毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十五章 平和が終わる日

第317話 月狂(ルナシー)

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 日が海に沈み、すっかり暗くなったアバトンの夜。
 街灯の他、真上に浮かぶ月が街を煌々と照らしてくれるネグラでは、シミュレーションを終え訓練場を後にしたアンモニアが一人、歩道の端でぶつぶつと独り言を呟いていた。

「も、も、もっと、出力、気を付けて……。り、り、燐に相談、してみようかな……」

 呟いている内容は、今日の反省だ。冷気のコントロールが上手くいかず、シミュレーションではフリーデンを何度も氷漬けにしてしまった。フリーデンは遅い時間まで練習に付き合ってくれたというのに、最後まで理想通りにいかなかった。
 その事にしょぼくれ、下を向いていたものだから、アンモニアは目の前に接近してきていたウミヘビに気付くのが遅れてしまった。

「おい」

 鋭い目付きで睨み、ガンを飛ばすウミヘビ――クロール。
 声をかけられた事でようやく彼の存在に気付き、弾けるように顔を上げるアンモニア。それと同時に胸倉を掴まれ、歩道沿いに建てられた店舗の白壁にアンモニアは叩き付けられた。

「雑魚が何でフリーデン先生に擦り寄ってんだ!!」
「う……っ!」

 そのままクロールはアンモニアを白壁に押し付け続け、罵声を浴びせる。

「あの人は! てめぇみてぇなミジンコと! 釣り合う訳ねぇだろ! 口を利くのも烏滸がましい!!」

 苛立ちのまま、右手を高く振りかぶり、アンモニアに殴り掛かろうとするクロール。

「いけませんよ、クロールさん」

 だが彼の拳がアンモニアの頬に当たる直前、横から現れた手に掴まれてしまい、動きを封じられる。
 クロールの手を止めたのは、セレンであった。

「シミュレーターの外での暴力は規則違反。クスシに露見したら謹慎処分が課されます」
「そんな事、こいつの傲慢さに比べれば……!」
「フリーデンさんとお話しする機会が減ってしまいますよ?」
「……ッ! チッ!」

 セレンに諭されたクロールは苦々しく顔を歪めた後、アンモニアを突き放す形で解放し、荒い足取りで去って行った。
 拘束が解かれたアンモニアだが、背中を白壁に預けたまま、ずりずりとその場にへたり込んでしまう。

「大丈夫ですか、アンモニアさん」
「う、う、うん……」

 そんなアンモニアに目線を合わせるように、セレンはしゃがみ込む。

「た、た、耐える、よ。フ、フ、フリーデン先生の、お役に立てる、なら……」
「……。よろしければですが、慕っている理由をお伺いしても?」
「え、え、えと、フリーデン先生はこんな僕でも、た、た、沢山褒めてくれて……」
「あっ、すみません貴方ではなく、クロールさんがですね」

 粗暴な言動が目立つクロールが、平和主義者であるフリーデンを慕う理由。

「傍若無人なクロールさんが特定の方を先生と呼び慕っているの、ずっと不思議だったんですよねぇ」
「そ、そ、それは……」
「話したくないとか、そもそも知らないのならば良いのですよ。ちょっと気になったというだけです!」

 黒目がちの目を細め、凝視してくるセレンに戸惑うアンモニア。
 しかし隠す事でもないからと、自分の知るクロールとフリーデンの話をセレンへ伝えた。

「ぼ、ぼ、僕も、詳しくは知らない、けど、ク、ク、クロール、はクスシになる前のフリーデン先生と、会った事が、あって……。そ、それで、その時に、『いいものが見れた』らしく、って」
「『いいもの』、とは?」
「さ、さ、さぁ……?」

 アンモニア曰く、酒盛りなどの場で、クロールは時折りクスシになる前のフリーデンとの思い出を自慢げに語るのだという。ただし具体的な内容は言わず、ただ「最高だった」「また見たい」「その為なら幾らでも尽くす」と感想だけ告げるのだと。
 「常におどおどしているのがムカつく」という理由で、よくクロールから暴言や暴力を振るわれがちなアンモニアは彼との接触は極力避けているのだが、自分の慕うフリーデンの話はどうしても聞きたくて、名前が出るとつい聞き耳を立て、それによって知った情報だ。なおそれは直ぐにバレてしまうので、また虐められるのだとか。

「リスクを承知でフリーデンさんの事を知りたい、と。一途ですねぇ」
「フ、フ、フリーデン先生は、こんな僕にも、優しくて、才能を、引き出してくれるから……。え、え、えと、セレンも、モーズって新人さんを慕っているんでしょう? き、き、気持ち、わかるよね」
「私ですか? 私は、」
「セレンさん」

 その時、セレンの後方から現れたウミヘビが話に割って入ってくる。
 割って入ってきたのは、夜の闇に溶け込んでしまいそうな程に真っ黒い格好をした、タリウムであった。

「おや? タリウムさん、どうしたんですか?」
「いえ、セレンさんが規約違反を犯すなんて珍しいなと」

 タリウムはそう言って、自身の左手首を右手の人差し指でトントンとつつく。
 そこには腕時計型電子機器が付けられているのだが――セレンの左手首には、付けられていなかった。

「忘れた、って訳じゃないでしょう?」
「……」

 ウミヘビは携帯端末と腕時計型電子機器の装備を、義務として課せられている。クスシからの連絡をいつでも受け取り、常に招集に応えられるようにする為だ。
 基本中の基本の規則。それを今まで細かな規則違反さえ破った事のない、模範的なウミヘビであるセレンが守れていないのは違和感がある。そう指摘された事に、セレンは黒目がちの目を一瞬、伏せた。

「忘れてしまいました! ご指摘ありがとうございます、タリウムさん! クスシに怒られてしまう所でしたね!」

 しかし直ぐにいつも通りの明るい笑みを浮かべ、その場から立ち上がる。

「部屋に戻って、直ぐに付けなくてはいけませんねぇ。ではアンモニアさん、私はこの辺で!」
「あ、う、う、うん」

 そのまま足早に駆けて行って、自室のあるマンションへと帰っていった。
 少し遅れてアンモニアも歩道から立ち上がり、セレンが帰っていた方を見詰めるタリウムへ不思議そうに歩み寄る。

「む、む、難しい顔して、ど、ど、どうしたの?」
「そんなに顔に出ていたっスか?」
「う、う、うん」

 無表情が基本で、顔半分を黒マスクで覆っているのもあって感情が読み取り辛いタリウム。
 しかし今は眉間にシワを寄せ、いつになく険しい顔をしていた。

「俺もよくわからないんスけど、何かセレンさん、目付きが、変だ」
「ど、ど、どう、変なのかな?」
「それは、すみません。わからないっス。けど、どこかで見た事のある目付きで……」

 全てを悟り、諦めてしまっているような、それさえ幸福と誤認し、受け入れてしまっているような――

「嫌な感じだ」


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