139 / 265
第四章 天使の子 悪魔の子
【天国の扉】(5)
しおりを挟む
「サライ!?」
ユースフは、慌てて泉のふちに駆け寄った。サライは水の冷たさに小さな悲鳴をあげたが、どこか楽しそうだ。すぐに間違って投げてしまったものを見つけ、水中に手を伸ばした。
「祈りの泉も、お前にかかると台無しだな」
サライの様子を見て、ユースフは声を出して笑った。この様子をヴァロニア人が見たら、神への冒涜だと言われてしまうかもしれない。しかし、いくらヴァロニア人の真似事をしてみたところで、サライにとってこの泉は美しい情景以上のものではないのだろう。サライを見て、ユースフは心の中で凝り固まっていたものがほぐされていくような、不思議な感覚を覚えた。
ユースフは手を差し出して、サライを泉から引きあげた。
つかんだサライの左手には、さっきまでしていた指輪がなかった。どうやら、指輪が抜けて一緒に投げ込んでしまったのだろう。ユースフはサライに指輪のことを問わずにいたが、本当はサライの指輪のことが気にかかって仕方がなかった。
もしや、サライは誰かに嫁したのではないだろうか。今朝、指輪の存在に気づいたときから、ユースフの心にずっと引っかかっている。
「一体、何を落としたんだ?」
今までの忍耐を投げ出して、さりげなくサライに問いかける。指輪だとわかっているくせに。
しかし、サライはてらうことなく、左手ににぎっていた銀色の指輪をユースフに見せてきた。
「これよ」
銀色の少し幅の細い指輪には、よく見ると表面に絵文字のようなものが刻まれている。サライの細い指には、その指輪は少し大きいような気がした。
「この指輪ね、この世で得たもの全部の象徴なの。天国への扉はとてもとても狭いから何か持っていると通れないの。だから、死んだときに、天国の扉を通るために『得たもの全部』この世に置いて行くの。さびしいけど、置いていったものはきっと誰かが引き継いでくれるから」
サライの話から察すると、死んだ【エブラの民】からその指輪を引き継いだのだろうか。指輪がサライの小さな手の細い指に合っていないのもうなずけた。ユースフは懸念していたことが外れたことに安堵した。
「全てを捨てよ 天国の扉をくぐれば 別人に生まれ変わる。そう言う意味があるの」
面白いでしょ? そんな表情で、サライはユースフを見つめた。
エブラ信仰の教えの中にも、似たような節がある。きっと【エブラの民】は、信仰という抽象的なものを有形化しようとしているのだろう。
「あの服にもちゃんと意味があって……」
サライは続けようとが、ユースフは聞こうとせず、首を横にふった。サライは、少し残念そうにおしゃべりをやめた。ユースフが、またいつものように、【壁】の中の事を知り過ぎないようにしているのだとサライも気がついた。
「ユースフも指輪をしてるけど、その指輪は何か意味があるの?」
サライは自分のことを話すのをやめ、今度はユースフに問いかけた。
ユースフの左手にも、太い鉄の指輪がはめられている。薬指にはめられた指輪は、まるで手かせのように重い。王の従兄妹を一人目の妻として迎えたときに、王から与えられたものだ。
「……これは、忠誠の証だ。シュケムの王との……」
ユースフの言葉の途中で、サライはくしゃみをした。濡れたままの足が冷えてきたようで、サライは震えている。
ユースフは、サライの前にしゃがんでひざまずいた。そして、サライの片足を取って、自分の膝の上に乗せさせる。濡れた足から水がしみこみユースフのひざが濡れるが、そんなことは気にならない。持っていた布切れで、サライの足をやさしく拭いてやった。
「サライ、お前の望みはなんだ? さっき何を願おうとした?」
サライに靴をはかせながら問いかける。
「えっと、ユースフが……」
「うん、俺が?」
サライの顔を見つめながら、反対の足も同じように拭いた。
「ユースフがね、わたしのことを離しませんようにって」
言いながら、いつものように満面の笑みを向ける。
サライの願いがあまりにつまらなく卑近だったことに、ユースフは気抜けした。この娘は色恋にうつつを抜かす市井の少女となんら変わりない。呆れながらも、そういう自分にはない素直さや単純さを、ユースフは愛しいと感じ心が癒される。
「そんなつまらないこと、わざわざ神に願うことじゃないな」
ユースフがあきれた声で言った。
ユースフは、慌てて泉のふちに駆け寄った。サライは水の冷たさに小さな悲鳴をあげたが、どこか楽しそうだ。すぐに間違って投げてしまったものを見つけ、水中に手を伸ばした。
「祈りの泉も、お前にかかると台無しだな」
サライの様子を見て、ユースフは声を出して笑った。この様子をヴァロニア人が見たら、神への冒涜だと言われてしまうかもしれない。しかし、いくらヴァロニア人の真似事をしてみたところで、サライにとってこの泉は美しい情景以上のものではないのだろう。サライを見て、ユースフは心の中で凝り固まっていたものがほぐされていくような、不思議な感覚を覚えた。
ユースフは手を差し出して、サライを泉から引きあげた。
つかんだサライの左手には、さっきまでしていた指輪がなかった。どうやら、指輪が抜けて一緒に投げ込んでしまったのだろう。ユースフはサライに指輪のことを問わずにいたが、本当はサライの指輪のことが気にかかって仕方がなかった。
