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第六章 二人の悪魔
ルースの面影(2)
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ギリアンが私室を出ていったあと、重い扉が閉まる音だけが、部屋に静寂を残した。
ヴィンセントは無言のまま、卓上の書類に目を通している。
ジェードは一つ、深く息を吸ってから、口を開いた。
「……領主様に、お伝えしたいことが、あります」
ヴィンセントの手が止まり、目だけが彼女を見た。
「わたしがヴァロニアへ来たのは、ラシードと名乗る男の依頼を受けて、です。彼は、『ヘーンブルク領主の命を受けてわたしを探していた』と……言っていました」
ヴィンセントは、短く目を伏せてから答える。
「その件は、ホープから君を探すように頼まれて、私が出した依頼だ」
事務的な対応だ。
「ただし、君の『魔女疑惑』を取り消せたのは、ギリアンが『魔女王』として戴冠したからだ。そうでなければ、君は『魔女疑惑』を受けたまま、ヴァロニアに戻ることは出来なかった。ギリアンに感謝するのだな」
そこに領主の感情は一切無かった。
きつい言い方でもないのに、国王を呼び捨てるヴィンセントの言葉には委縮してしまう。
「……はい、わかってます……」
ハリーファとよく似た容貌に、心が見透かされていないか不安にもなる。
「……あの、少し、お聞きしても、いいですか?」
ヴィンセントは報告書を閉じ、目線だけでうなずいた。
「姉の、ルースのことを……覚えていらっしゃいますか?」
一拍の沈黙。
それは、思い出す時間だったのか、言葉を選ぶ時間だったのか。
やがて、ヴィンセントは椅子にもたれたまま、静かに言った。
「ああ。もちろん覚えている」
ジェードは息を呑んだ。
領主の「もちろん」と言う言葉の意味はどう受け取ったらいいのだろう。
ハリーファがここに居たら、領主の本心を聞いてくれたかもしれない。
「ルー姉さんは、何か……話していましたか? わたしのことでも、他の兄弟のことでも、何か……」
間違いだったらどうしようかと、ジェードは手をぎゅっと膝の上で組んだ。
「君の話は聞いたことがある。君が生まれる時、取り上げたのは自分だと言っていた」
そんな個人的な話も、ヴィンセントの口からは淡々と話される。
しかし、ヴィンセントの目が少しだけ柔らかくなった。
「その話だが、ホープはルースから聞いていないそうだ。時が来たら、君から話してやったらどうだ?」
「えっと、【天使】様が、出産を助けてくれたという話、ですよね……?」
ジェードも幼い時にルースから聞かされた話だ。忘れかけていた。
出産と言う言葉に心臓が強く打つ。
「そうだ。黒い【天使】の話だ」
ジェードは思わず硬直した。
【天使】と会った今なら信じられるが、ルースからは直接黒い【天使】だったとは聞いていない。
ルースは、妹にも言えなかったことを、領主には打ち明けていたのだ。
複雑な想いが沸き上がる中、しかしジェードは確信を持った。
(ルー姉さんは、領主様を、信頼して、愛していたんだわ……)
まだ全てではないが、心の霧がわずかに晴れる。
「……そうですね。時が、来たら。弟にも話します」
その日は、月が高く昇っていた。
ギリアンの計らいにより、ジェードが仮住まいをしているのは、王宮の客室だった。
重い扉の向こうは深い静寂に包まれている。
ジェードは温かい毛布に身を包みながら、ただ天井を見つめていた。
目は冴えている。さっき帰り際にした会話が、何度も頭の中で繰り返されていた。
——「ルースのことを、覚えていらっしゃいますか?」
彼は答えた。静かに、確かに。
——「ああ。もちろん覚えている」
けれど、その先。
本当に聞きたかったこと。伝えるべきだったことは——言えなかった。
(ルー姉さん……わたし、言わなかった)
領主の前に立ったとき、喉の奥まで出かけていた言葉は、どうしても声にならなかった。
ルースが領主には黙っていたことが、すべてを物語っている気がした。
(もし、ルー姉さんが、何かを守るために黙っていたのだとしたら……)
領主が悪いとは思わなかった。
でも、だからこそ、今はまだ訊けない。言えない。
そして、ヴィンセントの姿を見て、今夜はますますハリーファのことを思い出した。
(ハリ、どこにいるの……? そばにいてほしい……)
