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第十一章 キノコの国のアリス編
第202話 白昼夢
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特殊学会当日、ジョンは《植物型》騒動に巻き込まれた。
だが《植物型》はクスシとウミヘビの手によって無事に処分。死者を出す事なく騒動及び特殊学会は終わった。
その際ジョンは左腕を自傷したものの、無事に生還。
そして飛行機を使いパラスからイギリス感染病棟に戻って早々、ジョンは院長室にエドワードとフローレンスを呼び出し、特殊学会で発表された研究データを開示。頭に叩き込ませた。
『詳細不明かつ健常者に擬態すると見られる《ステージ6》の情報は、世間に混乱をもたらさないよう扱いは慎重に。開示するタイミングはこちらの指示を待つべし。または開示する相手をこちらに確認させ、許可を得た後に開示すべし』
という国連からの通達があったのだが、ジョンはそれを無視。
確認を取る事も許可を取る事もせずに2人に共有した。理由は単純明快、エドワードとフローレンスへ情報を開示する必要性などわかりきっているのに、わざわざ手順を踏むのは時間の無駄だからだ。
尤も何も問題が起きなかった訳ではない。情報を共有する最中、雑に畳んで机の上に置いていた、血で汚し裾を火で焦がした白衣と、自身の左腕の傷を見られ、エドワードは嘆き悲しみ、フローレンスには小一時間ほど小言を言われた。しかもそれを理由に、時間が遅かったのもあって強制退勤。翌日も無理矢理、休みを取らされた。
休暇という無駄を嫌うジョンは働く気満々であったが、「病棟で姿を見かけたら、麻酔をぶち込んでベッドに縛り付ける」とフローレンスに宣言され渋々、自宅待機する事とした。
なおフローレンスは冗談など言わない。いつ如何なる時も本音で語る。つまりその状況になったら、彼女は本気でジョンをベッドに沈み込ませる気だ。流石のジョンも素直に従った。
そうして迎えた、いつも通りの朝。
自宅で目覚めたジョンは朝イチでシャワーを浴び、朝食を摂り、世界ニュースに目を通すルーティンをこなした。
世界ニュースには昨日の《植物型》騒動と、それを特殊学会の発表者モーズが解決した旨と、主犯と疑われていたパラスWHO協会の会長が首なし死体として見つかった事が書かれていた。しかし、他に気になる情報はない。
ジョンはさっさとホログラム記事を閉じ、ティーカップに注いでいた紅茶を喉に流し込んだ。
勤務日ならばここで身支度をして感染病棟へ向かっている所だが、今日は無理矢理取らせられた休暇。しかも病棟に顔を出せばフローレンスにふん縛られる未来が確定している為、下手に動けない。
だからとジョンはじっとしていられない性分故に、日用品の買い出しや自宅の掃除など普段できない事をした。
それでも、時間が余る。
午後になって、ジョンは自宅の地下に設けた『作業室』に入室。
感染病棟に搬入予定だった遺体の一体をフローレンスにバレないように手を回しつつ、業者に運び込んで貰い、時間があれば毎日のように行っている解剖作業を開始。
その日、解剖した遺体は珍しいことにステージ5感染者の遺体だ。災害現場で焼却処分をされる事が多いステージ5の遺体はなかなか手に入らないのだが、此度、入手できた遺体は《植物型》騒動時にウミヘビの毒素によって処分された感染者。中毒による細胞へのダメージは途方もないものの、遺体自体は五体満足と美しいものだった。ウミヘビによる毒素の効き具合もある程度辿れ、何とも充実した解剖記録が取れた。
パラスのコンベンションセンターで警備をしていた軍人に金を掴ませ、遺体を回して貰った甲斐があったというものだ。
(これでウミヘビの身体の肉片も入手できていれば完璧だったのだが)
ウミヘビと接触する機会は従軍でもしなければ滅多な事では訪れないのに、腕も足も指も爪も、髪の毛1本でさえ入手できなかったのは悔やまれる。
