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第二十章 真っ赤な嘘
第418話 誰よりも、強く
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足場の悪い樹海の中、という慣れない環境にパラチオンは幾度も転びそうになる。
それでも面頬の男から視線を逸らす事はせず、枝葉に衣服が引っ掛かろうが身体にぶつかろうが、決して速度を緩めず疾走し続けた。
そして段々と距離を縮め、面頬の男との距離が残り数メートルまで迫った所で、地面を蹴って跳躍。その勢いのまま殴りかかる――!
「ぉおおおおおおッ!」
瞬間、衝撃が走る。だがそれはパラチオンの拳が肉を撃った感触ではない。
木の幹に突き刺さる、固い感触。木肌が軋む音と共に、樹皮が剥がれ、拳が深々と埋まる。
また、躱したのだ。面頬の男は。僅か半歩、空気を撫でるように身体を引いただけで。
直後、面頬の男が無音で踏み込む。
まるで一歩で空間を切り詰めるような、助走と重心移動。その動きには無駄がなく、意図も感情も読み取れない。ただ、型に従って、叩き込む。
八極拳、『崩拳』。
八極拳の代表的な直打。短く、重く、鋭く——だが確実に手加減された一撃が、パラチオンの鳩尾にめり込んだ。
「ぐ……っ!」
呻きと共に身体がのけ反る。肺から強制的に空気を絞り出され、パラチオンの視界が一瞬霞んだ。
だが内臓が潰れるような致命の衝撃ではない。それどころかこの威力では内出血さえ起きないだろう。正中線を外し、絶妙に力を抜いた一撃だった。
しかし衝撃を受け流す事が叶わなかったパラチオンは地面に叩き付けられ、強かに背中を打ち付ける。すかさず立て直したものの、追撃できる状態ではなく地を蹴って距離を取った。
自分から離れたパラチオンを、面頬男は追わない。ただ、静かに拳を引き、元の構えへ戻っていく。
「相変わらず、お前は……っ!」
呼吸一つ乱さずいなしてくる面頬の男に向け、パラチオンは鋭い睨みを効かせる。
「何故お前はそんなにも強い! 何故この俺様が敵わない!! 俺様は最強だ! ウミヘビの誰よりも強い! 誰よりも、誰よりも……っ!!」
突きつけられた力量差に、否応なく思い知らされる無力さに、パラチオンは怒り、嘆き、叫ぶ。
恵まれた体格、並外れた身体能力、そして何よりも、他のウミヘビと一線を画す強力な毒素。パラチオンは負けという負けを知らない。何なら正面からぶつかって正攻法で敗れた事など、純粋な戦闘力で劣った事など、これまでただの一度もない。
なのに、面頬の男は違った。
まるで幼子でも相手にするかのように、あくまで手加減したまま、真正面からパラチオンを打ち負かしてくる。その姿に、己の拳が滑稽にさえ思えてくる。
その事実を自覚する度に、パラチオンは屈辱に、
「……いいや、いいや!」
目の前の男のように強ければ、誰にも負けない力があれば――
真っ赤な菌糸に貫かれ、青い血を咲かせて散ってしまった『彼』を、失わずに済んだのではないかと。
写真の中でしか、もう会えない存在になど、させずに済んだのではないかと。
その思いが、悔しさに変わる。
胸を引き裂くほどの、激しい悔しさに。
「強く、もっと強くならなければならないんだ!!」
叫ぶ声は、怒りとも、誓いともつかない感情の奔流。
己の弱さを憎みながら、それでも立ち向かおうとするパラチオンの紅い瞳は、涙を堪えるように燃えていた。
「ほう」
不意に、面頬の男が感嘆の声をあげる。
「強くありたいと願うのならば、出し惜しみはするな。生死のかかった戦いに、卑怯も公平もないのだから。迷いなど、捨てろ」
彼の声音には激情も冷笑もなかった。ただ、事実を語るような平坦さ。
だがその平坦さが、かえって言葉の重みを際立たせる。
「捨てられらないならば、ワタシがお前を殺すだけだ」
次の瞬間、男の脚が大地を踏み締めた。
重心の移動は僅かでも、その圧は圧倒的。空気が瞬時に張り詰め、気配が針のように鋭くなる。パラチオンが何かを考えるより早く、拳が迫っていた。
八極拳、『冲捶』。
その重さ、その速さ。受け止められない。避けきれないと、直感が叫ぶ。
(避け切れない……!)
