【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第二章 されるがままに身を任せながら

魔女王の剣

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 戴冠式から数日後のことだった。
 王宮の回廊で、向かいから歩いてくる長身の男がシルヴィアの視界に入った。
 差し込む西陽が石壁に斜めの影を落とし、その中で金糸のような髪が淡く輝く。人ならざるほど端正な顔立ち。
 ――ヴィンセント・フォン・ヘーンブルクだ。

 シルヴィアは小声で、「ラシェル……少し、離れていてくれる?」と告げた。

 隣を歩いていたラシェルが、シルヴィアを見た後、視線をヴィンセントに向ける。
「殿下、でも……二人きりになってはダメです」
 ラシェルの蒼い瞳は、明らかな警戒の色を帯びていた。
「見えるところに居るから。ね?」
 ラシェルは心配そうに頷くと、見える範囲の柱の陰まで下がり、そこから動かずに二人を見守った。

 シルヴィアは、胸の奥に浮かんだ問いを抑えきれず、歩を進めた。
「……ヴィンセント卿」

 呼びかけると、ヴィンセントの蒼い瞳が、穏やかさも敵意もなく、ただまっすぐにシルヴィアを見た。
「王妃殿下、私に御用でしょうか」

 遠くの窓から入る風が、静かな回廊の空気をわずかに揺らす。
 シルヴィアは一拍置いてから、真正面から問いを投げた。
「婚姻要請の書簡に、あなたの名前を見ました。何故、わたしが選ばれたのですか?」

 ヴィンセントは眉一つ動かさず、シルヴィアを見据えた。
「理由をお知りになりたいと?」
「はい」
 短い沈黙の後、淡々とした声が落ちた。
「まず、貴女がシーランド人であること。実家が下級貴族で、炎派であること。しかし、実際には中立の立場を取り、シーランド内において政治的な影響力がほとんどないこと。王族からの要請を断れぬ立場であったこと。そして、万一うまくいかなくとも、ヴァロニアに大きな損害を与えない人選であること」

 言葉は冷たくも丁寧で、刃のように端正だった。
「貴女は駒として理想的だったのです」

 その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
 唇が自然に形作った問いは、自分でも驚くほど静かだった。
「それは……つまり、同じ条件なら、誰でも良かった、ということなんですね」

 ヴィンセントは、否定も肯定もせず、視線を逸らさぬまま続けた。
「だが、貴女はその駒以上の意味を持ち始めている」

 その意図を問う間もなく、さらに低い声が続く。
「ギリアンは愚かではない。王妃殿下の価値は、ギリアン自身が決めるでしょう」

 それだけ言うと、ヴィンセントは軽く会釈をして歩き出した。

(王を呼び捨てにするなんて……)

 足音が遠ざかる回廊に、シルヴィアは一人取り残された。
 胸の奥には、屈辱と不安、そして言葉にできない微かな予感が、静かに沈んでいった。

 ふと、柱の陰から視線を感じて顔を向けると、ラシェルが静かに歩み寄ってきた。
 その表情には、主を案じる侍女としての冷静さと、何かを測るような鋭さが同居している。

「……あの人と、何をお話しに?」
「……少し、聞きたいことがあっただけ」

 そう答えると、ラシェルは短く「そうですか」とだけ言い、視線をそらした。
 だが、その横顔はどこか硬く、言葉にしない何かを胸の内に抱えているようだった。
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