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第六章 でも、もう少しだけ
王の愛人
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十二月も半ばに差し掛かり、王国中が新年の準備をし始める頃。
王妃シルヴィアが、シーランドの実家へ一時帰国することが正式に決まった。
政庁内ではすでに静養という名目が通達され、数日中には出発の準備が整うという。
その知らせは、王宮の中でも限られた者たちにしか知らされていなかったが、政庁の控えの間にいた二人は、すでにそれを共有していた。
夕刻。
暖炉のそばに置かれた椅子に、リアナ・フォン・グラディスは姿勢正しく座っている。
テーブルを挟んだ向かいの席に、兄レオナールは腰を下ろした。
「王妃が、シーランドへ発つ件だが」
「……はい。王妃様は、体調を整えるための静養と――」
「それは、表向きの理由だろう?」
リアナは表情を変えず、兄をじっと見据える。
レオナールは、その様子を見ながらも、あくまで淡々と続けた。
壁に据付けられたランプの灯が、書類と地図に柔らかく影を落とす。
「……あの噂、聞いているよな?」
その声に怒りはなかった。ただ、家族としての静かな憂慮が滲んでいた。
「……お前が、夜中に、薄着で王の私室から出てきたと。顔を赤らめ、髪も乱れていた、とな。それも一回だけではないと」
「ええ、それは、確かに事実です」
リアナの瞳は、驚くほど冷静だった。
「侍女の誰かが広めたのでしょうね。『愛人』という言葉が、都合良く全てを説明してくれますから」
レオナールの眉がわずかに寄る。
「くだらない下賤の噂だ……。だが、王が沈黙している。その沈黙が、かえって真実のように扱われているんだ。王妃に子が出来ない事を隠す為に、夫婦の関係がない所為だと、お前が代わりを務めているように見せている。そういう意図があるのか?」
「あります」
即答だった。
リアナは静かに椅子を引き、一つ息を整える。
「王も王妃も、わたくしが夜の記録を残していることを知っています。『魔女の薬』の使用、王妃様の体調、身体の変化なども全て。それを王が公表なさらないということは、沈黙を選ばれたということ。それが、王の答えです」
「それで……納得しているのか?」
「はい。王が、敢えて否定なさらないのは、王妃様を守る為だと理解していますわ」
レオナールはしばらく何も言わなかった。
妹が他人の盾となる――それを許容するほど、王宮の政治は甘くない。
しかし、リアナの意思が揺るがないことも、レオナールには分かっていた。
「それで、お前が盾になるのか?」
リアナは答えず、ただ静かに兄を見返した。
「……だとしても、リアナ。お前は『代わり』ではない。そんな風に扱われていい存在じゃない。俺は、それが心配なんだ」
レオナールの声には、ほんの僅かな痛みが滲んだ。
彼は妹の聡さも、誇り高さも、誰より知っている。だからこそ、この静かな自己犠牲が、胸に刺さった。
目を伏せたレオナールが、低く吐き出すように言う。
「……あの男は、いつもそうだ。自分の痛みは飲み込んで、人には言わない。だが、人の犠牲を前提にした判断を、当然のように通そうとする……それが、正しいとでも思ってるのか」
リアナは、その言葉を否定せず、ただ穏やかに答えた。
「それでも、王妃様の心は、わたくしたちに預けられました。ですから、わたくしは、引き受けます。王妃様が帰ってくる日まで」
部屋の中で、揺れる灯だけが音を立てていた。
その揺らぎの中で、レオナールがふと口を開く。
「……では、王妃の帰国の件、お前の口から聞かせてくれ」
「はい。王妃様は、母上を通じて、魔女の力を借りようとしておられます。妊娠できる身体かどうかを確かめるために。……そのために、シーランドへの帰国を望まれました」
レオナールの顔が、少し動く。
「……それを、王も?」
「黙って、了承なさいました」
「また沈黙か……。さすが氷の王だな……」
レオナールは小さくため息をつき、リアナを見つめた。
「……ならば、俺が王妃殿下と共に行こう。お前が名の力を貸せと言うのなら、俺がその名に責任を持って、支える」
リアナの顔に、わずかに安堵の色が浮かぶ。
それでも声は毅然としていた。
「ありがとうございます。けれど兄様、どうか、覚えていてください」
リアナは、まっすぐに言う。
「もし、王妃様がシーランドよりお戻りにならなかった場合。その時は、わたくしが、王妃の役目を果たします」
もし本当に、王妃が妊娠できない身体であると判断されたなら。
その覚悟を、レオナールは痛いほど理解していた。
だからこそ、優しい目で妹を見つめ、静かに告げる。
「けれど、約束してくれ。王妃の代理である前に、お前自身の意思を見失うなよ。お前は、誰の代わりでもない。……そういう生き方をしてくれ」
リアナは一瞬だけ目を伏せ、そして真っすぐに兄を見た。
