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第七章 闇の中に溶ける
新領主任命
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新年の祝宴も、ホープの誕生日も過ぎた、一月の中旬。
王都ランスでは、王命により一つの任が下された。
その命を受けたのは、黒髪の若き騎士ホープ・ダーク。
王の腹心として仕える、唯一の黒髪の側近である。
任務の名は、ヘーンブルグ領の新領主任命。
ヴァロニアの最南西に位置し、黒髪しか居ないヘーンブルグ領は、長く政治の外側に置かれてきた。
約三年前に黒髪の王ギリアン・フォン・ヴァロアが即位したこと、ヘーンブルグ出身の騎士黒髪のホープ・ダークの活躍により、二百年の時を超えて、ようやく世間の注目を浴びるようになった。
かつては、ヘーンブルグの領主は、王都からの派遣される白髪の老人ばかりであった。
彼らは神殿に任命され、これまでヘーンブルグ男爵を叙爵されて田舎領を治めてきた。
それがこの度、初めて現地の黒髪の平民を領主として据えるという、王ギリアンの新時代の象徴とも言える大任だった。
一方、その傍らに寄り添うのは、王妃付き侍女ラシェル・フォン・ラヴァール。
彼女には表向きの随行以外に、王妃シルヴィアより密かに託された役目があった。
それは、ヘーンブルグ領、並びにアレー村の教会が『灯信派』の思想に属しているか否か、王妃代理として密かに見極めるというもの。
けれど、その指示は王妃自身ではなく、王妃の代理――リアナからの密命だった。
若き二人は、雪の中、黒髪の地へと馬を走らせた。
* * * * *
領主任命式は、厳かに、そして、田舎独特の温かい雰囲気の中で執り行われた。
黒髪の若き騎士が、王の名代として、ヘーンブルグ新領主に任命の辞を伝えると、周囲から小さなどよめきと拍手が起こった。
それは、喜びと、驚きが入り混じったものだった。
ラシェルはそれを、黒髪の時代が確かに動き始めた証だと感じていた。
式のあと、村の者たちの招待を断り、ふたりは並んで馬に乗り、南への道を進んでいた。
舗装されていない砂利道が続き、時折、凍った轍に馬の蹄が跳ねる。
ラシェルは、馬上から冬枯れの森を眺めていた。
空は澄み渡り、吐く息は白く消える。
けれど、頬を撫でる風には、不思議と懐かしい匂いが混じっていた。
ホープの生まれ育った場所へ向かっている。
その事実に、小さく胸が高鳴る。
「アレー村は、もうすぐですか?」
ラシェルが問いかけると、隣を進むホープが頷いた。
「うん。あの丘を越えたらすぐだよ。……宿がないから、うちに泊まることになるけど、良いかな?」
「はい。ご迷惑でなければ」
ホープはどこか照れたように微笑んだ。
「昔はさ、巡礼宿とかあったみたいなんだけど。ファールーク皇国が潰れたから、また聖地巡礼が出来るようになった時に、ここで宿を経営したら儲かるかもね」
「ラシーディアは、聖地の所有権も自治権も放棄したと聞きましたから、本当にそうなる気がします。もしかして、ホープ様って経営に興味あるんですか?」
「そんな風に見える? ぼく、忠義だけで動いてる人間だよ」
「ですよね」
ラシェルはふふっと笑う。ホープが欲の無い人だと知っている。
「でも、一人暮らしの母には『宿が儲かるかも』って、こっそり教えておこうかな。ここはまだ情報もあまり入ってきてないはずだし」
もともと王の側近としてもゆるい振る舞いのホープだが、家族の話になると声が優しくなる。
その姿が、ラシェルには愛おしく思えた。
やがて、ふたりの馬は小さな丘を越え、なだらかな下り坂を進んでいく。
眼下に広がるのは、白壁と木の屋根の小さな村。
