【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第七章 闇の中に溶ける

宴の終わりに(十九歳の誕生日)

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 ホープの十九回目の誕生日。
 すっかり夜も更けていた。

 騎士団の食堂は、すでに宴のあとの静寂に包まれていた。
 酔いつぶれて床に転がる者、椅子にもたれて夢の中の者、まだ名残惜しそうに杯をちびちび傾ける者——

 その中心で、ホープは机に頬杖をついてぼんやりと火の揺らめきを見つめていた。

 ――うるさいのに、寂しい。
 宴って、そういうものだな。

 不意に、扉がギイッと開く音がした。

 顔を上げたホープの視界に、見慣れた金の髪が揺れた。
 ラシェルだった。濃藍のマントを肩にかけ、食堂を見渡している。

「……ホープ様は、まだ、こちらにいらっしゃいますか?」

 その声に、一部の酔っぱらいがぴくりと反応した。

「おっ……噂のラヴァール令嬢……!」
「ホープ! チャンスだ、いけ……」
「でも睨んでる……! ほら見て、あの目つき!」

 ラシェルの蒼い目で睨まれ、酔客たちは一斉に黙り込み、転がるように寝息を立てはじめた。
 ホープは苦笑して立ち上がる。

「ラシェル、……温室に、行こう」

 ラシェルはこくんと頷き、ふたりは静かに夜の宮殿を抜け出した。

 冬の温室には灯りが灯されており、空気はほんのりと温かく、柑橘の葉と湿った土の匂いが心を落ち着かせた。

「こんな時間になって、ごめんなさい。……どうしても、今日中に、お祝いがしたくて……」

 ラシェルが包みを開く。
 中には、小さな丸パンが三つ、そして小ぶりな蝋燭が三本、そっと布に包まれていた。

「厨房の人に手伝ってもらって、作ったんですけど。私……バンを焼くのに、こんなに時間がかかるって思ってなくて。こんな時間になってしまいました」

「……ありがとう。すごく嬉しいよ……」

 ホープはしゃがみこみ、パンの横に並べられた三本の蝋燭を見つめる。

「……三つ?」

「はい。一つは、私。一つは、ホープ様。そして……一つは、ジェード様の分です」

 ラシェルの声はかすかに揺れていた。

「きっと、ジェード様も……何処かで、大切な方と、お祝いしてますよね」

 ホープは黙って頷き、火をつけた。
 三本の炎が揺れる。
 ラシェルは、そっとホープに向き直った。

「……ホープ様。お誕生日、おめでとうございます」

 その言葉とともに、ラシェルはふわりとホープの首に腕を回し、唇を重ねた。

 最初は、ほんの触れるだけの、祝福のキスだった。
 けれどホープは、その柔らかな感触に抗えなかった。

 ラシェルの唇が離れかけた瞬間、ホープはその細い背を引き寄せるように抱きしめ、もう一度、今度は深く唇を奪った。

 柔らかく、熱を帯びた唇の奥に、そっと舌を差し入れる。
 ラシェルの細い指がわずかに震え、ホープの肩に縋るように力が入った。

 呼吸が重なり、熱が移る。
「ん……」
 互いの吐息が、ひとつになるまで重ねられた口づけは、初めて知る甘美で危うい感情を、二人の間に立ち上らせていた。

 やがて、そっと唇が離れる。
 ラシェルの瞳は潤み、頬は紅潮し、指先だけがまだホープの服をつかんでいた。

「……あ、あの、」

 小さく息を吸って、かすれた声で、けれど真っ直ぐに問いかけた。

「……今の、キスのことですけど……」
「うん」

「……続きが、あるって……ご存じですか?」

 言葉に詰まるように、ラシェルは視線を逸らした。

「……知ってるよ」

 ホープは、迷いなく応えた。けれど、すぐには言葉を継がなかった。

「……でも、ラシェル」
「はい」


「ぼくたちは……結婚はできないから」


 ホープの声は優しかったが、その奥には少し苦さがあった。
 黒髪の平民と、貴族令嬢。
 そして、王に生涯仕える身と、王妃に忠義を誓う侍女。
 交わらない道を歩むふたりだと、知っているからこその言葉だった。

「それでも……私は、あなたと歩きたいんです……」

 ラシェルは、ホープの胸に額を預けた。
 蝋燭の炎が揺れ、新年の星空の下、温室にはふたりだけの時間が流れていた。
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