そんな事を考えながら解剖した遺体を写真に収めていると、ふと、視界の左端に人影が見えた。
「……?」
出身地である首都ロンドンから、感染病棟近くの一軒家に住居を移してから早17年。10年以上前にエドワードも一人立ちし、同居人などいない筈なのに見えた、人影。
しかも業者以外は極力、他人を入れないようにしている作業室で。
当然ながら、辺りを見回しても人影はいない。恐らく虫か何かで見間違えたのだろう。ジョンはそう判断した。
しかし人影は作業室から出た後も、シャワーを浴びた後も、解剖記録を整理している最中でも、夕食を摂っている最中でも、視界の左端に纏わりついて消えない。人影といっても随分と小さな人影だった。子供ほどの背丈の人影。
目線と同じ位置でない所に見えるのが、ますます不可解だった。
(眠っていないのに夢でも見ているのか? そもそも俺が左端に何かを見るなど、あり得ない。視覚障害か脳障害でも患ったか)
起きているのに夢を見ているかのような、不思議な感覚。
とは言え現状、原因不明。そんな中で考えても解決方法などわかる訳がないので、無駄な思考は使わずジョンは明日に備えてさっさとベッドに入って眠った。
そして迎えた、いつも通りの朝。
いや、いつも通りだった筈の朝。
視界の左端に見えていた人影は立体感を増し、五体満足の子供の姿へ変貌していた。人の形をした黒いモヤ、とでも喩えればいいだろうか。
昨日よりもずっと鮮明に、視界の左端に現れて消えない。
【⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎】
加えて耳鳴りに似た幻聴まで聞こえてきた。疲労による不調の現れなどではなく、何か患ってしまった可能性がある。
ジョンは朝のルーティンをこなし、いつも通り感染病棟へ向かったものの、通常業務へ着手する前に病棟に勤務している眼科医と耳鼻科医に、手短に検査をして貰う事とした。
が、不調を自覚して勤務時間前に診察を受けようとしている姿をフローレンスに見られてしまった為、休暇は延長。左腕の傷の事もあり、やる気があるならと一通りの健康診断を受ける事となってしまった。
診断の結果は良好。
脳波まで徹底的に調べられたが、不調と見られる所はなし。幻視や幻聴の原因を発見するには至らなかった。
だが前に検査した時よりも着実に、進行してしまっている。
健康診断(と言うか精密検査)日となってしまった日の翌朝。
視界の端に見えていた人影は、とうとう少女の姿としてはっきり見えるようになった。更にはソプラノの声まで、鮮明に聞こえるようになってしまった。
昨日の診断の結果と、進行具合。ならばこの症状は『珊瑚』絡みだと推測できる。しかし今までの症例にない症状。特殊学会で新たに発表された、ステージ6が関わっているかもしれない。
そう結論付けたジョンは院長室で携帯端末を取り出し、連絡帳を開いた。
幸いな事に、ジョンは特殊学会でクスシのモーズと連絡先を交換している。
加えてモーズはジョンと非常に近しい状態。
彼ならば何かわかるかもしれない。何もなければそれに越した事はないが、不安の種はさっさとつむに限る。しかもステージ6が関わっていたとしたら急を要する。ジョンは国連を挟まずに連絡を送った。
モーズは、オフィウクス・ラボはすんなりと要望を受け入れてくれて、後は到着を待つだけとなった。
(これでひと段落ついた。休暇続きで着手できていなかった、ステージ4の遺体の解剖をするとしよう。フローレンスを呼んで……)
【おじさま。蛇を呼んでしまったの?】
ソプラノの声が、ジョンの頭の中に鳴り響く。
【いけないお人。過ぎた事は仕方ないけれど、もしもわたしのことを話してご覧なさい? 雪のご婦人も、薔薇の紳士も、子供達も、大人達も、病棟も、トランプ兵がペンキで白薔薇を塗り潰す童話みたく、みぃんな、赤く染めてあげるから】
そして眼前に浮かび上がった、菌床と化した感染病棟の映像。菌糸に塗れた部下と患者。魚群のように舞う胞子。徘徊するステージ5感染者。
