【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第九章 わたしは、あなたの子どもを、望んでいます

尊い犠牲

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 午後の王宮。
 西棟の応接間には、密やかな気配が漂っていた。

 窓辺に立つリアナ・フォン・グラディスの横顔は、どこか沈痛だった。
 リアナの目は、遠く執務棟の方角を見つめている。

 しばらくすると、扉が静かに開き、王妃シルヴィアが姿を現した。

「リアナ。お待たせして、ごめんなさい」
「いいえ、王妃様。お顔を見れば、大体察しがつきましたわ」

 リアナは軽く一礼し、椅子を勧める。
 シルヴィアは頷いて腰を下ろし、テーブルに並べられたティーカップに目を落とした。

「遅かったわ。……陛下は、既にレオと面会されたようなの」
「それで、兄様は、陛下には何も話していないのですね?」

「ええ。でも……陛下は、きっと、レオが誰のために黙っているのか、初めから気付いていると思うわ」

 リアナは、溜息混じりに言った。

「……本当に、詰めが甘いんです。兄様は。肝心なところでいつも、正義感と感情で突っ走る。――それで、王妃様は、その『黒曜の蜜』と言う薬を、どうなさりたいのです?」

 その問いに、シルヴィアは顔を上げた。
 レオナールが、この件にはリアナを関わらせたくないと言っていたのを思い出し、自分の不甲斐なさを痛感する。

「……わたしが、陛下に正直にお話しするわ。どうしてその薬を受け取ったのか。どうしてレオに預けたのか……全て」

 リアナは目を伏せ、静かに頷いた。だが、次の瞬間には鋭く顔を上げる。

「それは、王妃様らしいお答えです。でも……お考えになったことはありますか? 真偽はともかく、『王が不妊だった』という噂が、どれほどの火種になるか」

 シルヴィアは、思わず言葉を失った。

「それは……でも、ギリアン様は、きっと赦してくださいます。わたしを責めたりは――」

「はい。陛下は、王妃様に関しては、大変お優しい方です。王妃様のことも、その想いも、全部受け止めて下さるでしょう。でも、それをヴァロニア全体が赦すとは限りません」

 リアナの声は、淡々としながらも揺るぎなかった。

「王が子を持てなかった。それはただの身体の話ではありません。王家の血筋、神の祝福、国家の未来……すべての根幹を揺るがす問題になります」

「……」
「氷派の民は『神に選ばれた王』を求めます。王に子が出来ないと知られれば、『呪われた王』だと囁かれ、王妃が子を授かれば、今度は『本当に王の子か』と疑われ騒がれます。王妃様の名誉さえも脅かされる」

「……そんな」
 シルヴィアは震える指先で、膝の上の手を握りしめた。

「外交にも響きます。『ヴァロニア王家は先がない』と思われれば、他国が王位継承に干渉しようとする。きっと氷派の貴族も動き出します。『正統な血筋』が必要だと。再び、国内の派閥抗争にも火がつく」

「わたし……そこまで……」
「ご存じなくて当然です。けれど、もうあの『薬』は――『王家の秘密』になったのです」

 リアナは、ゆっくりと身を乗り出した。

「だから、兄は黙っています。王妃様を守るためだけではない。グラディス家の信念として、この国ヴァロニアの未来をに委ねるために、あの薬を預かったのです」

「……」
「だからこそ、あの人は、黙って罪を被るという選択をしている。それは犠牲ではありません。選ぶべき未来を守るための覚悟です」

「レオを……そんな風に……」
 シルヴィアの目に涙が滲んだ。

 リアナは目線を落とし、短く付け加えた。

「……兄は愚直なのです。でも、グラディス家の男ですから。その意味では、王妃様と似ていらっしゃる心の持ち主ですわ」

 リアナは、シルヴィアの手を取った。

「どうか、王妃様もご自身の信念を貫いてくださいませ。そして……兄を信じて。この国の未来を選んだことに、後悔がないように」

 ――誰も傷つけたくない。けれど、全てを守ることも出来ない。
 その現実の中で、女たちは互いに目を合わせ、緩やかに頷き合った。
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