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第十章 イギリス出張編
第186話 無償の愛
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ギチギチギチ
短剣を持つカールの左手に、アイギスの触手が絡み付いている。モーズへ向けた切先が届く遥か手前で、首筋から姿を現し即座に巻き付き拘束し、締め付けを強めていき、
ボ、キッ
最終的には、骨を、折った。
「おおっと! こりゃ熱烈っ!」
「カールさんっ!?」
骨を折られた事により持っていられなくなった短剣は手中から離れ、飼育室の床へと落下する。
カランカランと、硬質な金属音が床に響き渡る。
「な、何を、一体何をしているのですか……!?」
「いやぁ。モーズちゃんがアイギスに甘えられるようになるにゃ、なぁにが有効かなぁ、って昨日も考えていたんだけどねぇ。やっぱ目の当たりにするのが一番かなって!」
「目の当たりにする……!? カールさんが怪我を負う事をですか!?」
「愛されている事を、よ」
折れた左手首をぶらぶら揺らしながら、カールはマスクの下から不敵な笑い声をあげる。
「俺ちゃんがシミュレーターなしで鉄球投げっていう超危険を強いたのはねぇ、モーズちゃんのアイギスなら必ず守ってくれるって確信してたからよ。学会で起きた《植物型》騒動の時だって、アイギスはちゃあんとモーズちゃんを守っていたんだから」
カールとてクスシ。研究者。下調べは、怠らない。
「でもその時モーズちゃん寝ちゃっていたし? 録画を画面越しに見た所で実感は湧かないだろうし? だぁから実際にその状況を再現しようかなって! ……俺ちゃん、本気で刺しにいったのよ?」
その結果が骨折だと、カールは左手をぷらぷら揺らしながら笑い飛ばす。
毒を注がれなかっただけ温情がある、とも付け足して。
「我が身を顧みずに、行ったのですか」
「あらら? 怒っていいのよモーズちゃん? 理由はどうあれ俺ちゃん、君をブッ刺そうとしたんだから」
「しかし貴方は、結果なぞわかっていて実行したのでしょう? それに骨折という報いを受けている以上、私から言う事はありません」
「はっはっはっはっ! お人好しだねぇモーズちゃん! あ、あと骨折についてはモーマンタイ!」
そこでカールは右手で折れた左手首を鷲掴み、正しい位置に無理矢理戻す。
そして折れた左手首から触手を生やし、巻き付き固定し、掴んでいた右手を離して少し時間を置いた。
すると骨折箇所を固定していた触手が体内に戻った後も左手首は折れ曲がらず、指先や手首も骨折前と何ら変わりない動きを見せた。
「アイギスの治癒能力、舐めちゃ駄目駄目よ?」
僅かな時間で完治している。
アイギスによって身体能力を向上させたり、治癒を施したりと、人外であるウミヘビと似た特性を得てしまっている。
人間から逸脱してきているカールに、モーズは慄いた。
「使いこなせば痛覚の遮断まで、できるのですか」
「いんや」
しかしモーズの問いかけに、カールは静かに首を横に振る。
「めっっちゃ痛いっ!!」
「えええ……」
悲鳴一つあげずに左手首を治したカールだったが、痛覚は普通にあるらしく、悶絶していないのはただの痩せ我慢らしい。
そういえば暗がりでわかりにくかったが、肌が露出している首筋や腹部から大量の汗をかいているのが見える。
「これでアイギスがモーズちゃんにラブズッキュン♡ なのはちょっとは伝わったと思うんだけどぉ、気を付けて欲しいのはねぇ。アイギスがゾッコンなのは、宿主であるモーズちゃんだけって事」
「それはそうでしょうが、どう気を付けるのですか?」
「他人の為に使役するんじゃなくて、自分の為に使役する事を徹底して」
そう言うとカールは長椅子から立ち上がって、床に転がった短剣を拾い上げた。
よく見るとその短剣は、昨日シアンに仕上げを任せ預けていた短剣だ。仕上げ作業はもう終わったのだろうか。
「他人の為に使いたい事は多々あるでしょーけど、そこをグッと堪えて自分の為に使う。そして結果的に他人の為にアイギスを働かせる。ワンクッション置かないと言うこと聞かないことあるから注意ね~」
「う、ううむ……」
フリッツからも教わったその忠告については、モーズも身に染みている。
実際、パラスのアパートで発生した菌床を処分する際、アイギスを現場にいた警察官という他者の為に使用しようとしたが、言う事を聞いてくれなかった。
あれはモーズの危険とは関係のない事だったから、指示を受けなかったのだ。
「ま、直ぐにゃあ身に付かないわな。生真面目モーズちゃん。ただそんなモーズちゃんが大大だぁい好きなアイギスがここにいるって事、意識してあげてね?」
