【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第八章 王は王妃を寵愛している

歪んだ思い ※センシティブ(不妊)

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 王妃が王都ランスへ帰還した翌朝、久しぶりの執務に備えて身支度を整えたシルヴィアが、小さな控えの間へと姿を見せた。

 部屋にはすでに、リアナとラシェルが待っていた。

「おかえりなさいませ、王妃様!」

 ラシェルがぱっと立ち上がり、数歩駆け寄って礼を取る。
 リアナも微笑みながら、静かに一礼した。

「お疲れのところ恐れ入りますが、いくつかの政務についてご報告を……とはいえ、今しばらくは、わたくしが代理を務めさせていただきますので。ごゆるりとお戻りを」

 リアナの声音は控えめだったが、どこか含みを持っていた。
 そして軽く服の裾を整えると、付け加える。

「今夜の湯殿も、支度を整えております。――よろしければ、陛下とご一緒に」

 意味深な言葉に、ラシェルがちらりと反応する。
 だがシルヴィアは穏やかに微笑むだけだった。

「では、わたくしは、少々、使いに呼ばれておりますので……」
 リアナが部屋を後にし、二人きりになった。



 ラシェルは改めて王妃と向き合った。

「シルヴィア様……本当に、お帰りなさいませ」
「ただいま、ラシェル」

 そう返すシルヴィアの声には、懐かしい温もりがあった。
 ラシェルの胸の奥がふっと熱くなる。

 しかし、次の瞬間、ラシェルは頭を下げ、真剣な面持ちで言った。

「王妃様……あの、お薬をくださって……本当に、ありがとうございました。……でも、謝らなければなりません」

「謝る? 何かあったの?」

「……私、ホープ様と、……あの、一度だけ、……その、……して、しまいまして……」

 親友の恋の話を聞いて、シルヴィアは両手を頬にあてた。
 だが、シルヴィアの照れに反して、ラシェルはひどく不安そうだった。

「だけど……その時に、いただいたお薬を使っていなかったんです。準備も覚悟もないのに……私、その場の気持ちに流されてしまって……。王妃様の侍女として、とても軽率でした」

 ラシェルは顔を赤らめながらも、言葉を絞り出す。
 シルヴィアは黙って頷き、柔らかな表情でラシェルに寄り添った。

「仕方ないわ。初めての時って、多分そんなものよ。きっと、誰でもそう。準備なんて、中々出来ていないもの。あなたは悪くないわ」

 その言葉に、ラシェルの瞳が潤む。
 けれどラシェルは、さらに続けた。

「それが……今、少し、月のものが遅れているんです……。すごく怖くなってしまって。……まだ分からないのですが……もし、もし赤ちゃんが出来ていたら……、私、侍女を辞めて、修道院に行って育てます。王妃様にも申し訳ないのですが、……ホープ様は、陛下の忠臣ですから……」

 言いながら、はらはらと涙がラシェルの頬を伝った。
 その姿は、ただの恋に溺れた少女ではない――責任を背負おうとする覚悟のにじむ涙だった。




 しかし、その時、シルヴィアは、胸の奥にじわりと広がる、抑えがたい感情に気付いた。




 それは、喜びでも、怒りでも、哀しみでもない。
 けれど、それらすべてが滲んだような、名付けようのないざらついた感情。

 ラシェルが、もしかしたら赤ん坊を授かったという。
 まだ確定ではない。だが、
 その可能性に、彼女が怯え、涙を流しているのに――



 ――羨ましい。



 それはあまりにも醜くて、思わず胸の奥を手で押さえたくなるほどだった。
 王妃という顔の裏で、そんな自分がいることが、たまらなく情けなかった。


 自分は、ずっと願っていたのだ。
 子を授かることを。
 ギリアンとの間に、命を宿すことを。
 それが叶わないまま、またひと月が過ぎようとしていたのに――


 ラシェルは、、衝動に任せた愛の果てに、可能性を手に入れていた。


 それなのに。
 彼女は怯えている。
 手放そうとしている。
 その命を、怖れている。


 だったら……

 わたしが――欲しい。その子を。


 ホープの子なら、ギリアンの血を引いていなくても、きっと愛せる。
 ラシェルの子なら、きっと……。



 そんな思いが頭をかすめ、シルヴィアは息をのんだ。

(あぁ、わたし……何て恐ろしいことを考えているの……)

 誰よりもラシェルを大切に思っているはずの自分が、今、彼女の幸運を憎み、その上、自分に都合良く捻じ曲げようとしている。

 けれど、シルヴィアはその感情を決して表に出さず、優しくラシェルの肩を抱いた。

「大丈夫よ、ラシェル。……もし本当にそうなったら、わたしがなんとかするから。あなたは一人じゃないわ」

 その言葉に、ラシェルは堰を切ったように涙をこぼし、シルヴィアの胸に顔をうずめた。
 シルヴィアの中の、歪んだ思いには、気が付くこともなく。
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