その向こうに広がる牧草地と麦畑、教会と小さな鐘楼。煙突から上がる白い煙。
冬の空気の中に、穏やかな人の営みの気配が滲んでいた。
「……ここが、ホープ様の生まれた村」
ホープが小さく呟いた。
「田舎で驚いただろ? ……ただいま、って言わないとね」
馬を引いて停まったのは、村の外れ、古い石塀に囲まれた一軒の家だった。
木の扉の前でホープがノックをすると、中から足音がして、やがて扉がゆっくりと開く。
「……まあ!」
現れたのは、小柄な女性だった。
年齢は五十ほどか。少し白髪の混じった黒髪を後ろで結っている。
「ホープ……おかえり!」
「母さん。ただいま」
ホープが少し照れたように笑うと、女性はたまらずホープを抱きしめた。
ホープも背の低くなった母親をしっかりと抱きしめた。
「なんだか痩せたわね? 寒くなかったの? 夜はもっと暖かいものを……」
「母さん、大丈夫だよ。あのさ、……先に紹介するよ。彼女は王妃付きの侍女で、王宮から同行してくれてるんだ。ラシェル・フォン・ラヴァール嬢」
「王妃様付き……まあ!」
母親はラシェルを見て、目を丸くした。
「寒い中、ようこそいらっしゃいました。狭い家で、大したおもてなしも出来ませんが、どうぞ、入ってください」
「ありがとうございます。お世話になります」
ラシェルが深く頭を下げると、母はすぐに気取らない笑みを浮かべた。
「急いでお部屋を準備しないとね……。ホープ、お湯を沸かしておいてちょうだい。あなたがジェード以外の女の子と一緒なんて、初めてじゃないかしら」
「母さん……、ほんと余計なこと言わなくて良いからね……」
「うふふふ」
母親の茶目っ気のある笑い声に、ラシェルもつられて微笑んだ。
どこか、シルヴィアと似ていると思った。家族への眼差しが優しく、そして強い。
「さあ、中へどうぞ。火を焚いてあるから、すぐに温まるわ」
扉の向こうからは、薪の香ばしい匂いとともに、懐かしい生活の温もりが漂ってきた。
王都ランスでは、王命により一つの任が下された。
その命を受けたのは、黒髪の若き騎士ホープ・ダーク。
王の腹心として仕える、唯一の黒髪の側近である。
任務の名は、ヘーンブルグ領の新領主任命。
ヴァロニアの最南西に位置し、黒髪しか居ないヘーンブルグ領は、長く政治の外側に置かれてきた。
約三年前に黒髪の王ギリアン・フォン・ヴァロアが即位したこと、ヘーンブルグ出身の騎士黒髪のホープ・ダークの活躍により、二百年の時を超えて、ようやく世間の注目を浴びるようになった。
かつては、ヘーンブルグの領主は、王都からの派遣される白髪の老人ばかりであった。
彼らは神殿に任命され、これまでヘーンブルグ男爵を叙爵されて田舎領を治めてきた。
それがこの度、初めて現地の黒髪の平民を領主として据えるという、王ギリアンの新時代の象徴とも言える大任だった。
一方、その傍らに寄り添うのは、王妃付き侍女ラシェル・フォン・ラヴァール。
彼女には表向きの随行以外に、王妃シルヴィアより密かに託された役目があった。
それは、ヘーンブルグ領、並びにアレー村の教会が『灯信派』の思想に属しているか否か、王妃代理として密かに見極めるというもの。
けれど、その指示は王妃自身ではなく、王妃の代理――リアナからの密命だった。
若き二人は、雪の中、黒髪の地へと馬を走らせた。
* * * * *
領主任命式は、厳かに、そして、田舎独特の温かい雰囲気の中で執り行われた。
黒髪の若き騎士が、王の名代として、ヘーンブルグ新領主に任命の辞を伝えると、周囲から小さなどよめきと拍手が起こった。
それは、喜びと、驚きが入り混じったものだった。
ラシェルはそれを、黒髪の時代が確かに動き始めた証だと感じていた。
式のあと、村の者たちの招待を断り、ふたりは並んで馬に乗り、南への道を進んでいた。
舗装されていない砂利道が続き、時折、凍った轍に馬の蹄が跳ねる。
ラシェルは、馬上から冬枯れの森を眺めていた。
空は澄み渡り、吐く息は白く消える。
けれど、頬を撫でる風には、不思議と懐かしい匂いが混じっていた。
ホープの生まれ育った場所へ向かっている。
その事実に、小さく胸が高鳴る。
「アレー村は、もうすぐですか?」
ラシェルが問いかけると、隣を進むホープが頷いた。
「うん。あの丘を越えたらすぐだよ。……宿がないから、うちに泊まることになるけど、良いかな?」
「はい。ご迷惑でなければ」
ホープはどこか照れたように微笑んだ。
「昔はさ、巡礼宿とかあったみたいなんだけど。ファールーク皇国が潰れたから、また聖地巡礼が出来るようになった時に、ここで宿を経営したら儲かるかもね」
「ラシーディアは、聖地の所有権も自治権も放棄したと聞きましたから、本当にそうなる気がします。もしかして、ホープ様って経営に興味あるんですか?」
「そんな風に見える? ぼく、忠義だけで動いてる人間だよ」
「ですよね」
ラシェルはふふっと笑う。ホープが欲の無い人だと知っている。
「でも、一人暮らしの母には『宿が儲かるかも』って、こっそり教えておこうかな。ここはまだ情報もあまり入ってきてないはずだし」
もともと王の側近としてもゆるい振る舞いのホープだが、家族の話になると声が優しくなる。
その姿が、ラシェルには愛おしく思えた。
やがて、ふたりの馬は小さな丘を越え、なだらかな下り坂を進んでいく。
眼下に広がるのは、白壁と木の屋根の小さな村。
その向こうに広がる牧草地と麦畑、教会と小さな鐘楼。煙突から上がる白い煙。
冬の空気の中に、穏やかな人の営みの気配が滲んでいた。
「……ここが、ホープ様の生まれた村」
ホープが小さく呟いた。
「田舎で驚いただろ? ……ただいま、って言わないとね」
馬を引いて停まったのは、村の外れ、古い石塀に囲まれた一軒の家だった。
木の扉の前でホープがノックをすると、中から足音がして、やがて扉がゆっくりと開く。
「……まあ!」
現れたのは、小柄な女性だった。
年齢は五十ほどか。少し白髪の混じった黒髪を後ろで結っている。
「ホープ……おかえり!」
「母さん。ただいま」
ホープが少し照れたように笑うと、女性はたまらずホープを抱きしめた。
ホープも背の低くなった母親をしっかりと抱きしめた。
「なんだか痩せたわね? 寒くなかったの? 夜はもっと暖かいものを……」
「母さん、大丈夫だよ。あのさ、……先に紹介するよ。彼女は王妃付きの侍女で、王宮から同行してくれてるんだ。ラシェル・フォン・ラヴァール嬢」
「王妃様付き……まあ!」
母親はラシェルを見て、目を丸くした。
「寒い中、ようこそいらっしゃいました。狭い家で、大したおもてなしも出来ませんが、どうぞ、入ってください」
「ありがとうございます。お世話になります」
ラシェルが深く頭を下げると、母はすぐに気取らない笑みを浮かべた。
「急いでお部屋を準備しないとね……。ホープ、お湯を沸かしておいてちょうだい。あなたがジェード以外の女の子と一緒なんて、初めてじゃないかしら」
「母さん……、ほんと余計なこと言わなくて良いからね……」
「うふふふ」
母親の茶目っ気のある笑い声に、ラシェルもつられて微笑んだ。
どこか、シルヴィアと似ていると思った。家族への眼差しが優しく、そして強い。
「さあ、中へどうぞ。火を焚いてあるから、すぐに温まるわ」
扉の向こうからは、薪の香ばしい匂いとともに、懐かしい生活の温もりが漂ってきた。
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