「ええ。わたくしは、わたくしとして、王妃様の不在を、責任をもって支えます」
王妃シルヴィアが、シーランドの実家へ一時帰国することが正式に決まった。
政庁内ではすでに静養という名目が通達され、数日中には出発の準備が整うという。
その知らせは、王宮の中でも限られた者たちにしか知らされていなかったが、政庁の控えの間にいた二人は、すでにそれを共有していた。
夕刻。
暖炉のそばに置かれた椅子に、リアナ・フォン・グラディスは姿勢正しく座っている。
テーブルを挟んだ向かいの席に、兄レオナールは腰を下ろした。
「王妃が、シーランドへ発つ件だが」
「……はい。王妃様は、体調を整えるための静養と――」
「それは、表向きの理由だろう?」
リアナは表情を変えず、兄をじっと見据える。
レオナールは、その様子を見ながらも、あくまで淡々と続けた。
壁に据付けられたランプの灯が、書類と地図に柔らかく影を落とす。
「……あの噂、聞いているよな?」
その声に怒りはなかった。ただ、家族としての静かな憂慮が滲んでいた。
「……お前が、夜中に、薄着で王の私室から出てきたと。顔を赤らめ、髪も乱れていた、とな。それも一回だけではないと」
「ええ、それは、確かに事実です」
リアナの瞳は、驚くほど冷静だった。
「侍女の誰かが広めたのでしょうね。『愛人』という言葉が、都合良く全てを説明してくれますから」
レオナールの眉がわずかに寄る。
「くだらない下賤の噂だ……。だが、王が沈黙している。その沈黙が、かえって真実のように扱われているんだ。王妃に子が出来ない事を隠す為に、夫婦の関係がない所為だと、お前が代わりを務めているように見せている。そういう意図があるのか?」
「あります」
即答だった。
リアナは静かに椅子を引き、一つ息を整える。
「王も王妃も、わたくしが夜の記録を残していることを知っています。『魔女の薬』の使用、王妃様の体調、身体の変化なども全て。それを王が公表なさらないということは、沈黙を選ばれたということ。それが、王の答えです」
「それで……納得しているのか?」
「はい。王が、敢えて否定なさらないのは、王妃様を守る為だと理解していますわ」
レオナールはしばらく何も言わなかった。
妹が他人の盾となる――それを許容するほど、王宮の政治は甘くない。
しかし、リアナの意思が揺るがないことも、レオナールには分かっていた。
「それで、お前が盾になるのか?」
リアナは答えず、ただ静かに兄を見返した。
「……だとしても、リアナ。お前は『代わり』ではない。そんな風に扱われていい存在じゃない。俺は、それが心配なんだ」
レオナールの声には、ほんの僅かな痛みが滲んだ。
彼は妹の聡さも、誇り高さも、誰より知っている。だからこそ、この静かな自己犠牲が、胸に刺さった。
目を伏せたレオナールが、低く吐き出すように言う。
「……あの男は、いつもそうだ。自分の痛みは飲み込んで、人には言わない。だが、人の犠牲を前提にした判断を、当然のように通そうとする……それが、正しいとでも思ってるのか」
リアナは、その言葉を否定せず、ただ穏やかに答えた。
「それでも、王妃様の心は、わたくしたちに預けられました。ですから、わたくしは、引き受けます。王妃様が帰ってくる日まで」
部屋の中で、揺れる灯だけが音を立てていた。
その揺らぎの中で、レオナールがふと口を開く。
「……では、王妃の帰国の件、お前の口から聞かせてくれ」
「はい。王妃様は、母上を通じて、魔女の力を借りようとしておられます。妊娠できる身体かどうかを確かめるために。……そのために、シーランドへの帰国を望まれました」
レオナールの顔が、少し動く。
「……それを、王も?」
「黙って、了承なさいました」
「また沈黙か……。さすが氷の王だな……」
レオナールは小さくため息をつき、リアナを見つめた。
「……ならば、俺が王妃殿下と共に行こう。お前が名の力を貸せと言うのなら、俺がその名に責任を持って、支える」
リアナの顔に、わずかに安堵の色が浮かぶ。
それでも声は毅然としていた。
「ありがとうございます。けれど兄様、どうか、覚えていてください」
リアナは、まっすぐに言う。
「もし、王妃様がシーランドよりお戻りにならなかった場合。その時は、わたくしが、王妃の役目を果たします」
もし本当に、王妃が妊娠できない身体であると判断されたなら。
その覚悟を、レオナールは痛いほど理解していた。
だからこそ、優しい目で妹を見つめ、静かに告げる。
「けれど、約束してくれ。王妃の代理である前に、お前自身の意思を見失うなよ。お前は、誰の代わりでもない。……そういう生き方をしてくれ」
リアナは一瞬だけ目を伏せ、そして真っすぐに兄を見た。
「ええ。わたくしは、わたくしとして、王妃様の不在を、責任をもって支えます」
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