起きているのに悪夢を見ているかのような、不思議な感覚。
だが少女の機嫌を損ねれば、これは悪夢で終わらないと直感できてしまって。
発言の取捨選択に、迫られた。
だが《植物型》はクスシとウミヘビの手によって無事に処分。死者を出す事なく騒動及び特殊学会は終わった。
その際ジョンは左腕を自傷したものの、無事に生還。
そして飛行機を使いパラスからイギリス感染病棟に戻って早々、ジョンは院長室にエドワードとフローレンスを呼び出し、特殊学会で発表された研究データを開示。頭に叩き込ませた。
『詳細不明かつ健常者に擬態すると見られる《ステージ6》の情報は、世間に混乱をもたらさないよう扱いは慎重に。開示するタイミングはこちらの指示を待つべし。または開示する相手をこちらに確認させ、許可を得た後に開示すべし』
という国連からの通達があったのだが、ジョンはそれを無視。
確認を取る事も許可を取る事もせずに2人に共有した。理由は単純明快、エドワードとフローレンスへ情報を開示する必要性などわかりきっているのに、わざわざ手順を踏むのは時間の無駄だからだ。
尤も何も問題が起きなかった訳ではない。情報を共有する最中、雑に畳んで机の上に置いていた、血で汚し裾を火で焦がした白衣と、自身の左腕の傷を見られ、エドワードは嘆き悲しみ、フローレンスには小一時間ほど小言を言われた。しかもそれを理由に、時間が遅かったのもあって強制退勤。翌日も無理矢理、休みを取らされた。
休暇という無駄を嫌うジョンは働く気満々であったが、「病棟で姿を見かけたら、麻酔をぶち込んでベッドに縛り付ける」とフローレンスに宣言され渋々、自宅待機する事とした。
なおフローレンスは冗談など言わない。いつ如何なる時も本音で語る。つまりその状況になったら、彼女は本気でジョンをベッドに沈み込ませる気だ。流石のジョンも素直に従った。
そうして迎えた、いつも通りの朝。
自宅で目覚めたジョンは朝イチでシャワーを浴び、朝食を摂り、世界ニュースに目を通すルーティンをこなした。
世界ニュースには昨日の《植物型》騒動と、それを特殊学会の発表者モーズが解決した旨と、主犯と疑われていたパラスWHO協会の会長が首なし死体として見つかった事が書かれていた。しかし、他に気になる情報はない。
ジョンはさっさとホログラム記事を閉じ、ティーカップに注いでいた紅茶を喉に流し込んだ。
勤務日ならばここで身支度をして感染病棟へ向かっている所だが、今日は無理矢理取らせられた休暇。しかも病棟に顔を出せばフローレンスにふん縛られる未来が確定している為、下手に動けない。
だからとジョンはじっとしていられない性分故に、日用品の買い出しや自宅の掃除など普段できない事をした。
それでも、時間が余る。
午後になって、ジョンは自宅の地下に設けた『作業室』に入室。
感染病棟に搬入予定だった遺体の一体をフローレンスにバレないように手を回しつつ、業者に運び込んで貰い、時間があれば毎日のように行っている解剖作業を開始。
その日、解剖した遺体は珍しいことにステージ5感染者の遺体だ。災害現場で焼却処分をされる事が多いステージ5の遺体はなかなか手に入らないのだが、此度、入手できた遺体は《植物型》騒動時にウミヘビの毒素によって処分された感染者。中毒による細胞へのダメージは途方もないものの、遺体自体は五体満足と美しいものだった。ウミヘビによる毒素の効き具合もある程度辿れ、何とも充実した解剖記録が取れた。
パラスのコンベンションセンターで警備をしていた軍人に金を掴ませ、遺体を回して貰った甲斐があったというものだ。
(これでウミヘビの身体の肉片も入手できていれば完璧だったのだが)
ウミヘビと接触する機会は従軍でもしなければ滅多な事では訪れないのに、腕も足も指も爪も、髪の毛1本でさえ入手できなかったのは悔やまれる。
そんな事を考えながら解剖した遺体を写真に収めていると、ふと、視界の左端に人影が見えた。
「……?」
