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第六章 二人の悪魔
奪われし光(2)
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長い卓の中央で、ギリアンは山積みの書簡に目を通していた。
戦地からの報告、各地の徴税状況。そして、なにより今、最も気にかかるのは、ガイアール領リューエルからの動きだ。
「陛下!」
勢いよく飛び込んできたのは、左肩に包帯を巻いたままのホープだった。
平時ならば止められてもおかしくないその無礼も、ギリアンは顔を上げて止めなかった。
「……中央大教会、か?」
ホープは息を呑む。
「なぜ、知って――」
「王印が使われ、君には知らせがなかった。姉上以外に、それができる者はいない」
ギリアンの声が低く沈む。
「君の姉ルースが審問にかけられた異端審問所だ。あそこに連れていかれて、生きて戻った者はいない」
数秒の沈黙のあと、ギリアンは椅子から立ち上がる。
その身のこなしに、王としての威厳がにじむ。
「だが、王印が使われた件で、すでに、火刑に関する審問手続きに瑕疵があるとの書簡は送ったところだ。教会内部で稟議が始まれば、少なくとも一刻は動けまい」
ギリアンは低く呻くように言った。
傍に控えていた侍従が顔色を変える。
「陛下、すぐに兵を――!」
「まだだ。敵の動きがまだ見えない以上、焦って軍を動かせば、民心が崩れる」
ギリアンは地図に視線を落とした。
「これはただの誘拐じゃない。姉上からの宣戦布告だ」
「……!」
ホープは拳を握りしめたまま、言葉を吐き出す。
「……きっと、シーランドの元王妃は、黒髪のジェードを殺して、それを皆に見せることで、陛下を貶めようとしているんです。ジェードが異端なら、ぼくたちも、魔女と同じだと」
ギリアンは頷くと、落ち着いて侍従に命じる。
「調査部を通じて、中央大教会内部の文書と護送記録を洗ってくれ。教会に入った金の流れも追うんだ。姉上が使った裏金が、どこから出たかも」
「かしこまりました」
そして、ギリアンはもう一度ホープを見据える。
「ホープ、君は休め。肩が治らないと、剣も振れないだろう。……だが、もし火刑が本当なら、必ず間に合う手段を講じる」
その声に、ホープは小さく頷き、部屋を出て行った。
だが、ホープの胸の奥では、騎士ではなく、双子の姉弟としての想いが、別の炎となって静かにくすぶっていた。
少し遅れて、参謀が駆け込んできた。
「陛下、ジェード・ダークが、中央大教会で、異端審問にかけられたとの報が入りました」
「……処刑の予定は?」
「まだ明言はされていませんが、すでに儀式の準備が進んでいるとの噂が」
ギリアンの眉がわずかに動く。
「ヴィンセントを奪い、今度はジェード……。だけど、それにしては、やけに静かだ」
ギリアンは立ち上がり、地図を眺める。
ランス、リューエル、そしてガイアール方面の印を見比べる。
「……妙だな。これだけ戦力を注いで捕らえたのなら、次はどう使うかを示してくるはずなのに」
そこへ、別の使者が駆け込む。
その息は荒く、汗にまみれていた。
「失礼します! 王都宰相府より密報――リューエルにて、『代理戦争の布告あり』との報が!」
部屋の空気が一変した。
「……なんだと?」
「開催は明日、五月三十日。敵軍より『王国軍の代表者を指定せよ』と……!」
ギリアンの瞳が鋭く光った。
「――遅らせていたな。意図的に」
参謀が顔色を変える。
「陛下、これは、ジェード・ダークの処刑と、代理戦争の日程が一致しております!」
「……ジェード・ダークを生贄にして、我らに剣を抜かせようとしているということか」
ギリアンは深く息を吐いた。
「これは罠だ。ジェードが燃やされても、火刑を阻止しても、我らが民心を失う」
その声は低く、しかし明確だった。
扉の外にいた側近を呼びつける。
「軍令部に伝えよ。全軍、出動は保留。今動けば、相手の策に乗ることになる。……その代わり、ジェードの所在を明らかにしろ。できる限りの密偵を放ち、火刑場の時刻を探り出せ」
参謀が進言する。
「陛下、それでは手遅れに――!」
ギリアンは王座の前に立ち、沈黙を抱え込んだ。
火刑――また、あの言葉だ。
王太子だったあの日、黒髪の少女を助けてほしいと懇願に来た男の顔が、脳裏をよぎる。
その男は、王族に頭を下げるような男ではなかった。それでも、その時ばかりはギリアンに伏してまで少女を救いたいと――
(僕は、あの時、自ら黒髪を貶め、民の怒りを恐れた……)
黒髪の命を救えば、民は不信を抱く。そして、次は黒髪の自分が裁かれる。
それが、当時の自分には恐怖であった。
(だけど、今は――)
王である。
誰の顔色を窺う必要もない。
髪色をとやかく言われても、その首を跳ねれば良いだけだ。
それでも、王都の秩序や宗教の正統性を守らねばならないと、まだ自分を縛るのか?