短剣を黒衣の下に収納し直したカールは、空いた右手でモーズの手の平、アイギスの触手で少し浮き上がっている皮膚をちょいちょいと指差した。
「きっと血という見返りさえ要らないぐらい、愛されているんだから」
カールのその言葉が、モーズの心の柔らかい所に、深く刺さった気がした。
途端、モーズはうつむき、ふるふると肩を震わせる。
「ん? あれ? モーズちゃん?」
押し黙ってただ肩を震わせるモーズを見て、とうとう怒ったのか、それも言葉を発せない程の怒髪天に至ったのか、思ったカールはわたわたと両手を忙しなく動かし、挙動が落ち着かなくなる。
「あの、ごめんね? ブッ刺そうとして本当に悪かったね。有効ではあったかもだけど最低だったね。ごめんね本当に。君の為とか言い訳しないで、もっと優しくすべきだったね俺ちゃん」
「こぉら! カールっ! 新人に対してなに蛮行働いているんだよ! 監視カメラにバッチリ映っていたからなお前の暴行未遂っ!」
「うぇえええっ! パウルちゃんタイミング悪いぃ~っ! だって俺ちゃん、任されたからには全力で指導しようと思ってぇええ~っ!」
そこで荒々しい足音と共に飼育室へやってきたパウルに、カールはますます挙動不審になっている。そして必死に言い訳を述べている。
しかしパウルにはその言い訳は舌先三寸としか受け取って貰えず、先輩だろうと構わず胸ぐらを掴んで説教を始めてしまった。なおその説教の内容は日頃の鬱憤も多分に含んでいる。
(……情けない)
そんな騒がしい先輩2人に見えないよう、モーズは背中を向けてこっそりとマスクを外す。
ボロボロと、左目から溢れる涙を拭う為に。だがモーズが拭う前に、首筋から再びアイギスの触手が生えてきて、目尻に溜まっていた涙をそっと拭き取ってくれた。
(いや、情けなくても、いいのか)
完璧でなくとも不器用でも不恰好でも、注いでくれる愛。その一端に産まれて初めて触れられた気がして、じんと温かくなる胸の内と、それに比例して溢れ落ちる涙を止められなかった。
ピリリリ
その時唐突に、白衣のポケットに入れていた携帯端末が着信の通知を知らせてくる。
緊急時に設定している着信音ではないものの、モーズは頭を切り替える為にもフェイスマスクを被り直し、端末を手に取って画面を確認した。
(メール、だな。送り主は、イギリスの感染病棟院長の……)
送り主は特殊学会で知り合った、イギリス感染病棟院長『ジョン』。
メール本文の内容は『イギリスに来て欲しい』という旨が端的に書かれた、所謂“依頼”。
そこにはステージ6の出現を仄めかす内容が、綴られていた。
短剣を持つカールの左手に、アイギスの触手が絡み付いている。モーズへ向けた切先が届く遥か手前で、首筋から姿を現し即座に巻き付き拘束し、締め付けを強めていき、
ボ、キッ
最終的には、骨を、折った。
「おおっと! こりゃ熱烈っ!」
「カールさんっ!?」
骨を折られた事により持っていられなくなった短剣は手中から離れ、飼育室の床へと落下する。
カランカランと、硬質な金属音が床に響き渡る。
「な、何を、一体何をしているのですか……!?」
「いやぁ。モーズちゃんがアイギスに甘えられるようになるにゃ、なぁにが有効かなぁ、って昨日も考えていたんだけどねぇ。やっぱ目の当たりにするのが一番かなって!」
「目の当たりにする……!? カールさんが怪我を負う事をですか!?」
「愛されている事を、よ」
折れた左手首をぶらぶら揺らしながら、カールはマスクの下から不敵な笑い声をあげる。
「俺ちゃんがシミュレーターなしで鉄球投げっていう超危険を強いたのはねぇ、モーズちゃんのアイギスなら必ず守ってくれるって確信してたからよ。学会で起きた《植物型》騒動の時だって、アイギスはちゃあんとモーズちゃんを守っていたんだから」
カールとてクスシ。研究者。下調べは、怠らない。
「でもその時モーズちゃん寝ちゃっていたし? 録画を画面越しに見た所で実感は湧かないだろうし? だぁから実際にその状況を再現しようかなって! ……俺ちゃん、本気で刺しにいったのよ?」
その結果が骨折だと、カールは左手をぷらぷら揺らしながら笑い飛ばす。
毒を注がれなかっただけ温情がある、とも付け足して。
「我が身を顧みずに、行ったのですか」
「あらら? 怒っていいのよモーズちゃん? 理由はどうあれ俺ちゃん、君をブッ刺そうとしたんだから」
「しかし貴方は、結果なぞわかっていて実行したのでしょう? それに骨折という報いを受けている以上、私から言う事はありません」
「はっはっはっはっ! お人好しだねぇモーズちゃん! あ、あと骨折についてはモーマンタイ!」
そこでカールは右手で折れた左手首を鷲掴み、正しい位置に無理矢理戻す。
