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第二章 されるがままに身を任せながら
報告
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夜の王宮政庁は、昼の喧騒を離れ、静けさの帳に包まれていた。
石の廊下には、灯のともる燭台が等間隔に並び、その明かりの中を、黒髪の青年が一人、ためらいがちに歩いていた。
扉の前で立ち止まり、軽く息を整える。
そして、拳を握って、静かにノックした。
「――入れ」
重たい声に応えるように、ホープは扉を押し開けた。
部屋の中には、書きかけの書類が積まれた机と、椅子にもたれているギリアンの姿があった。
黒髪の王は、ペンを置いて顔を上げる。
「……おかえり」
「はい。ただいま戻りました」
「……市場での護衛、ありがとう」
「任務ですから」
短く返すホープの声音は、いつになく落ち着いていた。
ギリアンは椅子に腰かけ、しばらくホープをじっと見つめた。
「報告します。市場は穏やかで、特に目立った混乱はありませんでした。黒髪を気にする者もおらず、以前のような噂も聞かれませんでした。ラシェル様も、無事に宮にお戻りになっています」
ギリアンの目がふと細まる。
そして、ほんの一拍の間を置いて――
「……ラシェルとは、話は出来たのかい? 話したそうにしてるのは分かってた」
その問いに、ホープは小さくうなずいた。
嘘はつけないし、つくつもりもなかった。
「はい。少しだけ……。ヴィンセントのことが気になっていたようなので」
「……彼女に、何を話した?」
「……ヴィンセントが王都に戻った理由です。三年前、ぼくの姉が魔女狩りに巻き込まれて聖地へ逃げたこと。ぼくがヴィンセントに、彼女がヴァロニアへ戻れるようにしてほしいと頼んだこと。そのことを、お伝えしました」
ギリアンは黙ってそれを聞いていた。
やがて、机の上に視線を落としながら、低く言う。
「……あの子に、余計な気を回させるようなこと言っていないだろうな」
その声に責める色はなかった。
だが、ホープの背筋がわずかに伸びる。
「何が余計なのか、ぼくにはまだ分かりません。……だから、聞かれたことには正直に答えると、約束しました」
ギリアンは、顔を上げ、ホープをじっと見つめる。
「君の判断を咎めるつもりはない。けれど、ラシェルはまだ十六だ。その若さに、全部を抱かせるには重すぎる」
「……はい」
短く答えたホープの眼差しは、どこか苦悩と誓いの入り混じった色をしていた。
ギリアンはしばし彼の顔を見つめたのち、ふっと目を逸らした。
「君の姉の件は、僕が責任を持って進める。ヴィンセントがどう動こうと、僕の国で君を罰することはない」
その言葉に、ホープの目が見開かれる。
「……ありがとうございます」
ホープはふと視線を伏せ、ひと呼吸置いてから、顔を上げた。
「……ですが、王妃殿下も、まだ十八歳です」
ギリアンのまなざしが、わずかに揺れる。
「ラシェル様と、たった二つしか違わない年齢で……それでも、王妃として、すでに多くのことを背負っておられる」
「……シルヴィアは『王妃』だ。彼女は王族としての覚悟を持って、僕との婚姻契約を結んだ」
「それは分かっています。けど――」
ホープの声が、わずかに熱を帯びた。
しかし、自分を落ち着かせるように、深く息を吐いた。
「陛下。ぼくは、友として進言します。王族には『見てはいけないもの』が多すぎます。でも、陛下に初めてお会いした時……ギリアン様は、それでも『見ようとする方』なんだと思いました。だから、ぼくは、あの時、ギリアン様に忠誠を誓いました」
ギリアンは、言葉を挟まずに黙って聞いていた。
ホープは、ゆっくりと息を吐く。
「ぼくがヴィンセントに頼んだことで、巡り巡って皆を巻き込んでしまった気がしています。あの時は、まさか、こんな大事になってしまうなんて考えてもなくて……。陛下も、王妃殿下も、ラシェルさんも。……本当に、すみませんでした」
その言葉に、ギリアンは軽く眉を寄せた。
しばしの沈黙のあと、椅子から身を起こし、ホープの前に歩み寄る。
「君がいたから、僕は王になろうと思えた。それは、ヴィンセントのためでも、君の双子の姉のためでもない。……君のために、だ」
ホープは、わずかに目を見開いた。
そして――静かに頭を垂れた。
「……はい」
短い沈黙が流れた。
「下がっていい」
その声に、ホープはもう一度、深く礼をして、執務室を後にした。
扉が閉まったあと、ギリアンは一人、灯火の揺れる部屋で椅子に腰を落とした。
