【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

文字の大きさ
177 / 182
後日譚 王の側近と王妃の侍女

クレマン・フォン・ラヴァール

しおりを挟む
 午後に差し掛かる時間に、ラシェルは王宮の門を後にした。

 昼になっても冷えたままの石畳に、王家の馬車の車輪と蹄音が静かに響く。
 王妃の采配で身支度を整えたラシェルは、簡素ながら品のある外套に身を包み、澄んだ冬の空気を静かに吸い込んでいた。

 向かうのは、かつて自分が暮らした家――王都にあるラヴァール家の邸。
 久方ぶりのその帰路は、懐かしさと、淡い緊張が入り混じっていた。

(……九年振りなんて。クレマン兄様は、どんな顔をするかしら)

 やがて、懐かしい通りの奥に、馴染みのある石造りの屋敷が見えてくる。
 整えられた扉の前に、家を出た時と変わらず、紋章が掲げられていた。

 門前で馬車を下り、御者に別れを告げると、ラシェルは意を決して扉を叩いた。
 応対したのは、壮年の兵だった。ラシェルの顔を見て目を丸くする。

「……ああ、姫様……! すぐに……お通しいたします!」

 慌ただしく招き入れられる。
 廊下の石は冷たく、家の中は静まり返っていた。

 玄関広間に通されたラシェルが外套を脱ぎかけた、その時だった。

「……ラシェル」

 その低く落ち着いた声は、二階から階段を下りてくるクレマンのものだった。

 変わらぬ整った金髪と、やや痩せた頬。
 ヴィンセントとラシェルとは少し違う系統の、しかし美男ではある。
 ラシェルの記憶より少しだけ、疲れたように見える顔。

 けれど、その眼差しは相変わらず鋭かったが、やはり昔から知っている兄だった。

 階段を下りきると、クレマンはラシェルの正面に立つ。
 二人は、九年ぶりに、真正面から向き合った。

 昔、長兄ヴィンセントが五年振りの帰郷した時、自分はひどく憤りを感じたが、クレマンも、今の自分に対して同じように思っている事だろう……。

 ラシェルは、一礼しながら言った。

「ご無沙汰しております、クレマンお兄様。……お手紙、拝見しました」

 クレマンは、しばしラシェルをじっと見つめてから、短く言った。

「……話そう。あまり、時間は取れぬがな」

 その口調は固いままだったが、玄関に入った冷気を遮るように、クレマンは扉を閉めてくれた。

 静かな応接間へと、二人は入った。
 以前は無かった濃青の絨毯に、重厚な革張りの椅子。
 暖炉の薪は赤々と燃えていたが、室内の空気はどこかひんやりとしている。

 ラシェルは椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばしていた。
 その向かい、対になる椅子にクレマンが腰かけ、足を組む。

「……馬鹿な真似をしたものだな」

 最初の一言が、それだった。
 怒鳴らず、嘲らず。ただ、低く、疲れたような声。

 ラシェルは眉一つ動かさず、静かに目を伏せた。

「……私も、そう思います……」

「一つ確認するが、ヴィンセント……兄上が、関わってはいないんだな?」
「……あの人の事は、私は、もう、何もわかりません」

 その言葉を聞いて、クレマンは安堵したように一つ息を吐いた。

「なら、どうしてあんなことをしたんだ? あの教会の記録……。君の子が、黒髪蒼眼だと言う噂も聞こえている。まさか、陛下の庶子ではあるまいな」

「なんて事を仰るんですか! 子どもの父親は、ヘーンブルグ出身のホープ・ダークです」

「……なるほど、ヘーンブルグ出身か。だから、父親が黒髪だと」
「はい、その通りです」

 再び、クレマンの瞳に疑いの色が浮かぶ。
 クレマンは、かつてヴィンセントがヘーンブルグ領主として左遷されたことを知っているのだろう。
 だが、そのことは結局口に出されなかった。

「では、何故、ホープ・ダークとの婚姻手続きも通さず、フォン・ラヴァールの名を使ったんだ」

 淡々と追及される。
 ラシェルは、用意していた言葉を、怯まずに口にした。

「……ホープとの婚姻は、貴族の法では許されませんでした。ならば、私はせめて母として息子に何か残したかったの。私はまだ、ラヴァール家の籍にあります。……私の名を与えることだけは、できたから」

 クレマンの瞳が、一瞬揺れた。

「それは、ラヴァール家の名を、盾にしたということだ」

「盾というより、証です。……あの子が、この世界に、誰かに愛されて生まれたという証が、欲しかったんです」

「綺麗事を。……子どもに情を注ぐことと、名を利用することは別だ」

 クレマンは、椅子の肘に肘を乗せ、じっと妹を見つめる。

「お前は昔から、氷派の娘だった。ヴィンセント兄さんに噛みついた時も、私と同じ理屈で動いた。なのに今、『証』だの『想い』だの……どこで、変わってしまったんだ? ラシェル」

 その言葉に、ラシェルは微かに息をはいた。

「……シルヴィア王妃に出会ったから、です。あの方は、誰よりも王妃としての秩序を求めながら、同時に、一人の女として愛を貫こうとしていました。私、シルヴィア様に出会って……ようやく、心を赦された気がしたの」

