【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第九章 わたしは、あなたの子どもを、望んでいます

わたしの望み

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 窓の外には、初夏の気配を帯びた風が流れていた。
 王宮政庁の一室。重厚な石壁に囲まれた執務室に、穏やかな陽射しが差し込んでいる。

 王ギリアン・フォン・ヴァロアは、手元の書簡から顔を上げると、入室してきた二人の女性に穏やかな視線を向けた。

「おかえり、シルヴィア。ラシェルも。ツンゲンの視察、ご苦労だったね」

 長旅の疲れも見せず、シルヴィアは礼儀正しく一礼する。
 ラシェルも、後ろで控えめに頭を下げた。

「ありがとうございます、陛下。……ツンゲンでは、今年も葡萄がよく育っておりました」

 シルヴィアが穏やかに切り出すと、ギリアンも笑みを浮かべた。

「そうか。初蔵出しの季節だな。来年は、王宮の杯も賑わうことだろう」

 ラシェルが控えめに横で微笑む。

 だが、シルヴィアの表情はふと、少しだけ陰を帯びた。
 シルヴィアは手元の包みから、ワインの瓶を差し出す。

「これは、モンドメーヌ修道院で、今年初のワインを譲って頂きました。わたしが渋みが苦手だと申しましたら、沸かすと良いと教えてくださいまして……。渋いワインが苦手な方にも、芳醇な味に変わるそうです」

「……それは興味深いな。君の為に、試してみよう。僕は、甘いものは苦手だが、君の好みには合いそうだ」

 ギリアンは静かに応じる。
 けれど、その言葉にすぐ笑顔を返すことなく、シルヴィアは僅かに視線を落とした。
 その目には、確かな覚悟が宿っていた。

「陛下……いえ、ギリアン様。ご報告したいことがあります」

 空気が変わるのを、ラシェルも感じ、すっと姿勢を正す。

 シルヴィアはゆっくりと語り出す。

「今回訪れた修道院には……黒髪の子どもたちが保護されておりました。四年前の魔女狩りを逃れてきた子たち……あるいは、逃げる途中で置き去りにされた子たち……。名も分からぬまま、祈りと労働の中で、子どもたちは育っておりました」

 ギリアンは黙して耳を傾ける。その顔に、感情は見えない。

「……修道院には、髪の色で子どもたちの間に距離が生まれぬよう、日々苦労しておられました。わたし自身、その姿に心を動かされました。
 それに、ラシェルも、現地で子どもたちと言葉を交わして……黒髪の子どもたちの中には、金色の髪の人を恐れている感じがあると、教えてくれました」

 ラシェルは小さく頷きながら、口を開いた。

「はい……中には、兄妹で手を取り合って修道院まで来た子もいました。だけど、皆、微かに怯えた目をしていて……私がお名前を聞いても、咄嗟には答えられない状態でした」

 ギリアンの眉が、ほんの少し動いた。
 シルヴィアは一呼吸おき、言葉を継ぐ。

「わたしは、ヴァロニアの王妃として、彼らを拒まない国でありたいと願いました。――たとえわたし自身が、子どもに恵まれなかったとしても……その子たちを、未来に迎える覚悟があります」

 静かながら、芯のある声だった。

「……養子、という形でも、構いません。王家の『血』に拘るあまり、未来を閉ざすのではなく、救える命に手を差し伸べたい。それが、わたしの望みです」

 その言葉に、ギリアンの目が一瞬だけ揺れた。
 だが、それをすぐに表に出すことはせず、机の上に両手を添えたまま、深く黙考する。

 やがて、ギリアンはゆっくりと椅子を離れ、歩み寄る。

「……君が、その覚悟をもって帰ってきた事を、受け止めよう。すぐに結論は出せないが……僕自身、よく考えてみたいと思う」

 その声音には、王ではなく、一人の夫としての柔らかさが滲んでいた。

 ラシェルの表情がふっと和らぐ。
 しかし――その静けさは、次の報せによって破られることとなった。


 扉の外から、急ぎ足の音と、ざわめく声。
 侍従が顔を強張らせながら、部屋へと駆け込んできた。

「……失礼いたします、陛下。緊急の報告がございます」

 ギリアンが僅かに眉を上げると、侍従は声を潜めて告げた。

「レオナール・フォン・グラディス閣下が……王国警備隊に拘束されました」
「……拘束?」

「規定外の瓶――納品記録にない物品を所持していたとのことで……身元不明の薬剤として、調査が入っております」

 一瞬、時間が止まった。
 ギリアンの表情が、ゆっくりと引き締まる。

「……それは、どういうことだ」

 低く抑えた声が、室内の温度を一段下げた。

 ラシェルが思わず息を飲む横で、シルヴィアの胸にも緊張が走る。
 その瓶に、思い当たる節がある。

(まさか……『黒曜の蜜』が?)

 心臓の鼓動が、静けさのなかで耳に響いた。
 初夏の光の中に、王宮の空気がにわかに不穏な影を落とし始めていた。
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