 「あの時、確かに死亡届が出されていたんだ! 信じてくれ」

  男が、机をばんっと両手で叩くと、調査書がその勢いで周囲にひらりと舞い、床に落ちた。

 「貴方の殺した女性を、もう一度殺して欲しいと、そう言う事ですか」

  乗り気でない暗殺屋に対して、男は引き下がらなかった。

 「金なら好きなだけやる――頼む、あの娘がもし私の事を覚えていたなら……」
 「大人しく自首なさったらどうです?」

  男は絶望に歪んだ表情で、暗殺屋の一人を見つめた。

 「冗談です。我々は金さえ積まれれば、何でもやりますよ」
 「有難い。指定の口座に、近いうちに金を振り込もう。希望の金額は?」
 「そうですね。取り合えず、三億用意して貰いましょう」
 「三億……!?」

  暗殺屋の一人は、そう告げると、男は肩を落とした。
  そんな大金は持ち合わせていないのである。

 「――――人一人、殺すんですよ? 我々は、それ相応のリスクを背負わなければならない。当然の金額だと思いますが……」
 「…………少し考えさせてくれ」

  暗殺屋は、「では、一週間後に」と言い残すと、弾力のいいソファから立ち上がり、部屋を出て行った。

  男は破滅の足音が近づいてくる気配を感じていた。

                  ☆

 神崎の研究室は非常線が張られ、大学警察以外、誰一人として立ち入りが出来ない状態だった。

  ブレイン朝日は、外側から研究室の中を覗き込もうとしたが、大学警察に阻まれ、それも不可能だった。
  朝日は自分が失敗したという自覚はない。ただ、依頼通りに職務を遂行したまでだ。

  なのに、この決まりの悪さは何だろうか。

  十歳という若さから、大学警察に連行される事はなかったため、独りでぽつんと研究室の前に立っていた。
  こんな風に置き去りにされるのは、今日が初めじゃない。

  そう、あの時も。

  そんな中、朝日の携帯が鳴った。

 「はい、森沢です」
 「神崎だ。何が起こったのか説明してくれ」

  電話の相手は、神崎の父、神崎保教授である。

 「あのディスクは罠でした。パスワードが解けた時点で、メインコンピーターに不正にアクセスするよう、プログラミングされてあったようです」
 「君は、それを見抜けなかったのか」
 「私の役目は、パスワードを解析することでしたから、そのようにさせて頂きました」

  朝日が淡々と話すと、神崎保は「仕方がない……」とため息を洩らした。

 「君は一度、カンパニーに帰りたまえ。息子に何かあったら、またサポートを頼むことがあるかも知れない」
 「了解しました」

  そう言って携帯を切ると、朝日は神崎教授に言われるまま、指示に従い大学を出て、カンパニーへと向かった。

  まだ、より所があるだけ、自分の生活はマシなのだろう。

  カンパニーへ向かう途中に見た、路上生活者を見て朝日はそう思った。
  朝日には、自分がまだ0歳だった頃の記憶がある。生後三ヶ月を迎える前に、言葉を話し出した朝日を、両親が「化け物」と呼び、一歳にして路上に放り出された哀れな自分が、そこにはいた。

  朝日は匿名でかけられた一本の電話により、今も所属するカンパニーに命を拾われ、助かったのだった。
  その匿名でカンパニーへ連絡した者が、両親だったのか否か、今となっては知る術もない。

 「午後三時四十五分、雪が降ってきました」

  朝日は、幾何学大学と衛星四季との紛争を知らないまま、ブレインとして教育を受けてきた。
  この不安定な天気を、1年ほど前から記憶してきたが、特に不思議に思うこともなかった。

――――カンパニーは、今回のことをどう評価するだろうか。

  しかし、それより気になる事があった。
  あのディスクを作成した者の名前だ。

 『あのディスクは、白石十樹が作成したものだ!』と神崎は叫んでいた。

 「シライシ・トージュ……」

  どんな人物だろう。

  時間があてにならない昨今だが、外はもう暗い。
  朝日の呟きは、小さく闇に溶けた。

  雪の降る中、ブレイン朝日は、ぶるりと身体を震わせて、足早にカンパニーのあるビル街へと戻っていった。

                  ☆

 その頃、十樹の研究室に一本の電話が入った。
  十樹は研究の手を休めて、その電話に出る。

 「はい、宇宙科学研究部です」
 「君は白石十樹、先生ですか?」
 「はい」

  十樹は「君」呼ばわりしながら、先生と付け加えの様に言う電話の相手に矛盾を感じながら、怪訝な表情で電話に答える。

 「神崎先生が、逮捕されたことは知っているんだろう?」
 「ええ、存知あげておりますが……それが何か?」
 「神崎先生は取り調べの際、君に騙されたという主旨の発言を繰り返しているんだが……」
 「私には全く心当たりのないことですが」
 「とにかく、白石先生にも参考人として、調書を取りたいと思う。一度出頭されるよう……」