もしや、サライは誰かに嫁したのではないだろうか。今朝、指輪の存在に気づいたときから、ユースフの心にずっと引っかかっている。
「一体、何を落としたんだ?」
今までの忍耐を投げ出して、さりげなくサライに問いかける。指輪だとわかっているくせに。
しかし、サライはてらうことなく、左手ににぎっていた銀色の指輪をユースフに見せてきた。
「これよ」
銀色の少し幅の細い指輪には、よく見ると表面に絵文字のようなものが刻まれている。サライの細い指には、その指輪は少し大きいような気がした。
「この指輪ね、この世で得たもの全部の象徴なの。天国への扉はとてもとても狭いから何か持っていると通れないの。だから、死んだときに、天国の扉を通るために『得たもの全部』この世に置いて行くの。さびしいけど、置いていったものはきっと誰かが引き継いでくれるから」
サライの話から察すると、死んだ【エブラの民】からその指輪を引き継いだのだろうか。指輪がサライの小さな手の細い指に合っていないのもうなずけた。ユースフは懸念していたことが外れたことに安堵した。
「全てを捨てよ 天国の扉をくぐれば 別人に生まれ変わる。そう言う意味があるの」
面白いでしょ? そんな表情で、サライはユースフを見つめた。
エブラ信仰の教えの中にも、似たような節がある。きっと【エブラの民】は、信仰という抽象的なものを有形化しようとしているのだろう。
「あの服にもちゃんと意味があって……」
サライは続けようとが、ユースフは聞こうとせず、首を横にふった。サライは、少し残念そうにおしゃべりをやめた。ユースフが、またいつものように、【壁】の中の事を知り過ぎないようにしているのだとサライも気がついた。
「ユースフも指輪をしてるけど、その指輪は何か意味があるの?」
サライは自分のことを話すのをやめ、今度はユースフに問いかけた。
ユースフの左手にも、太い鉄の指輪がはめられている。薬指にはめられた指輪は、まるで手かせのように重い。王の従兄妹を一人目の妻として迎えたときに、王から与えられたものだ。
「……これは、忠誠の証だ。シュケムの王との……」
ユースフの言葉の途中で、サライはくしゃみをした。濡れたままの足が冷えてきたようで、サライは震えている。
ユースフは、サライの前にしゃがんでひざまずいた。そして、サライの片足を取って、自分の膝の上に乗せさせる。濡れた足から水がしみこみユースフのひざが濡れるが、そんなことは気にならない。持っていた布切れで、サライの足をやさしく拭いてやった。
「サライ、お前の望みはなんだ? さっき何を願おうとした?」
サライに靴をはかせながら問いかける。
「えっと、ユースフが……」
「うん、俺が?」
サライの顔を見つめながら、反対の足も同じように拭いた。
「ユースフがね、わたしのことを離しませんようにって」
言いながら、いつものように満面の笑みを向ける。
サライの願いがあまりにつまらなく卑近だったことに、ユースフは気抜けした。この娘は色恋にうつつを抜かす市井の少女となんら変わりない。呆れながらも、そういう自分にはない素直さや単純さを、ユースフは愛しいと感じ心が癒される。
「そんなつまらないこと、わざわざ神に願うことじゃないな」
ユースフがあきれた声で言った。
0
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
【本編、番外編完結】血の繋がらない叔父にひたすら片思いしていたいのに、婚約者で幼馴染なアイツが放っておいてくれません
恩田璃星
恋愛
蓮見千歳(はすみちとせ)は、血の繋がりのない叔父、遼平に少しでも女性として見てもらいと、幼い頃から努力を続けてきた。
そして、大学卒業を果たし千歳は、念願叶って遼平の会社で働き始めるが、そこには幼馴染の晴臣(はるおみ)も居た。
千歳が遼平に近づくにつれ、『一途な想い』が複雑に交錯していく。
第14回恋愛小説対象にエントリーしています。
※別タイトルで他サイト様掲載作品になります。
番外編は現時点でアルファポリス様限定で掲載しております。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
神様の許嫁
衣更月
ファンタジー
信仰心の篤い町で育った久瀬一花は、思いがけずに神様の許嫁(仮)となった。
神様の名前は須久奈様と言い、古くから久瀬家に住んでいるお酒の神様だ。ただ、神様と聞いてイメージする神々しさは欠片もない。根暗で引きこもり。コミュニケーションが不得手ながらに、一花には無償の愛を注いでいる。
一花も須久奈様の愛情を重いと感じながら享受しつつ、畏敬の念を抱く。
ただ、1つだけ須久奈様の「目を見て話すな」という忠告に従えずにいる。どんなに頑張っても、長年染み付いた癖が直らないのだ。
神様を見る目を持つ一花は、その危うさを軽視し、トラブルばかりを引き当てて来る。
***
1部完結
2部より「幽世の理」とリンクします。
※「幽世の理」と同じ世界観です。
2部完結
※気まぐれで短編UP
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる