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第七章 闇の中に溶ける
無垢な魂
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翌朝、ホープとラシェルは村の教会へと向かった。
教会は、石造りの小さな建物だった。白い漆喰の壁に、古びた尖塔がひとつ。その裏手には、小さな学校と畑が併設され、子どもたちの笑い声が風に混じって聞こえてくる。
入り口の扉を開けると、柔らかな朝の光が差し込み、木製の長椅子が並ぶ礼拝堂を照らしていた。
「……おや?」
祭壇前を掃除していた白髪の老人が、こちらに気づき、驚いたように立ち上がった。
「……まさか……ホープじゃないか!」
白髪の老人の顔に、ぱっと笑みが広がった。
思わず手にしていた箒を取り落とし、よろめくように近づいてくる。
ホープは少し照れくさそうに笑いながら、頭を下げた。
「ただいま、先生。お元気そうで安心しました」
「お前さんが王都で立派になったと聞いて、心から誇らしかったぞ。五年前に村を出た少年が、本当に王様の側近になるとは……。辛いことも乗り越えて、よく頑張ったな」
牧師は目を細めて感慨深く語り、ホープの肩をぽんと叩いた。
「昔は、お前さんが鐘を鳴らすのが遅れて、村中の終業時間が遅れたこともあったな。懐かしい……」
そう言って、ホープの後ろに控えるラシェルに、穏やかに微笑む。
「すみません、あの頃は……でも、余計なこと言わないでください、ホントに……」
ホープは肩をすくめ、ラシェルの方に視線を向ける。
「紹介します。彼女は王妃付きの侍女で……王妃様から、ここの教会を見てくるよう頼まれていて……黒髪の聖人に関する何かが残っていないか、って……」
「ふむ、黒髪となると……」
牧師は腕を組み、しばし考え込んだ。
「礼拝堂の奥の間に、古い壁画が一枚残っている。あれなら……」
牧師の案内で、ラシェルは壁画を確認する。そこには、黒い髪を持つ聖女が子を抱いて民を救う姿が、朽ちかけた顔料で描かれていた。はっきりとは見えないが、確かに黒髪の人物が中心に据えられている。
(……クライスは金髪のはず。それを、黒髪の女性として描いているなんて……)
その解釈が何を意味するのか、ラシェルにはまだわからなかった。
けれど確かに、胸の奥で何かがざわめいた。
その後、牧師は礼拝堂に置かれていた一冊の聖典を手に取り、ラシェルに差し出した。
「これは我々が教科書としても使っている聖典です。この村に印刷所は無いので、どこで刷られた物かわかりません。他所の領から持ち込まれたのかもしれません。中の記述は簡易なものですが、どうか、殿下にお渡し下さい」
「ありがとうございます」
ラシェルが頭を下げると、背後から甲高い声が響いた。
「ねぇ、誰ぇ? 天使様?」
振り返ると、数人の子どもたちがこちらを覗いていた。金髪のラシェルに目を丸くし、口々に囁きあっている。
「天使様だよ、ほら、あの髪! ほんとに光ってる!」
「ほんとだ……金色の髪! 聖地から来たの?」
ラシェルはあまり小さい子に慣れておらず、緊張しながらも、子どもたちに丁寧に答えた。
「わ、私は天使様じゃありません。あなたたちと同じです。聖地からではなくて、王都のランスと言うところから来ました」
「王都って、王様のいるところ? じゃあ、お姫様なのぉ?」
「えっ、ち、違いますよ……私は……その、王妃様の、」
その光景を横で見ていたホープが、助け舟を出す。
「そうだよ。この子、お姫様なんだよ。お城に招待されたいんだったら、教室に戻って、しっかり勉強しておいで」
「はーい!」
子どもたちは元気に返事をし、駆けていった。
「この村って、みんな家族みたいだろ? 王宮にいると、忘れそうになるんだよね。こういう空気……」
その横顔に、ラシェルはそっと目を細めた。
* * * * *
午後、教会を出たホープとラシェルは、馬で少し足を延ばして村の西へと向かった。
緩やかな丘を越えると、左手には視界を塞ぐような深い森が広がり、右手は、切り立った崖と、その先に果てしない海が煌めいていた。
風が通り抜けるたびに、木の葉がさやさやと音を立て、潮の香りが鼻先をかすめる。
ラシェルは馬を降り、ゆっくりと歩を進めた。草むらに立ち尽くし、目の前に広がる景色に、しばし言葉を失う。
「……海と森って、同時に見れるのね……。なんて美しいの……」
蒼い瞳が細められ、ラシェルはぽつりと呟いた。
「ここはね。羊飼いだけが知ってる、特別な光景だよ」
「羊飼いだけ?」
「うん、ジェードがね」
そう聞いて、ラシェルは微笑んだ。
ジェードが羊の出産をたくさん手伝ったと言っていたのを、懐かしく思った。
「王妃様が……『わたしの故郷は、海と森の国』って、言ってたの。でも、私、海も森も見たことなかったから……どう答えて良いかわからなくて……」
横に腰を下ろしたホープが、木の枝を一つ拾って投げた。
小鳥が驚いて飛び立ち、空へと舞い上がっていく。
「ここは、ぼくの生まれた村。……きっと、昔から、何も変わってない」
ホープの声には、どこか懐かしさが滲んでいた。
しばらくふたりは黙って、森と海が地平線で溶け合うような景色を眺めていた。
ラシェルの金髪が風に揺れ、陽に透けて輝いて見える。
ホープはその横顔を見つめ、そっとつぶやいた。
「……これから、変わるかな……」
ラシェルは微笑み隣に座ると、ホープの肩に頭を寄せた。
その瞬間、風が頬を撫で、遠くの波音が、やさしくふたりを包んだ。
* * * * *
夕暮れ時。ふたりが家に戻ると、玄関先で誰かが手を振っていた。
「おーい、ホープ!」
声の主は、ホープの幼馴染のウィルダーだった。彼は片腕に赤ん坊を抱いており、その表情には誇らしげな父親の自覚が現れていた。
「おかえり! 二年ぶりだな。王様の側近ってそんなに忙しいのか?」
「まあ、色々あってさ……」
ホープは照れくさそうに笑いながら赤ん坊に視線を落とした。
「……その子、もしかして?」
「俺の娘。去年生まれたんだ。可愛いだろ?」
そう言って、ウィルダーは赤ん坊をラシェルの方に差し出した。
ラシェルは思わず両手を差し伸べ、赤ん坊を受け取った。
ふわふわとした黒髪、つぶらな黒い瞳。まだ言葉も出ないその小さな命が、ラシェルの腕の中でぬくもりを伝えてくる。
それは、想像以上に重たかった。そして、温かかった。
大人をそのまま小さくしたような、だけどまだ、この子たちは何も知らない。まっさらな魂を持っている。
ギリアン王が、そして、黒髪のホープが、王都で受けてきた謂れのない侮蔑や冷たい視線。
その意味も、まだこの子は知らない。
(……黒髪で、黒い目……)
ラシェルは赤ん坊を見つめながら、胸の奥で何かがゆっくりと芽吹いていくのを感じていた。
この子はまだ何も知らない。けれど――
(……この子が、もし将来、『魔女』と呼ばれたら?)
自分の中に、静かな怒りと祈りが生まれるのを感じた。
(……そんな時代に、してはいけないんだわ。それに『魔女』だって悪じゃない)
ラシェルは、そっと赤ん坊の髪に触れ、心の中で静かに誓った。
教会は、石造りの小さな建物だった。白い漆喰の壁に、古びた尖塔がひとつ。その裏手には、小さな学校と畑が併設され、子どもたちの笑い声が風に混じって聞こえてくる。
入り口の扉を開けると、柔らかな朝の光が差し込み、木製の長椅子が並ぶ礼拝堂を照らしていた。
「……おや?」
祭壇前を掃除していた白髪の老人が、こちらに気づき、驚いたように立ち上がった。
「……まさか……ホープじゃないか!」
白髪の老人の顔に、ぱっと笑みが広がった。
思わず手にしていた箒を取り落とし、よろめくように近づいてくる。
ホープは少し照れくさそうに笑いながら、頭を下げた。
「ただいま、先生。お元気そうで安心しました」
「お前さんが王都で立派になったと聞いて、心から誇らしかったぞ。五年前に村を出た少年が、本当に王様の側近になるとは……。辛いことも乗り越えて、よく頑張ったな」
牧師は目を細めて感慨深く語り、ホープの肩をぽんと叩いた。
「昔は、お前さんが鐘を鳴らすのが遅れて、村中の終業時間が遅れたこともあったな。懐かしい……」
そう言って、ホープの後ろに控えるラシェルに、穏やかに微笑む。
「すみません、あの頃は……でも、余計なこと言わないでください、ホントに……」
ホープは肩をすくめ、ラシェルの方に視線を向ける。
「紹介します。彼女は王妃付きの侍女で……王妃様から、ここの教会を見てくるよう頼まれていて……黒髪の聖人に関する何かが残っていないか、って……」
「ふむ、黒髪となると……」
牧師は腕を組み、しばし考え込んだ。
「礼拝堂の奥の間に、古い壁画が一枚残っている。あれなら……」
牧師の案内で、ラシェルは壁画を確認する。そこには、黒い髪を持つ聖女が子を抱いて民を救う姿が、朽ちかけた顔料で描かれていた。はっきりとは見えないが、確かに黒髪の人物が中心に据えられている。
(……クライスは金髪のはず。それを、黒髪の女性として描いているなんて……)
その解釈が何を意味するのか、ラシェルにはまだわからなかった。
けれど確かに、胸の奥で何かがざわめいた。
その後、牧師は礼拝堂に置かれていた一冊の聖典を手に取り、ラシェルに差し出した。