風が、窓の隙間をかすかに鳴らした。
その音が、ルースの囁きのように思えて、ジェードはそっと目を閉じた。
ヴィンセントは無言のまま、卓上の書類に目を通している。
ジェードは一つ、深く息を吸ってから、口を開いた。
「……領主様に、お伝えしたいことが、あります」
ヴィンセントの手が止まり、目だけが彼女を見た。
「わたしがヴァロニアへ来たのは、ラシードと名乗る男の依頼を受けて、です。彼は、『ヘーンブルク領主の命を受けてわたしを探していた』と……言っていました」
ヴィンセントは、短く目を伏せてから答える。
「その件は、ホープから君を探すように頼まれて、私が出した依頼だ」
事務的な対応だ。
「ただし、君の『魔女疑惑』を取り消せたのは、ギリアンが『魔女王』として戴冠したからだ。そうでなければ、君は『魔女疑惑』を受けたまま、ヴァロニアに戻ることは出来なかった。ギリアンに感謝するのだな」
そこに領主の感情は一切無かった。
きつい言い方でもないのに、国王を呼び捨てるヴィンセントの言葉には委縮してしまう。
「……はい、わかってます……」
ハリーファとよく似た容貌に、心が見透かされていないか不安にもなる。
「……あの、少し、お聞きしても、いいですか?」
ヴィンセントは報告書を閉じ、目線だけでうなずいた。
「姉の、ルースのことを……覚えていらっしゃいますか?」
一拍の沈黙。
それは、思い出す時間だったのか、言葉を選ぶ時間だったのか。
やがて、ヴィンセントは椅子にもたれたまま、静かに言った。
「ああ。もちろん覚えている」
ジェードは息を呑んだ。
領主の「もちろん」と言う言葉の意味はどう受け取ったらいいのだろう。
ハリーファがここに居たら、領主の本心を聞いてくれたかもしれない。
「ルー姉さんは、何か……話していましたか? わたしのことでも、他の兄弟のことでも、何か……」
間違いだったらどうしようかと、ジェードは手をぎゅっと膝の上で組んだ。
「君の話は聞いたことがある。君が生まれる時、取り上げたのは自分だと言っていた」
そんな個人的な話も、ヴィンセントの口からは淡々と話される。
しかし、ヴィンセントの目が少しだけ柔らかくなった。
「その話だが、ホープはルースから聞いていないそうだ。時が来たら、君から話してやったらどうだ?」
「えっと、【天使】様が、出産を助けてくれたという話、ですよね……?」
ジェードも幼い時にルースから聞かされた話だ。忘れかけていた。
出産と言う言葉に心臓が強く打つ。
「そうだ。黒い【天使】の話だ」
ジェードは思わず硬直した。
【天使】と会った今なら信じられるが、ルースからは直接黒い【天使】だったとは聞いていない。
ルースは、妹にも言えなかったことを、領主には打ち明けていたのだ。
複雑な想いが沸き上がる中、しかしジェードは確信を持った。
(ルー姉さんは、領主様を、信頼して、愛していたんだわ……)
まだ全てではないが、心の霧がわずかに晴れる。
「……そうですね。時が、来たら。弟にも話します」
その日は、月が高く昇っていた。
ギリアンの計らいにより、ジェードが仮住まいをしているのは、王宮の客室だった。
重い扉の向こうは深い静寂に包まれている。
ジェードは温かい毛布に身を包みながら、ただ天井を見つめていた。
目は冴えている。さっき帰り際にした会話が、何度も頭の中で繰り返されていた。
——「ルースのことを、覚えていらっしゃいますか?」
彼は答えた。静かに、確かに。
——「ああ。もちろん覚えている」
けれど、その先。
本当に聞きたかったこと。伝えるべきだったことは——言えなかった。
(ルー姉さん……わたし、言わなかった)
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ルースが領主には黙っていたことが、すべてを物語っている気がした。
(もし、ルー姉さんが、何かを守るために黙っていたのだとしたら……)
領主が悪いとは思わなかった。
でも、だからこそ、今はまだ訊けない。言えない。
そして、ヴィンセントの姿を見て、今夜はますますハリーファのことを思い出した。
(ハリ、どこにいるの……? そばにいてほしい……)
風が、窓の隙間をかすかに鳴らした。
その音が、ルースの囁きのように思えて、ジェードはそっと目を閉じた。
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