【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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後日譚 王の側近と王妃の侍女

小さな再会

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 翌朝、王宮の離れには冬の陽が差し込んでいた。
 昨夜は、旅の疲れもあって早々に休んだが、どこか落ち着かず、浅い眠りのまま夜が明けた。
 それでも、ラシェルは身支度を整え、静かに扉の外に立った。

 侍女に導かれて通されたのは、王妃に付き従っていた頃にも入ったことのある、小さな応接間だった。
 豪奢ではないが、柔らかな光が満ち、冬の日差しが白いカーテンを透かしている。

 ほどなくして、扉がきいっと音を立てた。

「お待たせしました」

 扉の向こうから現れたのは、昔と変わらぬ、気品と優しさをたたえた王妃だった。

「ラシェル」

 たったそれだけの言葉に、胸が一気に熱くなる。
 ラシェルは気持ちを抑えて立ち上がると、深く頭を下げた。

「王妃様。ご無沙汰しております」

 シルヴィアは首を振り、すぐにラシェルの手を取った。
 細く、けれどしっかりとしたその指が、懐かしい温もりを帯びている。

「帰ってきてくれたのね」
「……はい」

 ラシェルは頷いたが、次の言葉がうまく続かなかった。

 シルヴィアは、何も聞かずにラシェルをソファへと促す。
 温かい香草茶が既に用意されていた。

「ヘーンブルグの教会から、報せが届いたの。命名の帳簿に、あなたの名が記されていたって」

 ラシェルの肩が、わずかに揺れた。

「驚いたけど……とても、嬉しかったわ。新しい命が無事に生まれたんだってわかったから」

 静かに語る王妃の言葉が、胸に沁みた。

「……ごめんなさい、黙っていて……。でも、どうしても、知らせる勇気が持てなくて」

「いいのよ。わたしの方こそ。本当は、すぐにでも会いに行きたかったの。でも、あなたの静かな生活を、壊してしまうような気がして……」

 二人は視線を交わす。
 そこにあったのは、主従と言うよりは、今は母親となった女友達の姿だった。

「赤ちゃんは……元気?」

 その問いかけに、ラシェルは微笑む。

「はい。ルークという名前をつけました。『光』という意味です」

 シルヴィアもまた、目を細めて微笑んだ。

「素敵な名前ね。……きっと、あなたのように、輝くように育つわ」

 沈黙が少しだけ流れた後、ラシェルがふっと目を伏せた。

「……私、王妃様のお傍で、学んだことが沢山ありました。だから、ルークには、ここで見たものや、感じたことを、ちゃんと伝えてあげたいと思ってるんです。私が変われたように、ルークにも、家名や偏見に縛られない、生き方を知ってほしいから」

 その言葉に、シルヴィアは何も言わず、ラシェルの手をもう一度、優しく握った。

「……わたしは、ここに来てからずっと、あなたの存在に支えられていたんだけど。そんな風に言ってもらえるなんて光栄よ」

 二人の間には、言葉以上のものが通い合っていた。
 ――六年間、同じ王宮で共に過ごした時間。
 苦しみに寄り添い、喜びを分かち合いながら歩んできた記憶が鮮やかに蘇った。

 ラシェルはそっとカップを手に取り、胸の内に満ちるものを言葉に変えようとした時だった。
 控えの扉が、軽くノックされた。

「――失礼いたします、王妃様。リアナ様がお見えです」

 控えの侍女の声に、シルヴィアが微笑む。

「ええ、通してちょうだい」

 扉が開くと、そこに現れたのは、金の髪をまとめたリアナだった。
 そしてその腕には、ぷにっとした頬と好奇心の瞳をもつ、黒髪の子ども――エリクスが抱かれていた。

「王妃様、ラシェル様……ご挨拶の邪魔をしてしまって、申し訳ありません」

 リアナが軽く膝を折って挨拶すると、エリクスもその腕の中で、真似をしてぺこりと頭を下げたように見えた。
 だが、ラシェルと目が合った瞬間、その小さな身体はくるりとリアナの胸元に、隠れるように顔をうずめた。

 きゅっと肩を縮め、恥ずかしそうに身を潜めるその姿に、ラシェルは思わず笑みを漏らした。

「まぁ、エリクス殿下……!」

 シルヴィアが柔らかく微笑みながら、小声で言う。

「最近、人見知りをするようになっちゃったの……」

 リアナも苦笑しながら、そっとエリクスの背を撫でる。

「エリ様。こちらはラシェル様ですよ。おぼえてませんか? 王妃様の、たいせつな方ですよ」

 優しく諭すリアナの声に、エリクスはちらりと顔を覗かせる。
 王と同じ蒼の瞳が、ラシェルの方を恥ずかしげに見つめた。

 リアナは、そっとエリクスを床に降ろした。小さな靴音が控えめに響く。
 あの小さかったエリクスが、自分の足でしっかりと立っている姿を見ると、胸が熱くなった。
 小さいルークと比べると、すっかりお兄さんだ。

 降ろされたエリクスは少しだけ戸惑ったように、リアナのスカートの裾に手を添えながら、ちらっとラシェルの方を見た。

「……ラチェルさま?」
 小さな声で、リアナに問いかける。

「そうですよ。ラチェルさま。エリ様がまだ赤ちゃんだったときに、たくさん可愛がってもらった方です」

 リアナが優しく答えると、エリクスはもじもじとラシェルの方を見つめた。
 その瞳には、まだ少しだけ照れくささと戸惑いが混じっている。

 ラシェルは膝を軽く折り、目線を合わせて優しく微笑んだ。

「殿下、大きくなられましたね。……抱っこしても、いいですか?」

 その問いかけに、エリクスは一瞬、足元でぴくりと体を動かした。かと思うと、くるりとリアナの方へ身を寄せ、スカートの陰に隠れるようにしがみついた。

「……リアナ、だっこして」

 その少し舌足らずな甘え声に、場の空気がふわっと緩む。
 ラシェルも、シルヴィアも、リアナまでもが、思わず微笑んだ。

「殿下、私のこと、忘れちゃいましたか?」
「ふふ……リアナがエリクスを誰より可愛がるから、大好きなのよ」

 シルヴィアの穏やかな声に、ラシェルも微笑みながらそっと頷いた。

「こんなに可愛いと、見せびらかしたくなってしまいますね」

 リアナが悪戯っぽく言うと、シルヴィアも小さく頷いた。

「毎日が発見の連続よ。……ねえ、ラシェル。ルークも、きっとこんな風に、少しずつ言葉を覚えていくのね」
「……はい、そうですね」

 ラシェルは、頷きながら微笑んだ。

 ――母としての喜び、そしてこれからの未来。

 それぞれの命が、確かに息づいていた。
 瞳の奥に、我が子の姿が自然と思い浮かぶ。

(早く、ルークのもとに帰りたい――)

 王宮の柔らかな陽だまりの中で、そう願いながらも、ラシェルは王都で果たすべきもう一つの役目を思い出し、そっと唇を噛んだ。
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