 クレマンは暫く黙っていた。
 炎の揺らぎだけが、二人の沈黙の間を満たす。

「……まるで別人だな。お前が氷派の秩序を乱すなんて、昔なら考えられなかった」

 ラシェルは、苦笑する。

「私だって、昔のままなら、今の自分を許せないと思うわ」

 クレマンは目を伏せ、深く息を吐いた。

「……今は保留にしておく。だが、王家がこの件にどう関与するか。それ次第だ」

 そこまで言って、クレマンは視線を上げた。
 その蒼い瞳には、凍ったような理性が宿っていた。

「ラシェル、お前はもう、ラヴァール家ではないと心得ろ。名を残すことは勝手だ。だが、その名に、これ以上私情を乗せるな。ルークはラヴァールの継承者ではない。……それだけは、肝に銘じておけ」

 ラシェルは、痛みを堪えるように瞼を伏せる。
 けれど、否定はしなかった。
 クレマンの言葉は冷たいが、そこに兄なりの線引きの優しさがあることを、どこかで感じた。

「……わかってます。――クレマンお兄様、私たちは、別の道を歩んでしまった。でもお兄様が、私を否定しなかったこと……私、忘れないです」

 クレマンは何も返さなかった。
 ただ、静かに立ち上がる。

「……扉まで送らせよう。今の時間なら、街門はまだ開いている」

 背を向けるクレマンに、ラシェルは一礼して従う。
 すれ違いはあっても、そこには兄妹としての、最後の会話があった。





 そして、その翌朝。
 クレマンの執務机には、王宮の紋章が記された封書が届けられていた。

 ――ギリアン王からの、公式書簡。

 内容はとても簡潔だった。


『本件は、家門の範疇に属する問題と認め、王家は関与しない』


 クレマンはそれを読み終えると、無言で立ち上がり、窓の外を見つめた。
 妹ラシェルの姿が、昔のように、まだどこか庭の片隅にあるような気がして。

(……これで、全ては私の判断に委ねられた、か)

 静かな朝の光の中、クレマンはただ一つ、ラヴァールの名が穢されぬことを願っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」 十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。 会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。 魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。 ※小説家になろう様にも投稿しています※

【R18】熱い夜の相手は王太子!? ~婚約者だと告げられましたが、記憶がございません~

世界のボボブラ汁(エロル)
恋愛
激しい夜を過ごしたあと、私は気づいてしまった。 ──え……この方、誰? 相手は王太子で、しかも私の婚約者だという。 けれど私は、自分の名前すら思い出せない。 訳も分からず散った純潔、家族や自分の姿への違和感──混乱する私に追い打ちをかけるように、親友(?)が告げた。 「あなた、わたくしのお兄様と恋人同士だったのよ」 ……え、私、恋人がいたのに王太子とベッドを共に!? しかも王太子も恋人も、社交界を騒がすモテ男子。 もしかして、そのせいで私は命を狙われている? 公爵令嬢ベアトリス(?)が記憶を取り戻した先に待つのは── 愛か、陰謀か、それとも破滅か。 全米がハラハラする宮廷恋愛ストーリー……になっていてほしいですね! ※本作品はR18表現があります、ご注意ください。

【完結】追放された生活錬金術師は好きなようにブランド運営します!

加藤伊織
ファンタジー
(全151話予定)世界からは魔法が消えていっており、錬金術師も賢者の石や金を作ることは不可能になっている。そんな中で、生活に必要な細々とした物を作る生活錬金術は「小さな錬金術」と呼ばれていた。 カモミールは師であるロクサーヌから勧められて「小さな錬金術」の道を歩み、ロクサーヌと共に化粧品のブランドを立ち上げて成功していた。しかし、ロクサーヌの突然の死により、その息子で兄弟子であるガストンから住み込んで働いていた家を追い出される。 落ち込みはしたが幼馴染みのヴァージルや友人のタマラに励まされ、独立して工房を持つことにしたカモミールだったが、師と共に運営してきたブランドは名義がガストンに引き継がれており、全て一から出直しという状況に。 そんな中、格安で見つけた恐ろしく古い工房を買い取ることができ、カモミールはその工房で新たなスタートを切ることにした。 器具付き・格安・ただし狭くてボロい……そんな訳あり物件だったが、更におまけが付いていた。据えられた錬金釜が1000年の時を経て精霊となり、人の姿を取ってカモミールの前に現れたのだ。 失われた栄光の過去を懐かしみ、賢者の石やホムンクルスの作成に挑ませようとする錬金釜の精霊・テオ。それに対して全く興味が無い日常指向のカモミール。 過保護な幼馴染みも隣に引っ越してきて、予想外に騒がしい日常が彼女を待っていた。 これは、ポーションも作れないし冒険もしない、ささやかな錬金術師の物語である。 彼女は化粧品や石けんを作り、「ささやかな小市民」でいたつもりなのだが、品質の良い化粧品を作る彼女を周囲が放っておく訳はなく――。 毎日15:10に1話ずつ更新です。 この作品は小説家になろう様・カクヨム様・ノベルアッププラス様にも掲載しています。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...