そして、低く呟く。
「……王は、民に希望を示す者……か」
書類の束を見つめるその目には、王としての鋼と、ただの青年としての苦味が、複雑に交じっていた。
石の廊下には、灯のともる燭台が等間隔に並び、その明かりの中を、黒髪の青年が一人、ためらいがちに歩いていた。
扉の前で立ち止まり、軽く息を整える。
そして、拳を握って、静かにノックした。
「――入れ」
重たい声に応えるように、ホープは扉を押し開けた。
部屋の中には、書きかけの書類が積まれた机と、椅子にもたれているギリアンの姿があった。
黒髪の王は、ペンを置いて顔を上げる。
「……おかえり」
「はい。ただいま戻りました」
「……市場での護衛、ありがとう」
「任務ですから」
短く返すホープの声音は、いつになく落ち着いていた。
ギリアンは椅子に腰かけ、しばらくホープをじっと見つめた。
「報告します。市場は穏やかで、特に目立った混乱はありませんでした。黒髪を気にする者もおらず、以前のような噂も聞かれませんでした。ラシェル様も、無事に宮にお戻りになっています」
ギリアンの目がふと細まる。
そして、ほんの一拍の間を置いて――
「……ラシェルとは、話は出来たのかい? 話したそうにしてるのは分かってた」
その問いに、ホープは小さくうなずいた。
嘘はつけないし、つくつもりもなかった。
「はい。少しだけ……。ヴィンセントのことが気になっていたようなので」
「……彼女に、何を話した?」
「……ヴィンセントが王都に戻った理由です。三年前、ぼくの姉が魔女狩りに巻き込まれて聖地へ逃げたこと。ぼくがヴィンセントに、彼女がヴァロニアへ戻れるようにしてほしいと頼んだこと。そのことを、お伝えしました」
ギリアンは黙ってそれを聞いていた。
やがて、机の上に視線を落としながら、低く言う。
「……あの子に、余計な気を回させるようなこと言っていないだろうな」
その声に責める色はなかった。
だが、ホープの背筋がわずかに伸びる。
「何が余計なのか、ぼくにはまだ分かりません。……だから、聞かれたことには正直に答えると、約束しました」
ギリアンは、顔を上げ、ホープをじっと見つめる。
「君の判断を咎めるつもりはない。けれど、ラシェルはまだ十六だ。その若さに、全部を抱かせるには重すぎる」
「……はい」
短く答えたホープの眼差しは、どこか苦悩と誓いの入り混じった色をしていた。
ギリアンはしばし彼の顔を見つめたのち、ふっと目を逸らした。
「君の姉の件は、僕が責任を持って進める。ヴィンセントがどう動こうと、僕の国で君を罰することはない」
その言葉に、ホープの目が見開かれる。
「……ありがとうございます」
ホープはふと視線を伏せ、ひと呼吸置いてから、顔を上げた。
「……ですが、王妃殿下も、まだ十八歳です」
ギリアンのまなざしが、わずかに揺れる。
「ラシェル様と、たった二つしか違わない年齢で……それでも、王妃として、すでに多くのことを背負っておられる」
「……シルヴィアは『王妃』だ。彼女は王族としての覚悟を持って、僕との婚姻契約を結んだ」
「それは分かっています。けど――」
ホープの声が、わずかに熱を帯びた。
しかし、自分を落ち着かせるように、深く息を吐いた。
「陛下。ぼくは、友として進言します。王族には『見てはいけないもの』が多すぎます。でも、陛下に初めてお会いした時……ギリアン様は、それでも『見ようとする方』なんだと思いました。だから、ぼくは、あの時、ギリアン様に忠誠を誓いました」
ギリアンは、言葉を挟まずに黙って聞いていた。
ホープは、ゆっくりと息を吐く。
「ぼくがヴィンセントに頼んだことで、巡り巡って皆を巻き込んでしまった気がしています。あの時は、まさか、こんな大事になってしまうなんて考えてもなくて……。陛下も、王妃殿下も、ラシェルさんも。……本当に、すみませんでした」
その言葉に、ギリアンは軽く眉を寄せた。
しばしの沈黙のあと、椅子から身を起こし、ホープの前に歩み寄る。
「君がいたから、僕は王になろうと思えた。それは、ヴィンセントのためでも、君の双子の姉のためでもない。……君のために、だ」
ホープは、わずかに目を見開いた。
そして――静かに頭を垂れた。
「……はい」
短い沈黙が流れた。
「下がっていい」
その声に、ホープはもう一度、深く礼をして、執務室を後にした。
扉が閉まったあと、ギリアンは一人、灯火の揺れる部屋で椅子に腰を落とした。
そして、低く呟く。
「……王は、民に希望を示す者……か」
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