【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第二章 されるがままに身を任せながら

私はあの人を憎んでる

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 王都の市場を後にして、ラシェルとホープを乗せた馬車が静かに石畳を揺れていく。
 車内には、しばしの沈黙が流れていた。

 買い物の包みを膝に乗せたラシェルは、窓の外に視線を向けたまま、何度も言葉を探しては飲み込んでいた。
 今なら、話せる――けれど、どこから切り出せばいいのか、わからない。

(……護衛任務中に私語なんて、軽々しいかしら)

 ふと、視線だけを向けると、ホープは隣でおとなしく座っていた。
 軍用犬も、彼の足元で静かに丸くなっている。

「……あの、さ」
 先に口を開いたのは、ホープの方だった。
「ラシェルさん。ヴィンセントのこと……怒ってる?」

 突然の言葉に、ラシェルの眉がわずかに動く。
「……怒る? それどころじゃないわ。私はあの人を憎んでる」

 ホープは少しだけうつむいて、困ったように微笑んだ。
 でも、嬉しくて微笑んだわけではないのが伝わってくる。
「……ぼくが、ヴィンセントに頼みごとをしたせいなんだ。そのことで……君まで、巻き込んでしまって」

 ラシェルは目を瞬かせる。
 多分、逆だ。兄の計略に巻き込まれているのはホープの方だと思う。

「……ヴィンセント兄様に、頼みごと?」
「うん……。三年前、ヘーンブルグで魔女狩りがあって……ぼくの家族が巻き込まれたんだ。冤罪だったけど、逃げるしかなくて。聖地に向かって。ずっと消息が分からなかったんだ。ぼくの双子の姉だよ」

 ラシェルの瞳がわずかに揺れる。
 ヘーンブルグ領の民は、全員黒髪だと知っていた。
 黒髪は魔女だと言われ、時々王都でも処刑があったのを覚えている。

「姉がヴァロニアに戻ってこられるようにしたくて。……だから、領主のヴィンセントに頼んだんだ」
「お兄様が領主? だから、今ヘーンブルグと名乗っていたのね」
「え? 知らなかったの……?」
「……お兄様が突然、神学校から姿を消したのが、八年前。でも、それ以降のことを、私はほとんど知らなかったの……」

 何故かわからないが、ラシェルの蒼い瞳から涙があふれて来た。
 いったい何の感情か自分でもわからない。
 ただ、今まで積み重なって堪えていたものが、少し決壊してしまったようだった。

 ホープは少しためらいながら、ラシェルの背をそっと撫でた。

「……お兄様はあんな人だから、何も教えてくれない。だから……」
「うん、ぼくが知ってることは何でも話すよ」

 ホープの言葉は温かかった。
 背を撫でてくれる手に嫌悪を感じないのも、双子のお姉さんで慣れているのかもしれないと思った。

「……それで、君にまで迷惑かけたと思って、ずっと気になってたんだ」
 その声音には、飾り気のない真摯な気持ちがにじんでいた。
 ラシェルはしばらく言葉を返せず、ホープの横顔を見つめていた。
 その顔には、憂いや怒りではなく、ただ誠実な悔いと配慮が刻まれていた。

 やがて、ラシェルは静かに答える。
「……二年前に、お兄様と一緒にうちに来た時、帽子を取らなかったのは、黒髪だったからなのね」

 それは責める言葉というよりも、どこか安堵のにじんだ声だった。
 ホープは苦笑しながら、頭をかく。

「うん。まだあの時は、ぼくも覚悟が出来てなかったし」
「……私、疑ってばかりで、ごめんなさい」

「ううん。でも、ギリアン様が戴冠して、ヴァロニアは変わろうとしてる。ヴィンセントは、本気で、何かを変えようとしてるんだと思う」

 ホープの一言に、ラシェルはますますヴィンセントのことが怖くなった。
 馬車の外では、遠くで鐘の音が鳴っていた。



 その夜、ラシェルは王妃に市場での出来事を簡潔に報告した。
 購入した香草の質も良く、ホープの助けもあって何の問題もなかったと、それだけを。

 本当は、初めて感じた戸惑いや、彼の優しさに心が揺れたことも伝えようかと思った。
 けれどそれは、まだ胸の奥にしまっておきたかった。

 シルヴィアは静かに頷き、「ありがとう」とだけ言った。
 それ以上、何も問わない優しさに、ラシェルには少しだけ、苦しくなった。
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