【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第一章 初めての夜よりも、身体は確かに応えていく

『魔女王』の戴冠

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 翌朝、戴冠式の鐘が王都ランスに鳴り響いた。
 春だというのに、風は肌を刺すように冷たい。
 聖堂前の控え室にも、白い石壁を冷やすような空気が満ちていた。

 黒地に金糸を織り込んだ礼服の裾を、侍女が最後に整える。
 シルヴィアは控えの間の扉越しに広場を見やった。
 外には金色の髪が波のように揺れ、ざわめきが渦を巻く。
 歓声と罵声が交じり合い、石壁に吸い込まれながらも重く響いてきた。

 鐘の音に導かれるように、扉が開く。
 堂内がざわめき、視線が一斉に扉の向こうへ向かう。
 漆黒の髪――ギリアンが、背筋をまっすぐに伸ばして歩みを進めていた。
 その姿は、群衆の視線を真正面から受け止める王のようだった。

 後ろには、金髪のヴィンセント。青い瞳は氷のように冷たく、しかし揺らぎがない。
 さらにその後方に、ギリアンと同じ黒髪のホープが続く。

 「魔女王にヴァロニアを渡すな!」と呼ぶ者、「王太子こそ正統な王だ!」と讃える者――どちらの声も必死だった。

(……これが、国中の目に晒されるということね)

 けれど、シルヴィアはこの時気づいた。
 民衆からギリアンの黒髪に向けられる視線。
 それは恐怖と憎しみが濃く混ざった色で、これまで見たことのないほど鋭かった。

 シルヴィアは表情を固め、一定の距離を保って彼らの後を歩く。
 敬意と敵意、そのすべてを、揺れる裾の奥で静かに受け止めた。

 やがて、聖ソフィア大司教の前にギリアンが進み出た。
 漆黒の髪を堂々と晒す姿は、昨夜までの彼とは別人のようだ。

 聖ソフィア大司教は、ギリアンに問いかけた。
「王太子殿下――貴方がヴァロニアの正統な王であることを、証明できますか?」

 思わぬ問いに、シルヴィアは息をのむ。
(正当な王であることを証明? この司教は何を言っているの……?)

 場の空気が張り詰め、ギリアンが苦しげに司教を睨んだ。

「証明できる!」
 低く響いたのは、ヴィンセントの声だった。
「かつて、砂漠の王がヴァロニア王妃に贈ったオニキスのネックレス。それがすべてを証明するだろう」
 ざわめきが広がる。
 ヴィンセントはギリアンを一瞥し、微かに笑った。
「だが、証明とは言葉や物ではなく――行動によって示されるべきものだ」

 その一言が、人々を縛っていた何かを断ち切ったように思えた。

 やがて大司教の手が王冠を掲げる。
 その瞬間、シルヴィアは一歩、斜め後ろに下がり、目を伏せて小さく微笑んだ。
 安堵と誇らしさ――そして、その奥に彼が背負う孤独の影も感じ取る。


「ヴァロニア王、ギリアン・フォン・ヴァロアの誕生である!」

 大司教が王冠を掲げると、ギリアンは一歩踏み出し、自ら宣言した。


「僕は、この日をもって――『魔女王』としてヴァロニアを統べる!」

 黄金の輪が黒髪の上に下ろされた瞬間、堂内に歓声が湧き起こった。

 シルヴィアは、その光景をまぶしさと不安の入り混じった気持ちで見つめていた。
 これで、ギリアンは王になった。
 だが、その道は祝福だけではなく、憎悪や陰謀に満ちていることを知った。

 そして、ヴィンセントがギリアンの前に跪いた。
「『ヴァンデの悪魔』と呼ばれるこの私が、『魔女王』に剣を捧げよう」

 ヴィンセントの忠誠の言葉に、群衆の熱狂が天井を震わせた。
 罵声だったはずの呼び名が、この瞬間、国中に新しい王の名として刻まれた。
 シルヴィアはその光景を胸に焼きつけ、唇をきゅっと結んだ。

 シルヴィアはゆっくりと会釈し、退場のためにギリアンの横へ歩み寄る。
 その途中、視界の端に『王の剣』となったヴィンセント、そしてその隣のホープの姿が映る。
 短く交わった視線が、これからの予感のように胸の奥に残った。

(この日を、わたしは決して忘れない……)

 胸の奥から込み上げてくるものがあり、涙が零れそうになる。
 だが、自分自身も、たった今『王妃』となったことをシルヴィアは思い出した。
 シルヴィアは自分に与えられた役割である『王妃』の仮面を被りづけた。
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