そして折れた左手首から触手を生やし、巻き付き固定し、掴んでいた右手を離して少し時間を置いた。
すると骨折箇所を固定していた触手が体内に戻った後も左手首は折れ曲がらず、指先や手首も骨折前と何ら変わりない動きを見せた。
「アイギスの治癒能力、舐めちゃ駄目駄目よ?」
僅かな時間で完治している。
アイギスによって身体能力を向上させたり、治癒を施したりと、人外であるウミヘビと似た特性を得てしまっている。
人間から逸脱してきているカールに、モーズは慄いた。
「使いこなせば痛覚の遮断まで、できるのですか」
「いんや」
しかしモーズの問いかけに、カールは静かに首を横に振る。
「めっっちゃ痛いっ!!」
「えええ……」
悲鳴一つあげずに左手首を治したカールだったが、痛覚は普通にあるらしく、悶絶していないのはただの痩せ我慢らしい。
そういえば暗がりでわかりにくかったが、肌が露出している首筋や腹部から大量の汗をかいているのが見える。
「これでアイギスがモーズちゃんにラブズッキュン♡ なのはちょっとは伝わったと思うんだけどぉ、気を付けて欲しいのはねぇ。アイギスがゾッコンなのは、宿主であるモーズちゃんだけって事」
「それはそうでしょうが、どう気を付けるのですか?」
「他人の為に使役するんじゃなくて、自分の為に使役する事を徹底して」
そう言うとカールは長椅子から立ち上がって、床に転がった短剣を拾い上げた。
よく見るとその短剣は、昨日シアンに仕上げを任せ預けていた短剣だ。仕上げ作業はもう終わったのだろうか。
「他人の為に使いたい事は多々あるでしょーけど、そこをグッと堪えて自分の為に使う。そして結果的に他人の為にアイギスを働かせる。ワンクッション置かないと言うこと聞かないことあるから注意ね~」
「う、ううむ……」
フリッツからも教わったその忠告については、モーズも身に染みている。
実際、パラスのアパートで発生した菌床を処分する際、アイギスを現場にいた警察官という他者の為に使用しようとしたが、言う事を聞いてくれなかった。
あれはモーズの危険とは関係のない事だったから、指示を受けなかったのだ。
「ま、直ぐにゃあ身に付かないわな。生真面目モーズちゃん。ただそんなモーズちゃんが大大だぁい好きなアイギスがここにいるって事、意識してあげてね?」
短剣を黒衣の下に収納し直したカールは、空いた右手でモーズの手の平、アイギスの触手で少し浮き上がっている皮膚をちょいちょいと指差した。
「きっと血という見返りさえ要らないぐらい、愛されているんだから」
カールのその言葉が、モーズの心の柔らかい所に、深く刺さった気がした。
途端、モーズはうつむき、ふるふると肩を震わせる。
「ん? あれ? モーズちゃん?」
押し黙ってただ肩を震わせるモーズを見て、とうとう怒ったのか、それも言葉を発せない程の怒髪天に至ったのか、思ったカールはわたわたと両手を忙しなく動かし、挙動が落ち着かなくなる。
「あの、ごめんね? ブッ刺そうとして本当に悪かったね。有効ではあったかもだけど最低だったね。ごめんね本当に。君の為とか言い訳しないで、もっと優しくすべきだったね俺ちゃん」
「こぉら! カールっ! 新人に対してなに蛮行働いているんだよ! 監視カメラにバッチリ映っていたからなお前の暴行未遂っ!」
「うぇえええっ! パウルちゃんタイミング悪いぃ~っ! だって俺ちゃん、任されたからには全力で指導しようと思ってぇええ~っ!」
そこで荒々しい足音と共に飼育室へやってきたパウルに、カールはますます挙動不審になっている。そして必死に言い訳を述べている。
しかしパウルにはその言い訳は舌先三寸としか受け取って貰えず、先輩だろうと構わず胸ぐらを掴んで説教を始めてしまった。なおその説教の内容は日頃の鬱憤も多分に含んでいる。
(……情けない)
そんな騒がしい先輩2人に見えないよう、モーズは背中を向けてこっそりとマスクを外す。
ボロボロと、左目から溢れる涙を拭う為に。だがモーズが拭う前に、首筋から再びアイギスの触手が生えてきて、目尻に溜まっていた涙をそっと拭き取ってくれた。
(いや、情けなくても、いいのか)
完璧でなくとも不器用でも不恰好でも、注いでくれる愛。その一端に産まれて初めて触れられた気がして、じんと温かくなる胸の内と、それに比例して溢れ落ちる涙を止められなかった。
ピリリリ
その時唐突に、白衣のポケットに入れていた携帯端末が着信の通知を知らせてくる。
緊急時に設定している着信音ではないものの、モーズは頭を切り替える為にもフェイスマスクを被り直し、端末を手に取って画面を確認した。
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