「これは我々が教科書としても使っている聖典です。この村に印刷所は無いので、どこで刷られた物かわかりません。他所の領から持ち込まれたのかもしれません。中の記述は簡易なものですが、どうか、殿下にお渡し下さい」
「ありがとうございます」
ラシェルが頭を下げると、背後から甲高い声が響いた。
「ねぇ、誰ぇ? 天使様?」
振り返ると、数人の子どもたちがこちらを覗いていた。金髪のラシェルに目を丸くし、口々に囁きあっている。
「天使様だよ、ほら、あの髪! ほんとに光ってる!」
「ほんとだ……金色の髪! 聖地から来たの?」
ラシェルはあまり小さい子に慣れておらず、緊張しながらも、子どもたちに丁寧に答えた。
「わ、私は天使様じゃありません。あなたたちと同じです。聖地からではなくて、王都のランスと言うところから来ました」
「王都って、王様のいるところ? じゃあ、お姫様なのぉ?」
「えっ、ち、違いますよ……私は……その、王妃様の、」
その光景を横で見ていたホープが、助け舟を出す。
「そうだよ。この子、お姫様なんだよ。お城に招待されたいんだったら、教室に戻って、しっかり勉強しておいで」
「はーい!」
子どもたちは元気に返事をし、駆けていった。
「この村って、みんな家族みたいだろ? 王宮にいると、忘れそうになるんだよね。こういう空気……」
その横顔に、ラシェルはそっと目を細めた。
* * * * *
午後、教会を出たホープとラシェルは、馬で少し足を延ばして村の西へと向かった。
緩やかな丘を越えると、左手には視界を塞ぐような深い森が広がり、右手は、切り立った崖と、その先に果てしない海が煌めいていた。
風が通り抜けるたびに、木の葉がさやさやと音を立て、潮の香りが鼻先をかすめる。
ラシェルは馬を降り、ゆっくりと歩を進めた。草むらに立ち尽くし、目の前に広がる景色に、しばし言葉を失う。
「……海と森って、同時に見れるのね……。なんて美しいの……」
蒼い瞳が細められ、ラシェルはぽつりと呟いた。
「ここはね。羊飼いだけが知ってる、特別な光景だよ」
「羊飼いだけ?」
「うん、ジェードがね」
そう聞いて、ラシェルは微笑んだ。
ジェードが羊の出産をたくさん手伝ったと言っていたのを、懐かしく思った。
「王妃様が……『わたしの故郷は、海と森の国』って、言ってたの。でも、私、海も森も見たことなかったから……どう答えて良いかわからなくて……」
横に腰を下ろしたホープが、木の枝を一つ拾って投げた。
小鳥が驚いて飛び立ち、空へと舞い上がっていく。
「ここは、ぼくの生まれた村。……きっと、昔から、何も変わってない」
ホープの声には、どこか懐かしさが滲んでいた。
しばらくふたりは黙って、森と海が地平線で溶け合うような景色を眺めていた。
ラシェルの金髪が風に揺れ、陽に透けて輝いて見える。
ホープはその横顔を見つめ、そっとつぶやいた。
「……これから、変わるかな……」
ラシェルは微笑み隣に座ると、ホープの肩に頭を寄せた。
その瞬間、風が頬を撫で、遠くの波音が、やさしくふたりを包んだ。
* * * * *
夕暮れ時。ふたりが家に戻ると、玄関先で誰かが手を振っていた。
「おーい、ホープ!」
声の主は、ホープの幼馴染のウィルダーだった。彼は片腕に赤ん坊を抱いており、その表情には誇らしげな父親の自覚が現れていた。
「おかえり! 二年ぶりだな。王様の側近ってそんなに忙しいのか?」
「まあ、色々あってさ……」
ホープは照れくさそうに笑いながら赤ん坊に視線を落とした。
「……その子、もしかして?」
「俺の娘。去年生まれたんだ。可愛いだろ?」
そう言って、ウィルダーは赤ん坊をラシェルの方に差し出した。
ラシェルは思わず両手を差し伸べ、赤ん坊を受け取った。
ふわふわとした黒髪、つぶらな黒い瞳。まだ言葉も出ないその小さな命が、ラシェルの腕の中でぬくもりを伝えてくる。
それは、想像以上に重たかった。そして、温かかった。
大人をそのまま小さくしたような、だけどまだ、この子たちは何も知らない。まっさらな魂を持っている。
ギリアン王が、そして、黒髪のホープが、王都で受けてきた謂れのない侮蔑や冷たい視線。
その意味も、まだこの子は知らない。
(……黒髪で、黒い目……)
ラシェルは赤ん坊を見つめながら、胸の奥で何かがゆっくりと芽吹いていくのを感じていた。
この子はまだ何も知らない。けれど――
(……この子が、もし将来、『魔女』と呼ばれたら?)
自分の中に、静かな怒りと祈りが生まれるのを感じた。
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