【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第九章 わたしは、あなたの子どもを、望んでいます

グラディス家の名に泥がついても

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 蝋燭の火が揺れる、ヴァロニア王宮の地下拘留房。
 その無言の闇を裂くように、重い扉が開かれた。

 ギリアン・フォン・ヴァロアは、侍従の同行を断り、一人その部屋へと足を踏み入れた。
 石造りの空間に、わずかに残る夜の冷気。
 椅子に座っていた青年が、静かに立ち上がった。

「……陛下」

 金髪の青年――外交補佐官、レオナール・フォン・グラディス。
 その態度には、一切の取り乱れはなかった。拘留中であることを除けば、いつも通りの節度ある姿だ。

「……かけてくれ」

 ギリアンの声は低く、張り詰めた静けさを纏っていた。
 椅子に腰を下ろすと、しばし、二人の間に重たい沈黙が流れる。

「……黙秘を続けているそうだな」
「はい」
「理由を、聞かせてくれ」

 問いは穏やかだが、内に冷たい鋼を孕んでいる。
 レオナールは一度、視線を伏せ――そして顔を上げ、答えた。

「持っていたのは、確かに俺です。だが、中身について申し上げるつもりはありません」

「毒ではないと断言できるか?」

「……断言は、出来ません。俺自身、開けたことも、使用したこともありませんので」

 ギリアンの眉が僅かに動いた。
 机の上に両手を組み直し、目を細める。

「では、何故持っていた?」
「個人的な私物です」

 即答ではあるが、その言葉に説得力はない。
 あまりに曖昧で、逆に不自然だった。

「王宮への薬品持ち込みには申請が必要だ。君が、それを知らなかったとは思えない」
「承知しております」

「それでも、申請せず、保管し続けた。……何故だ?」

 レオナールの瞳は、この時も少しも揺れなかった。
 静謐な意志の中に、何かを封じ込めるように。

「俺には、申し開きするよりも、黙しているべき理由があるのです」

 ギリアンはすぐに返さなかった。
 深くは問い詰めず、しかし、視線は強く、問いかけていた。

「……グラディス家の名を危うくしてまで、守る理由とは?」
「家のためではありません。個人の信義に関わることです」
「王にすら、語れぬというのか?」

「はい。いま俺が口を開けば、関係のない方々に波及するかもしれない」
「無実を主張する気は、ないのか」

「ありません。――未登録の瓶を保管していた。それは事実です。処罰は甘んじて受けます」

 あまりに淡々とした物言いに、ギリアンの指がわずかに動いた。
 怒りとも困惑ともつかぬ感情が、瞳にかすかに浮かぶ。

「君はそんな軽率な真似をする人物ではない。故に、なおさら腑に落ちない。誰の指示でもなければ、別の目的があるのではないか」

 レオナールは答えなかった。
 その沈黙は、まるで砦のように堅牢だった。

 蝋燭の炎が、石壁に揺れる二人の影を映す。
 まるで過去と未来を隔てるように。

「……近く、正式な調査が入る。証言を拒む限り、ヴァロニア王国法に則って裁かれることになる。――それでも、なお沈黙を貫くのか」

「はい」

 わずか一語の返答。だが、それは諦念ではなかった。
 意志と矜持に裏打ちされた、確固たる決断だった。

「……俺には、守るべきものがあります。申し開きよりも、大切なものが」
「君が黙っている理由は、それほど重いのか」
「はい。王命をもってしても、語ることは出来ません」

 ギリアンは椅子を静かに引いて立ち上がる。
 鉄扉に向かいながら、背後の青年に一言、視線を投げかけた。

「……いずれ、君が庇う誰かの名は明るみに出る。それでも良いと?」

 その言葉に、レオナールの瞳が一瞬だけ揺れた。
 だが、すぐに澄んだ光に戻った。

「名が明かされることよりも、今、俺が選ぶべき意志があります」

「……意志?」

「名が傷つくことを恐れて、選ぶべきことを見失うわけにはいかない。それが、たとえ、俺一人の末路で終わったとしても」

 ギリアンはその言葉に、長く黙した。
 その沈黙の中で、目の前の青年の背後には、別の目指すべき未来がある――という確信が、静かに胸を満たしていく。

「……グラディス家の名に、泥がつくかもしれないぞ」
「名よりも、志を守ります。……それが、俺の、グラディス家の選ぶ道です」

 扉へ向かいかけていたギリアンは、その言葉に小さく息を吐き、最後にもう一度だけ振り返る。

「……自分の行動が何を導くか、理解しているのだな」
「はい。ですが、それでもなお、沈黙を貫くと決めたのは――俺自身です。誰の命令でもない」
「……分かった」

 ギリアンはそれ以上、何も言わなかった。
 ただ静かに扉を開き、重い音を響かせながら、その場を去っていく。

 レオナールは、それを見送ったあと、小さく目を閉じる。
 蝋燭の影が、石壁に長く伸びていた。
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