  相手は、用件だけを伝えると、早々に電話を切った。

 「何! 何だったの十樹」

  皆が心配そうに十樹を見る中で、リル一人は楽しそうに訊いてきた。

 「予想はしてたけどね。ちょっと大学警察からの呼び出しだ」
 「大丈夫なのかよ。お前」
 「しらばっくれてくるよ」

  十樹は、ディスクにあるファイルを取って、楽しいことでもあったかのように研究室を出て行った。

                  ☆

 ――恐らく、神崎は随分、ご立腹なんだろう。

  十樹が出て行った研究室で、桂樹は思った。

  無理もない。研究室の盗聴は失敗し、取引は上手くいかず、やっと手に入れた証拠のディスクは桂樹の造った偽物で、ブレインを呼んでまで解析したディスクはトラップであったのだから。

  それを愉快だと思うのは、トラップを仕掛けた自分達だけかも知れないが、もしかしたら、神崎チームを敵と見る科にとっても、これは朗報なのか。

 「まぁ……自業自得か」
 「ねぇ、桂樹兄さん、さっきのクローン製造の映像って、十樹兄さんと何か関係あるのかしら?」
 「んー、亜樹は知らなくていーんだ」

  ソファに仰向けになって転がり、片手に本を持って桂樹はそっけなく答えた。
  亜樹は、二人の様子に「何か変ね」と呟くと、リルに本を読むことを急かされ、図書ルームに入った。

 「どーすんだよ。これから」

  亜樹に、自分がクローン体である事を隠し通すことは無理だ。
  桂樹は天井を見ながら、心中で呟いた。

                  ☆

「やあ、やっと来たか」

  白石十樹が、大学警察管理下の拘置所に着いた時、神崎は鉄格子の向こうにいた。
  プライドが邪魔をするのか、神崎は、床に座らず、白衣のポケットに両手を突っ込んで立っていた。

 「何の御用でしょうか?」
 「白石先生、調書をとりますのでこちらへ」

  大学警察の一人に促されるまま、パイプ椅子に座る。

 「まず、白石先生の指紋をとらせて頂きます」

  朱肉を前に出され、警官が用意した書類数枚に十樹は印を押す。

 「おい、そこの警官、指紋はすでに調べている。郵便物には、白石の指紋はなかった」
 「は、はい。念のために指紋照合してみます」
 「無駄だよ無駄」

  神崎がそう言い放つと、警官はすごすごと指紋照合のケースを持って鑑定に回した。
  この警官は先刻、電話をかけてきた相手とは違うようだ。
    神崎の権力に怯えているような警官ではなかった。

 「僕には、分かるんだよ。あのディスクの送り主は間違いなく君だとね」
 「とても牢に入っている人の言葉とは思えませんね。私がここに来たのは、あくまでも調書を取る為に来たのであって、神崎先生と話すためではありませんので、悪しからず」

  十樹が間髪入れずにそう答えると、神崎は怒りで顔を歪めた。

 「僕が、僕自身の潔白を必ず証明してみせる。おいっ、そこの警官、早くこの扉を開けろ」
 「えっあ、とそれは出来かねます」

  大声を張り上げる神崎に、ぺこぺこと頭を下げて対応している。この警官は、まだ新米なのか、大学警察が持っているような威圧感は感じなかった。
    しかし、命令を忠実に守るいい警官だ。

 「白石先生は昨夜の騒ぎの際、どこにいらっしゃいましたか?」
 「宇宙科学部の私の研究室です」
 「それを証明する者はいらっしゃいますか?」
 「弟の桂樹と、先日来た橘サトル君に確認を取ってくれ」

  新米警官は、指を忙しく動かして調書を取ると、ミスがないかチェックをし、データをコンピューターに打ち込み始めた。

 「おい白石! 今、白石亜樹の名前を出さなかったのはどうしてだ? 僕には分かる。お前の妹は、この世に存在しないはずのクローン……」
 「神崎先生、話があるならまず、その鉄格子から出て来てからにして下さい」

  冷たく突き放す十樹を、神崎は鉄格子を両手で握って睨みつけた。

 「――神崎先生の、そんな姿を見たのは私ぐらいでしょうか」

  神崎に向かい、辛辣に言い新米警官に向き直った。

 「さて、私の調書は取れたのかな?」
 「はい。今、指紋照合をしましたが、白石先生の指紋は一致しませんでした」
 「だから無駄だと言ったんだ……」

  ボソリと呟く神崎は、今の状態では権力等、何も役に立たないことを知った。
 「では、私はこれで失礼するよ」
 「お疲れ様でした」

  カツンカツンと靴音が冷たく響いている中、神崎は「犯人はお前だー!」と叫び続けていた。



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