ギリアンは唇を噛んだ。
(……それで、また誰も救えなかったら、僕は二度死ぬことになる)
ヴァロニアの歴史を変える。黒髪や魔女が悪であるという概念ごと変えてやる。
「ホープ」
ギリアンは、そこに居ないホープに向かって、静かに独り言ちた。
「これは、私情ではない。だけど、友として、今度こそ、僕が王であることを……祈っていてくれ」
そう言って、彼は剣を身に着けた。
まだ、動かす軍はない。だが、心はすでに戦いに向かっていた。
戦地からの報告、各地の徴税状況。そして、なにより今、最も気にかかるのは、ガイアール領リューエルからの動きだ。
「陛下!」
勢いよく飛び込んできたのは、左肩に包帯を巻いたままのホープだった。
平時ならば止められてもおかしくないその無礼も、ギリアンは顔を上げて止めなかった。
「……中央大教会、か?」
ホープは息を呑む。
「なぜ、知って――」
「王印が使われ、君には知らせがなかった。姉上以外に、それができる者はいない」
ギリアンの声が低く沈む。
「君の姉ルースが審問にかけられた異端審問所だ。あそこに連れていかれて、生きて戻った者はいない」
数秒の沈黙のあと、ギリアンは椅子から立ち上がる。
その身のこなしに、王としての威厳がにじむ。
「だが、王印が使われた件で、すでに、火刑に関する審問手続きに瑕疵があるとの書簡は送ったところだ。教会内部で稟議が始まれば、少なくとも一刻は動けまい」
ギリアンは低く呻くように言った。
傍に控えていた侍従が顔色を変える。
「陛下、すぐに兵を――!」
「まだだ。敵の動きがまだ見えない以上、焦って軍を動かせば、民心が崩れる」
ギリアンは地図に視線を落とした。
「これはただの誘拐じゃない。姉上からの宣戦布告だ」
「……!」
ホープは拳を握りしめたまま、言葉を吐き出す。
「……きっと、シーランドの元王妃は、黒髪のジェードを殺して、それを皆に見せることで、陛下を貶めようとしているんです。ジェードが異端なら、ぼくたちも、魔女と同じだと」
ギリアンは頷くと、落ち着いて侍従に命じる。
「調査部を通じて、中央大教会内部の文書と護送記録を洗ってくれ。教会に入った金の流れも追うんだ。姉上が使った裏金が、どこから出たかも」
「かしこまりました」
そして、ギリアンはもう一度ホープを見据える。
「ホープ、君は休め。肩が治らないと、剣も振れないだろう。……だが、もし火刑が本当なら、必ず間に合う手段を講じる」
その声に、ホープは小さく頷き、部屋を出て行った。
だが、ホープの胸の奥では、騎士ではなく、双子の姉弟としての想いが、別の炎となって静かにくすぶっていた。
少し遅れて、参謀が駆け込んできた。
「陛下、ジェード・ダークが、中央大教会で、異端審問にかけられたとの報が入りました」
「……処刑の予定は?」
「まだ明言はされていませんが、すでに儀式の準備が進んでいるとの噂が」
ギリアンの眉がわずかに動く。
「ヴィンセントを奪い、今度はジェード……。だけど、それにしては、やけに静かだ」
ギリアンは立ち上がり、地図を眺める。
ランス、リューエル、そしてガイアール方面の印を見比べる。
「……妙だな。これだけ戦力を注いで捕らえたのなら、次はどう使うかを示してくるはずなのに」
そこへ、別の使者が駆け込む。
その息は荒く、汗にまみれていた。
「失礼します! 王都宰相府より密報――リューエルにて、『代理戦争の布告あり』との報が!」
部屋の空気が一変した。
「……なんだと?」
「開催は明日、五月三十日。敵軍より『王国軍の代表者を指定せよ』と……!」
ギリアンの瞳が鋭く光った。
「――遅らせていたな。意図的に」
参謀が顔色を変える。
「陛下、これは、ジェード・ダークの処刑と、代理戦争の日程が一致しております!」
「……ジェード・ダークを生贄にして、我らに剣を抜かせようとしているということか」
ギリアンは深く息を吐いた。
「これは罠だ。ジェードが燃やされても、火刑を阻止しても、我らが民心を失う」
その声は低く、しかし明確だった。
扉の外にいた側近を呼びつける。
「軍令部に伝えよ。全軍、出動は保留。今動けば、相手の策に乗ることになる。……その代わり、ジェードの所在を明らかにしろ。できる限りの密偵を放ち、火刑場の時刻を探り出せ」
参謀が進言する。
「陛下、それでは手遅れに――!」
ギリアンは王座の前に立ち、沈黙を抱え込んだ。
火刑――また、あの言葉だ。
王太子だったあの日、黒髪の少女を助けてほしいと懇願に来た男の顔が、脳裏をよぎる。
その男は、王族に頭を下げるような男ではなかった。それでも、その時ばかりはギリアンに伏してまで少女を救いたいと――
(僕は、あの時、自ら黒髪を貶め、民の怒りを恐れた……)
黒髪の命を救えば、民は不信を抱く。そして、次は黒髪の自分が裁かれる。
それが、当時の自分には恐怖であった。
(だけど、今は――)
王である。
誰の顔色を窺う必要もない。
髪色をとやかく言われても、その首を跳ねれば良いだけだ。
それでも、王都の秩序や宗教の正統性を守らねばならないと、まだ自分を縛るのか?
ギリアンは唇を噛んだ。
(……それで、また誰も救えなかったら、僕は二度死ぬことになる)
ヴァロニアの歴史を変える。黒髪や魔女が悪であるという概念ごと変えてやる。
「ホープ」
ギリアンは、そこに居ないホープに向かって、静かに独り言ちた。
「これは、私情ではない。だけど、友として、今度こそ、僕が王であることを……祈っていてくれ」
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まだ、動かす軍はない。だが、心はすでに戦いに向かっていた。
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