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第九章 わたしは、あなたの子どもを、望んでいます
忠犬は魔女の香りを見逃さない
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その日の朝。
ヴァロニア王宮の政庁棟に、一つの足音が響いていた。
ホープ・ダークは、黒毛の軍用犬を連れ、王命で各区画の巡視をしていた。近ごろの政庁内薬品流出の噂を受け、王命により全室巡視が命じられていた。
「レオナール閣下、ホープです。入っても良いですか?」
ノックの後、ホープが扉を開けると、レオナール・フォン・グラディスが書類に目を通していた。
外交顧問としての業務に、微塵の隙もない整った姿。
「入ってくれ。例の件の確認だな」
「はい、陛下からの伝達の補足ですけど、犬が一緒でも構いませんか?」
「……ああ、構わないが……」
許可を得て、ホープが一歩踏み入れた瞬間――
足元の犬が、ぴたりと動きを止めた。
「……ん?」
犬の鼻先がひくつき、レオナールの机の奥――壁際の棚に向かって、低く唸り始めた。
「ルー、待て! 閣下、……失礼ですが、何か強く反応しています」
ホープが制止しようとするが、犬は唸りを強め、爪で床をかき、一つの棚に鼻を押し当てた。
レオナールの表情が、わずかに強張る。
だが、その声は落ち着いていた。
「犬を外に出してもらえないか。ここは私室も兼ねている」
「閣下……申し訳ありません……」
ホープの声に緊張が混じる。
「……軍犬がこうして執拗に反応した場合、内部点検の義務が発生します。……一応、王命の安全規定ですので……」
レオナールは口を閉ざし、目を伏せた。
その沈黙が、不自然なほど長く続いた。
やがて、ホープが棚の引き出しに手をかけ、慎重に開ける。
中には、薄布に包まれた小さな木箱。
それを取り出した瞬間、犬はぴたりと動きを止めた。
「中に……瓶が」
ホープが布をほどくと、現れたのは、黒曜石のような艶を持つ瓶だった。
深く沈んだ黒。匂いはほとんど無い――
「……これは、何ですか?」
ホープが振り返ると、レオナールは静かに立ち上がっていた。
その目に宿るものは、隠しきれない覚悟が浮かんでいた。
「……俺のものだ」
短く、低い声でレオナールは言った。
「内容を、聞かせてもらえますか?」
「それは……出来ない。個人の私物だ。申請はしていない。中身も、出所も、説明するつもりはない……それに、渡すつもりもない」
ホープは、迷いの表情を浮かべた。
長年の忠誠と王命との間で、僅かに拳を握る。
王の参謀として信頼していた男を、自らの手で拘束するなど、誰が望んだだろうか。
「……閣下、見逃すことは……出来ません。……規定に基づき、閣下を一時拘留とさせて頂きます。王命によって、記録にない薬物はすべて調査対象なので……」
レオナールは微笑すら浮かべず、淡々と頷いた。
「……分かった。従おう」
その声音には皮肉も憤りもなかった。ただ、何かを守る者の沈黙があった。
兵士たちは逡巡しながらも、正規の手順に従ってレオナールを拘束した。
その姿に、ホープはほんの一瞬、胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。
だが、その感情を表に出すことはなかった。
間もなく、騎士団より正式な記録官と兵が派遣され、黒い瓶は封印されて城内の警備局へ運ばれた。
ちょうどその頃――
政庁棟の最上階では、ヴァロニア王ギリアンが机上の書簡に目を通していた。
午後には、ツンゲン視察から戻った王妃シルヴィアと侍女ラシェルからの報告を控えており、朝のうちに政務を片付けていたところだった。
午後になり、執務室の扉を、緊急報告を携えた侍従が軽く叩いた。
執務室には、報告に来ていたシルヴィアとラシェルがいた。
執務室の空気が凍りつく。
レオナールの名を聞いた瞬間、ギリアンの手が止まった。
「……それは、どういうことだ」
ギリアンは眉をひそめたが、侍従はギリアンの傍まで行き、声を落として報告する。