出身地である首都ロンドンから、感染病棟近くの一軒家に住居を移してから早17年。10年以上前にエドワードも一人立ちし、同居人などいない筈なのに見えた、人影。
しかも業者以外は極力、他人を入れないようにしている作業室で。
当然ながら、辺りを見回しても人影はいない。恐らく虫か何かで見間違えたのだろう。ジョンはそう判断した。
しかし人影は作業室から出た後も、シャワーを浴びた後も、解剖記録を整理している最中でも、夕食を摂っている最中でも、視界の左端に纏わりついて消えない。人影といっても随分と小さな人影だった。子供ほどの背丈の人影。
目線と同じ位置でない所に見えるのが、ますます不可解だった。
(眠っていないのに夢でも見ているのか? そもそも俺が左端に何かを見るなど、あり得ない。視覚障害か脳障害でも患ったか)
起きているのに夢を見ているかのような、不思議な感覚。
とは言え現状、原因不明。そんな中で考えても解決方法などわかる訳がないので、無駄な思考は使わずジョンは明日に備えてさっさとベッドに入って眠った。
そして迎えた、いつも通りの朝。
いや、いつも通りだった筈の朝。
視界の左端に見えていた人影は立体感を増し、五体満足の子供の姿へ変貌していた。人の形をした黒いモヤ、とでも喩えればいいだろうか。
昨日よりもずっと鮮明に、視界の左端に現れて消えない。
【⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎】
加えて耳鳴りに似た幻聴まで聞こえてきた。疲労による不調の現れなどではなく、何か患ってしまった可能性がある。
ジョンは朝のルーティンをこなし、いつも通り感染病棟へ向かったものの、通常業務へ着手する前に病棟に勤務している眼科医と耳鼻科医に、手短に検査をして貰う事とした。
が、不調を自覚して勤務時間前に診察を受けようとしている姿をフローレンスに見られてしまった為、休暇は延長。左腕の傷の事もあり、やる気があるならと一通りの健康診断を受ける事となってしまった。
診断の結果は良好。
脳波まで徹底的に調べられたが、不調と見られる所はなし。幻視や幻聴の原因を発見するには至らなかった。
だが前に検査した時よりも着実に、進行してしまっている。
健康診断(と言うか精密検査)日となってしまった日の翌朝。
視界の端に見えていた人影は、とうとう少女の姿としてはっきり見えるようになった。更にはソプラノの声まで、鮮明に聞こえるようになってしまった。
昨日の診断の結果と、進行具合。ならばこの症状は『珊瑚』絡みだと推測できる。しかし今までの症例にない症状。特殊学会で新たに発表された、ステージ6が関わっているかもしれない。
そう結論付けたジョンは院長室で携帯端末を取り出し、連絡帳を開いた。
幸いな事に、ジョンは特殊学会でクスシのモーズと連絡先を交換している。
加えてモーズはジョンと非常に近しい状態。
彼ならば何かわかるかもしれない。何もなければそれに越した事はないが、不安の種はさっさとつむに限る。しかもステージ6が関わっていたとしたら急を要する。ジョンは国連を挟まずに連絡を送った。
モーズは、オフィウクス・ラボはすんなりと要望を受け入れてくれて、後は到着を待つだけとなった。
(これでひと段落ついた。休暇続きで着手できていなかった、ステージ4の遺体の解剖をするとしよう。フローレンスを呼んで……)
【おじさま。蛇を呼んでしまったの?】
ソプラノの声が、ジョンの頭の中に鳴り響く。
【いけないお人。過ぎた事は仕方ないけれど、もしもわたしのことを話してご覧なさい? 雪のご婦人も、薔薇の紳士も、子供達も、大人達も、病棟も、トランプ兵がペンキで白薔薇を塗り潰す童話みたく、みぃんな、赤く染めてあげるから】
そして眼前に浮かび上がった、菌床と化した感染病棟の映像。菌糸に塗れた部下と患者。魚群のように舞う胞子。徘徊するステージ5感染者。
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