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第十五章 平和が終わる日
第308話 《アンモニア(NH3)》
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「えっ。アセトアルデヒドさん今、モーズ先生の事を『先生』と呼びました……!?」
「うん。そうだねぇ」
「モーズ先生、日本で彼と何をしたのですか? また唆してしまったんですか?」
「唆かす……? いや私はただ、彼の頼みを受け入れただけだが」
「それを唆かすと言うのです……!」
「???」
モーズの事を『先生』と呼ぶウミヘビがまた増えてしまった事に、セレンは頭を抱えて嘆いた。
「あははは~。モーズ先生ぇ、無自覚タラシだものねぇ。セレンも気が気じゃないよねぇ」
「わかっているのなら先生呼びを改めてもいいのですよ?」
「それは嫌だなぁ」
「……っ! アセトアルデヒドさんが意固地になるだなんて、どんな口説き文句を言ったんですかモーズ先生!」
「えぇ……。私は口説いてなど……」
困惑しながらも、真面目に足元やらパイプやら巨大タンクの壁やらにペイント弾を撃ち込んでいくモーズ。
ただし目の前のアセトアルデヒドは撃たない。アセトアルデヒドもまた、フィールドにペイント弾を撃つばかりでモーズに銃口を向ける事はなかった。
「と言うか何故お二人は和やかにペイントを塗っているんですか! 敵チームでしょうっ!」
「そう言うセレンも撃ってないじゃないか」
「私は先生が直ぐ撃つと思ったのです! なので私は漁夫の率を狙っている方を警戒していまして!」
「そうなのか。私はペイントを塗る方が下手な銃撃をするより、チームに貢献できるかと思ったんだ」
「先生ぇの気持ちわかるよぉ。撃ち合うより塗り絵の方が楽しいものねぇ」
「それは同感だな。孤児院でクレヨン絵描きをしていた頃を思い出す。童心に返るとはこの事か」
「陣取り合戦をしているとは思えない程の平和さ……」
ペイント弾飛び交う仁義なき陣取り合戦ゲーム中だというのに、ここだけ穏やかな空気が流れている。
この空気を壊すのも忍びないと、セレンはアセトアルデヒドを撃つのは諦め、周囲の警戒を強める方向にシフトした。
「わかりましたよ! 私もアセトアルデヒドさんは撃ちませんっ! しかし他の皆さんは撃ち合う気満々でしょうから、お二方に近付く方は片端から撃ち落とし」
パァンッ
ペイント弾が弾ける音がセレンの真後ろから聞こえる。振り返って状況を確認してみると、セレン達をまとめて蜂の巣にしようとペイント銃を構えていたらしきウミヘビが、ニコチンの射撃を喰らい死亡判定を受けている所だった。
ニコチンはと言えば、相変わらず塔の上で何人も寄せ付けない雰囲気を醸し出している。そしてアセトアルデヒドに近付くウミヘビを片端から撃ち抜いている。セレンとモーズが撃たれていないのは、アセトアルデヒドと仲良くお喋りをしているからだろう。
危害を加えない間は見逃されているという現状に、セレンは乾いた笑い声をあげる他なかった。
「わ~。ニコチン先輩、守護神か何かになっていますねぇ」
「私も彼ほど、射撃の腕が上がればな。冷気放射器の扱いも上達する事だろう」
「冷気放射器ぃ? 火炎放射器じゃなくってぇ?」
「そうだ。ステージ5感染者の保護の為、今は感染者を凍結する実験をしているのだが、これがなかなか難しい」
「へぇ~」
アセトアルデヒドは「ふんふん」とモーズの話を興味深そうに聞いた後、
「凍らせたいんなら僕の友達、紹介しよっかぁ?」
「……。うん?」
デジャヴを感じる提案を、モーズにしてきた。
◇
「え、え、え、遠征……」
訓練場の外。広場では、木製長椅子に座った美青年こと《アンモニア》が、向かいの木製長椅子に座るフリッツの頼み事に困惑した表情を浮かべていた。
ちなみにアンモニアの隣には流れて付き添う事になったクロロホルムが、フリッツの隣には相変わらず付き従うカルバミドが座っている。
「今直ぐにではないよ。実験を繰り返して成果が出たら、将来的にお願いをしたいんだ」
「ぼ、ぼ、ぼ、僕は、よ、よ、弱く、て……」
「感染者の動きを止めるのは、アイギスや他のウミヘビにやって貰う事もできる。君はただ、撃つだけだ」
「そ、そ、それでも、僕は、じ、じ、自信が……」
「まぁ、無理強いはしないよ。強制した所で、上手くいく筈がない」
カルバミドきっての推薦でアンモニアが呼ばれた理由。
それはアンモニアが【冷気を操れるから】に他ならない。
何せアンモニアは冷凍用寒剤の原料。冷気そのものを出せる訳ではないが、己が毒素を冷気と化合し、自在にコントロールする事が可能。
弟であるカルバミドもある程度、冷気を操れるものの、その能力はアンモニアの方がずっと優れている。
「兄さんは弱くないですよっ! ぼく知ってます! 人一倍努力してます!」
「カ、カ、カルバミド。でも僕、実戦経験はほ、ほ、ほとんど……」
「誰でも最初は初心者ですーっ! ぼくも実験をお手伝いしますから、不安がらないでくださいーっ!」
「そうだね。最初はシミュレーターの練習からでいいんだよ、アンモニアくん。丁度ペイント弾を撃ち合う大会をしているみたいだし、それで身体を慣らすのだって……。おや、フリーデンくんがやられてしまったようだね」
広場に浮かんでいる、訓練場のシミュレーターを中継するホログラム映像の中では、フリーデンが丁度ニコチンに撃たれて霧散する所であった。
「ニコチンくんの射線に入ってしまったら当然か。あ、でもめげずにまた撃ちに行っている。頑張るねぇ」
「フ、フ、フリーデン、先生……」
ホログラム映像の中、化学工場フィールドの中をせっせと移動し、鉢合わせた敵チームのウミヘビにも臆することなくペイント銃を撃ち込むフリーデン。
途中でゲームに参加していたクロールと合流し、それ以降は2人で行動をし始めた。
それを見たアンモニアはぎゅっと、自身の拳を握りしめる。
「あぁ。僕やモーズくんではなく、フリーデンくんと一緒の方がよかったかな? もしそうなら話を通しておくよ」
「い、い、いや、僕は……」
「僕はお願いする立場なんだ。なるべく君の要望に応えるのは当然だろう?」
「フリーデンが心配なんでしょ~? 側にいられる理由を作れるんだから、受けちゃいなよアンモニア」
「あ、う、う、うぅ」
汗を滝のように流し、煮え切らない発言を繰り返すアンモニアを見兼ねて、クロロホルムが横からせっつく。
「ねぇ、アンモニア。あのアトロピンが壊れたんだよ? ウミヘビより脆いクスシは、もっと危ない。でも先生達は災害現場に行っちゃうんだ。それが、お役目だからって」
13年もの間、人工島アバトンで医療従事と遠征をこなしていたアトロピン。彼は戦闘員というよりも補助員の立ち位置ではあったが、遠征先の前線、菌床深部への進攻経験も豊富にあったベテランの内の一人。
そのアトロピンが壊れてしまったという報せは、遠征の危険性が上がっていると痛感するのに十分であった。
「……自分だけ留守番で、いいの?」
クロロホルムもアンモニアと同じように根は気弱だ。それでも彼は自分の戦闘センスを買ってくれた、敬愛するユストゥスの為に戦闘員になる事を決めた。優遇措置を受けられるメリットよりも、痛く辛く怖い思いをするデメリットの方が多い戦闘員になる事に。
きっとその方が、後悔しないから。
それを知っているアンモニアはうつむき、唇を固く結ぶ。
「クロロホルムくん。さっきも言ったけれど、僕は強制はしたくない。誰にでも向き不向きはあるんだ。無理をした所で成果は出ないし、逆に皆んなを危険に晒してしまう。あまり脅すような物言いはしないで欲しいな」
「……はぁい」
「兄さん、駄目そうですかー?」
身体を固くし、何も言えなくなってしまったアンモニアの顔を、心配そうに下から覗き込むカルバミド。
そして酷く苦しそうにしているのを見て、カルバミドは身を引き、フリッツへ向き合った。
「わかりましたっ! 先生、ぼくが兄の分まで頑張りますのでー!」
「う、う、受け、受け、ます」
しかしそこでアンモニアは口を開く。
「フリーデン先生と、一緒なら、じ、じ、実験も、え、え、え、遠征も。う、う、う、うけ、受けます」
▼△▼
補足
アンモニア(NH3)
無色透明の気体。水に溶かしたアンモニア水も同じく無色透明。刺激臭が強い事で有名。
日本では劇物に指定されている毒である。
呼吸刺激や腐蝕性もあるが、特に粘膜に対する毒性が恐ろしく、アンモニア水が目に入ると失明の危険がある(※この毒性は第三章の第42話でも書かれています。やっと本人登場させられた…!)
危険性は高いもののアンモニアは様々な用途に利用されていて、肥料の原料、火力発電用燃料、還元剤、製氷、冷凍用寒剤の原料にもなる優れもの。他にも多様な使い方がある。
カルバミドと兄弟関係なのはアンモニアが人間の体内に入った際、分解されて尿素に変わるから。
見た目について
弟であるカルバミドが成長した姿をしている。外見年齢に差がること以外はそっくり。
あと鮮やかな黄色い瞳は炎色反応から取りました。
「うん。そうだねぇ」
「モーズ先生、日本で彼と何をしたのですか? また唆してしまったんですか?」
「唆かす……? いや私はただ、彼の頼みを受け入れただけだが」
「それを唆かすと言うのです……!」
「???」
モーズの事を『先生』と呼ぶウミヘビがまた増えてしまった事に、セレンは頭を抱えて嘆いた。
「あははは~。モーズ先生ぇ、無自覚タラシだものねぇ。セレンも気が気じゃないよねぇ」
「わかっているのなら先生呼びを改めてもいいのですよ?」
「それは嫌だなぁ」
「……っ! アセトアルデヒドさんが意固地になるだなんて、どんな口説き文句を言ったんですかモーズ先生!」
「えぇ……。私は口説いてなど……」
困惑しながらも、真面目に足元やらパイプやら巨大タンクの壁やらにペイント弾を撃ち込んでいくモーズ。
ただし目の前のアセトアルデヒドは撃たない。アセトアルデヒドもまた、フィールドにペイント弾を撃つばかりでモーズに銃口を向ける事はなかった。
「と言うか何故お二人は和やかにペイントを塗っているんですか! 敵チームでしょうっ!」
「そう言うセレンも撃ってないじゃないか」
「私は先生が直ぐ撃つと思ったのです! なので私は漁夫の率を狙っている方を警戒していまして!」
「そうなのか。私はペイントを塗る方が下手な銃撃をするより、チームに貢献できるかと思ったんだ」
「先生ぇの気持ちわかるよぉ。撃ち合うより塗り絵の方が楽しいものねぇ」
「それは同感だな。孤児院でクレヨン絵描きをしていた頃を思い出す。童心に返るとはこの事か」
「陣取り合戦をしているとは思えない程の平和さ……」
ペイント弾飛び交う仁義なき陣取り合戦ゲーム中だというのに、ここだけ穏やかな空気が流れている。
この空気を壊すのも忍びないと、セレンはアセトアルデヒドを撃つのは諦め、周囲の警戒を強める方向にシフトした。
「わかりましたよ! 私もアセトアルデヒドさんは撃ちませんっ! しかし他の皆さんは撃ち合う気満々でしょうから、お二方に近付く方は片端から撃ち落とし」
パァンッ
ペイント弾が弾ける音がセレンの真後ろから聞こえる。振り返って状況を確認してみると、セレン達をまとめて蜂の巣にしようとペイント銃を構えていたらしきウミヘビが、ニコチンの射撃を喰らい死亡判定を受けている所だった。
ニコチンはと言えば、相変わらず塔の上で何人も寄せ付けない雰囲気を醸し出している。そしてアセトアルデヒドに近付くウミヘビを片端から撃ち抜いている。セレンとモーズが撃たれていないのは、アセトアルデヒドと仲良くお喋りをしているからだろう。
危害を加えない間は見逃されているという現状に、セレンは乾いた笑い声をあげる他なかった。
「わ~。ニコチン先輩、守護神か何かになっていますねぇ」
「私も彼ほど、射撃の腕が上がればな。冷気放射器の扱いも上達する事だろう」
「冷気放射器ぃ? 火炎放射器じゃなくってぇ?」
「そうだ。ステージ5感染者の保護の為、今は感染者を凍結する実験をしているのだが、これがなかなか難しい」
「へぇ~」
アセトアルデヒドは「ふんふん」とモーズの話を興味深そうに聞いた後、
「凍らせたいんなら僕の友達、紹介しよっかぁ?」
「……。うん?」
デジャヴを感じる提案を、モーズにしてきた。
◇
「え、え、え、遠征……」
訓練場の外。広場では、木製長椅子に座った美青年こと《アンモニア》が、向かいの木製長椅子に座るフリッツの頼み事に困惑した表情を浮かべていた。
ちなみにアンモニアの隣には流れて付き添う事になったクロロホルムが、フリッツの隣には相変わらず付き従うカルバミドが座っている。
「今直ぐにではないよ。実験を繰り返して成果が出たら、将来的にお願いをしたいんだ」
「ぼ、ぼ、ぼ、僕は、よ、よ、弱く、て……」
「感染者の動きを止めるのは、アイギスや他のウミヘビにやって貰う事もできる。君はただ、撃つだけだ」
「そ、そ、それでも、僕は、じ、じ、自信が……」
「まぁ、無理強いはしないよ。強制した所で、上手くいく筈がない」
カルバミドきっての推薦でアンモニアが呼ばれた理由。
それはアンモニアが【冷気を操れるから】に他ならない。
何せアンモニアは冷凍用寒剤の原料。冷気そのものを出せる訳ではないが、己が毒素を冷気と化合し、自在にコントロールする事が可能。
弟であるカルバミドもある程度、冷気を操れるものの、その能力はアンモニアの方がずっと優れている。
「兄さんは弱くないですよっ! ぼく知ってます! 人一倍努力してます!」
「カ、カ、カルバミド。でも僕、実戦経験はほ、ほ、ほとんど……」
「誰でも最初は初心者ですーっ! ぼくも実験をお手伝いしますから、不安がらないでくださいーっ!」
「そうだね。最初はシミュレーターの練習からでいいんだよ、アンモニアくん。丁度ペイント弾を撃ち合う大会をしているみたいだし、それで身体を慣らすのだって……。おや、フリーデンくんがやられてしまったようだね」
広場に浮かんでいる、訓練場のシミュレーターを中継するホログラム映像の中では、フリーデンが丁度ニコチンに撃たれて霧散する所であった。
「ニコチンくんの射線に入ってしまったら当然か。あ、でもめげずにまた撃ちに行っている。頑張るねぇ」
「フ、フ、フリーデン、先生……」
ホログラム映像の中、化学工場フィールドの中をせっせと移動し、鉢合わせた敵チームのウミヘビにも臆することなくペイント銃を撃ち込むフリーデン。
途中でゲームに参加していたクロールと合流し、それ以降は2人で行動をし始めた。
それを見たアンモニアはぎゅっと、自身の拳を握りしめる。
「あぁ。僕やモーズくんではなく、フリーデンくんと一緒の方がよかったかな? もしそうなら話を通しておくよ」
「い、い、いや、僕は……」
「僕はお願いする立場なんだ。なるべく君の要望に応えるのは当然だろう?」
「フリーデンが心配なんでしょ~? 側にいられる理由を作れるんだから、受けちゃいなよアンモニア」
「あ、う、う、うぅ」
汗を滝のように流し、煮え切らない発言を繰り返すアンモニアを見兼ねて、クロロホルムが横からせっつく。
「ねぇ、アンモニア。あのアトロピンが壊れたんだよ? ウミヘビより脆いクスシは、もっと危ない。でも先生達は災害現場に行っちゃうんだ。それが、お役目だからって」
13年もの間、人工島アバトンで医療従事と遠征をこなしていたアトロピン。彼は戦闘員というよりも補助員の立ち位置ではあったが、遠征先の前線、菌床深部への進攻経験も豊富にあったベテランの内の一人。
そのアトロピンが壊れてしまったという報せは、遠征の危険性が上がっていると痛感するのに十分であった。
「……自分だけ留守番で、いいの?」
クロロホルムもアンモニアと同じように根は気弱だ。それでも彼は自分の戦闘センスを買ってくれた、敬愛するユストゥスの為に戦闘員になる事を決めた。優遇措置を受けられるメリットよりも、痛く辛く怖い思いをするデメリットの方が多い戦闘員になる事に。
きっとその方が、後悔しないから。
それを知っているアンモニアはうつむき、唇を固く結ぶ。
「クロロホルムくん。さっきも言ったけれど、僕は強制はしたくない。誰にでも向き不向きはあるんだ。無理をした所で成果は出ないし、逆に皆んなを危険に晒してしまう。あまり脅すような物言いはしないで欲しいな」
「……はぁい」
「兄さん、駄目そうですかー?」
身体を固くし、何も言えなくなってしまったアンモニアの顔を、心配そうに下から覗き込むカルバミド。
そして酷く苦しそうにしているのを見て、カルバミドは身を引き、フリッツへ向き合った。
「わかりましたっ! 先生、ぼくが兄の分まで頑張りますのでー!」
「う、う、受け、受け、ます」
しかしそこでアンモニアは口を開く。
「フリーデン先生と、一緒なら、じ、じ、実験も、え、え、え、遠征も。う、う、う、うけ、受けます」
▼△▼
補足
アンモニア(NH3)
無色透明の気体。水に溶かしたアンモニア水も同じく無色透明。刺激臭が強い事で有名。
日本では劇物に指定されている毒である。
呼吸刺激や腐蝕性もあるが、特に粘膜に対する毒性が恐ろしく、アンモニア水が目に入ると失明の危険がある(※この毒性は第三章の第42話でも書かれています。やっと本人登場させられた…!)
危険性は高いもののアンモニアは様々な用途に利用されていて、肥料の原料、火力発電用燃料、還元剤、製氷、冷凍用寒剤の原料にもなる優れもの。他にも多様な使い方がある。
カルバミドと兄弟関係なのはアンモニアが人間の体内に入った際、分解されて尿素に変わるから。
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