「現在、該当物の調査が進められております」
王宮政庁にさざ波のような不穏が広がり始めていた。
ヴァロニア王宮の政庁棟に、一つの足音が響いていた。
ホープ・ダークは、黒毛の軍用犬を連れ、王命で各区画の巡視をしていた。近ごろの政庁内薬品流出の噂を受け、王命により全室巡視が命じられていた。
「レオナール閣下、ホープです。入っても良いですか?」
ノックの後、ホープが扉を開けると、レオナール・フォン・グラディスが書類に目を通していた。
外交顧問としての業務に、微塵の隙もない整った姿。
「入ってくれ。例の件の確認だな」
「はい、陛下からの伝達の補足ですけど、犬が一緒でも構いませんか?」
「……ああ、構わないが……」
許可を得て、ホープが一歩踏み入れた瞬間――
足元の犬が、ぴたりと動きを止めた。
「……ん?」
犬の鼻先がひくつき、レオナールの机の奥――壁際の棚に向かって、低く唸り始めた。
「ルー、待て! 閣下、……失礼ですが、何か強く反応しています」
ホープが制止しようとするが、犬は唸りを強め、爪で床をかき、一つの棚に鼻を押し当てた。
レオナールの表情が、わずかに強張る。
だが、その声は落ち着いていた。
「犬を外に出してもらえないか。ここは私室も兼ねている」
「閣下……申し訳ありません……」
ホープの声に緊張が混じる。
「……軍犬がこうして執拗に反応した場合、内部点検の義務が発生します。……一応、王命の安全規定ですので……」
レオナールは口を閉ざし、目を伏せた。
その沈黙が、不自然なほど長く続いた。
やがて、ホープが棚の引き出しに手をかけ、慎重に開ける。
中には、薄布に包まれた小さな木箱。
それを取り出した瞬間、犬はぴたりと動きを止めた。
「中に……瓶が」
ホープが布をほどくと、現れたのは、黒曜石のような艶を持つ瓶だった。
深く沈んだ黒。匂いはほとんど無い――
「……これは、何ですか?」
ホープが振り返ると、レオナールは静かに立ち上がっていた。
その目に宿るものは、隠しきれない覚悟が浮かんでいた。
「……俺のものだ」
短く、低い声でレオナールは言った。
「内容を、聞かせてもらえますか?」
「それは……出来ない。個人の私物だ。申請はしていない。中身も、出所も、説明するつもりはない……それに、渡すつもりもない」
ホープは、迷いの表情を浮かべた。
長年の忠誠と王命との間で、僅かに拳を握る。
王の参謀として信頼していた男を、自らの手で拘束するなど、誰が望んだだろうか。
「……閣下、見逃すことは……出来ません。……規定に基づき、閣下を一時拘留とさせて頂きます。王命によって、記録にない薬物はすべて調査対象なので……」
レオナールは微笑すら浮かべず、淡々と頷いた。
「……分かった。従おう」
その声音には皮肉も憤りもなかった。ただ、何かを守る者の沈黙があった。
兵士たちは逡巡しながらも、正規の手順に従ってレオナールを拘束した。
その姿に、ホープはほんの一瞬、胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。
だが、その感情を表に出すことはなかった。
間もなく、騎士団より正式な記録官と兵が派遣され、黒い瓶は封印されて城内の警備局へ運ばれた。
ちょうどその頃――
政庁棟の最上階では、ヴァロニア王ギリアンが机上の書簡に目を通していた。
午後には、ツンゲン視察から戻った王妃シルヴィアと侍女ラシェルからの報告を控えており、朝のうちに政務を片付けていたところだった。
午後になり、執務室の扉を、緊急報告を携えた侍従が軽く叩いた。
執務室には、報告に来ていたシルヴィアとラシェルがいた。
執務室の空気が凍りつく。
レオナールの名を聞いた瞬間、ギリアンの手が止まった。
「……それは、どういうことだ」
ギリアンは眉をひそめたが、侍従はギリアンの傍まで行き、声を落として報告する。
「現在、該当物の調査が進められております」
王宮政庁にさざ波のような不穏が広がり始めていた。
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