【完結】天国の扉

藤井 紫

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第二章 落陽の聖国

ユースフの弟(1)

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 聖地オス・ローは一日の中に四季が在る代わりに、一年中変わることなく同じ気候が続く。


 夏の時間。
 ドーム城下の軒と軒の間には、強い日差しを遮るために大きな布が張られ、石畳で整備された通りは快適な影に覆われていた。

 ドームから石畳の道を下っていくと、中腹辺りでは、軒先の日陰に椅子を出して路上診療する医者たちや、日干、凍干や生の薬草などを売る、薬売りの姿が見られる。
 麓まで下ると、城下街入り口に大きな石畳の広場があった。広場の中央には小さな水場が作られており、オス・ローに住む者と、オス・ローに来た者達であふれている。東と西の言葉と人種が交じり合う場所だ。

 広場の壁際は、屋台やテントが並ぶ小さな市場となっており、巡礼者のための宿泊所や酒場なども、この広場を中心に立ち並ぶ。
 他所から来た巡礼者の生活の拠点となり、昼も夜も盛り場となっていた。


 正午を少し過ぎた頃。
 オス・ローに住むユースフの元に、シュケムから実弟のアーディンが尋ねてきた。

 アーディンはオス・ロー城下の雑踏まぎれ、居住区の入り口で馬に水を飲ませた。出迎えに来ていたユースフの奴隷にその手綱を預けると、案内されユースフの住居まで丘を上っていく。

 兄のユースフが父の後を継がず、軍人に志願して強引にオス・ローに来てしまったため、弟のアーディンは父の後を継ぐべくしてシュケムの要職に就いていた。
 三年前には父と同じ法官の職に就き、アーディンはユースフよりも位が上になっていた。

 旅装束の下に華やかな色味の上質な衣服を纏う姿は、オス・ローの人ごみの中では明らかに浮いている。だが、そんなことを気にする者はオス・ローには誰も居なかった。混み合う通路で、アーディンは時折人と肩をぶつけたりしたが、年齢身分に関わらず、互いに頭を下げあう。兄がオス・ローが好きで帰ってこない理由が少しわかる。

 ユースフの奴隷に案内され、アーディンは人々の行き交う石畳の通りを、ドームのある丘の方に向かって上っていった。


 オス・ローの北東に在る、軍の居留地に居たユースフは、奴隷から連絡を受け急いで自宅へと戻ってきた。
 ユースフが自宅の扉を開けると同時に、アーディンは座っていた椅子から立ち上がり、入り口に立つ兄にシュケムの敬礼をした。ユースフもそれに応え敬礼で返す。

「お久しぶりです、軍務長官シフナ殿」

 そう言いながら、澱みない漆黒の瞳がユースフを見据え、ユースフの方に歩み寄ってきた。

 この時、ユースフは二十八歳、弟のアーディンは二十一歳だった。
 弟に最後に会ったのは、実に五年前で、ユースフより七つ年下のアーディンも、もうすっかり青年に成長していた。いつの間にか目線も同じ高さになっている。

 今回、アーディンがオス・ローの兄を訪れた目的は、オス・ローの薬師を尋ねること、巡礼、そして、一通の令状をユースフに直接届けるためだった。
 ユースフは令状を手渡たされ、アーディンの口からも直接その内容を聞かされた。

「ウバイド皇国への同行を、貴殿に命じる。出立は七日後の早朝に」
「御意」

 法官から直々伝えられる内容を断れるはずもなく、ユースフは即答した。

「貴殿が一緒なら心強い」

 ユースフに応え返すアーディンの顔は、いつも優しさがにじみ出ている。どこか憂愁を帯びた表情のユースフと逆で、似ているようであまり似ていない兄弟だ。
 ユースフは、広げていた令状をくるくると丸めると、テーブルの上に置いた。

「堅苦しい事は止めてくれ。アーディン」

 ユースフの言葉を合図に、二人とも表情が柔らかくなった。

「兄さん、お元気そうでなによりです」

 年は離れているが、兄弟仲は非常に良い。
 ユースフが家を飛び出した後、アーディンは父親からの過剰な期待を一身に背負ってきたはずなのだが、そんな苦労は微塵も感じさせなかった。

 弟に家督と責任を押し付けたユースフのことを恨んでいるかと思っていたが、その逆で、アーディンは定期的にユースフに手紙をよこすほど兄に傾倒している。幼い頃、ユースフが【エブラの民】に憧れたように、アーディンは兄に憧れを抱いていたようだ。
 実際、頭も人柄も良く、誰が見ても兄より良く出来た弟だった。

「お前、少し見ない間に親父にそっくりになってきたな」
「兄さんみたいに母上似なら、もう少し女性にもてたんでしょうけどね」

 そう言って、アーディンはどこか少年っぽくはにかんで笑った。

「仕事に戻られるのなら、私も一緒に行っても良いですか?」
「ああ、そうしてくれ。伯父上にも顔を見せておいて欲しい」
「そうですね。私が挨拶にも来なかったと、また父上と揉められる材料になっては困るので」

 アーディンが苦笑した。

 二人の父と伯父は、実の兄弟でありながら非常に仲が悪かった。
 弟である父親は『シュケムの英雄』と呼ばれる人物で、シュケムの王位継承権第一位を持っている。一方、その兄である伯父はというと、地位や名誉より戦いを好む性格だったので、自分の地位には全く興味がなく、シュケムの一将軍であることに満足していた。

 だがそんな伯父でも、甥のユースフの話となると、また別だったようだ。ユースフとその父である自分の弟との関係が険悪になる一方、三年前にとうとうアーディンが父と同じ職に就いた。この時、伯父は自分の弟に食って掛かり、『お前の次はアーディンではなく、ユースフに王位継承権がある!』と、流血騒ぎを起こしてまで主張したことがあった。

 ユースフにとっては至極迷惑な話だったのだが、伯父のユースフへの入れ込みようは半端無く、そういった伯父の行き過ぎた行動は、父親と深い確執のあるユースフに、『自分の本当の父親は伯父ではないか』と疑いを持たせるほどだった。

 だからといって、伯父がアーディンの事を嫌っているということは全くないので、父と伯父の二人の間を取り持つことが出来るのはアーディンだけだった。
 とにかく、ユースフとアーディンにとっては、伯父と父の二人は良い反面教師となっていたようだ。

 アーディンは、ウバイド皇国へ出発までの一週間を、ユースフの家に滞在する事になった。
 弟の滞在中、二人は毎晩酒を酌み交わし、幼い頃の話や、シュケムの話、君主の話、家族の話、軍事、政治、女の話まで語り明かした。

 成人した十五歳ですぐに家を出たユースフとアーディンの二人が、こんなに話し込んだのは初めてのことだった。


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