直後、肩口に走る衝撃。掠っただけで、筋肉が痺れる。視界が揺れた。
――出し惜しみをするな。
面頬の男の言葉が、パラチオンの脳裏を過ぎる。
ぎり、と。彼は歯を食いしばった。次いで躊躇なく、自らの肩口に手をかける。そのまま鋭い爪先で皮膚を、抉った。ざくりと肉が裂け、真っ青な血が溢れ出す。
ぽたり、ぽたりと地を濡らすその血は、草も花も苔も、樹木でさえ枯らし、大地を侵していく。
「お前が何者かなど知らないが」
低く、地を這うような声が、パラチオンの喉奥から漏れる。
だがその響きは、怒りでも嘆きでもなく、純然たる執念だった。
「お前の強さは本物だ。敵わない。勝てない。だが、だからこそ……お前という壁を越えれば、俺様は今よりも、強くなれる」
にじり寄るその歩みに、迷いは一切ない。あるのはただ、己の限界を超えるための渇望。
「俺様の礎として……ここで、死ね」
言い放ったその瞬間には、既に動いていた。
パラチオンは地を蹴る。毒を纏った脚が土を抉り、空気を裂く。青い血に塗れた拳が唸りを上げて、面頬の男に向かって突き出された。
先程と同じ動き。半歩下がれば面頬の男は躱せる。
だがグッと、彼は大きく後退しパラチオンから距離を取った。パラチオンの動きは先程と同じだが、先程と異なり毒を纏っている。
擦りでもすれば、いや、接近を許してしまっただけでも、中毒に侵されてしまう。だから回避に全力を注いだ。
「お前、ウミヘビを知っているんだな……?」
青い血が森を枯らす様を見れば、ウミヘビの生態を知らずとも危険な物という判別はつくだろうが、面頬の男はパラチオンの接近そのものを許さなかった。皮膚が抉られた肩口は既に再生が始まり、青い血の出血は治っているというのに、「青い血は触れなくとも、近付いただけで危険」とわかっているようだった。
尤もそんな情報など、どうでもいい事だが。
パラチオンは腰のガンホルダーに手を伸ばすと、短機関銃を引きずり出す。そして反動を受け止めるように姿勢を沈め、引き金を引いた。
だがその銃口は、的確に面頬の男を狙っていたわけではない。周囲の木々、枝葉、地面——あらゆる場所へと無差別に掃射された。
「逃げられると思うな……!!」
パラチオンの放った弾丸、淡黄色の発光体。それには追尾機能があるものの、この障害物の多い森ではあまり意味をなさない。
よって逆に木を破壊し、破片を飛ばし、視界を奪う。毒を帯びた弾丸は空気すら蝕む。煙と毒霧が渦巻き、嵐を巻き起こす事を選んだ。
環境ごと支配する為に。
それでも、面頬の男の足取りは崩れない。火線の中を避けるでもなく、躱すでもなく、踏み締めながらゆっくりと、ただ歩く。
「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる……か。いや、それで勝てると思っているなら、哀れだな」
「何……!?」
「まぐれで勝ちを拾おうなどと、考えない事だ。パラチオン。ワタシはここだ。狙え。掴み取れ。自分の実力で……命を」
低く響く声。
鼓膜の奥で反響するそれに、パラチオンは銃口を真っ直ぐ向ける事によって、応えた。
それでも面頬の男から視線を逸らす事はせず、枝葉に衣服が引っ掛かろうが身体にぶつかろうが、決して速度を緩めず疾走し続けた。
そして段々と距離を縮め、面頬の男との距離が残り数メートルまで迫った所で、地面を蹴って跳躍。その勢いのまま殴りかかる――!
「ぉおおおおおおッ!」
瞬間、衝撃が走る。だがそれはパラチオンの拳が肉を撃った感触ではない。
木の幹に突き刺さる、固い感触。木肌が軋む音と共に、樹皮が剥がれ、拳が深々と埋まる。
また、躱したのだ。面頬の男は。僅か半歩、空気を撫でるように身体を引いただけで。
直後、面頬の男が無音で踏み込む。
まるで一歩で空間を切り詰めるような、助走と重心移動。その動きには無駄がなく、意図も感情も読み取れない。ただ、型に従って、叩き込む。
八極拳、『崩拳』。
八極拳の代表的な直打。短く、重く、鋭く——だが確実に手加減された一撃が、パラチオンの鳩尾にめり込んだ。
「ぐ……っ!」
呻きと共に身体がのけ反る。肺から強制的に空気を絞り出され、パラチオンの視界が一瞬霞んだ。
だが内臓が潰れるような致命の衝撃ではない。それどころかこの威力では内出血さえ起きないだろう。正中線を外し、絶妙に力を抜いた一撃だった。
しかし衝撃を受け流す事が叶わなかったパラチオンは地面に叩き付けられ、強かに背中を打ち付ける。すかさず立て直したものの、追撃できる状態ではなく地を蹴って距離を取った。
自分から離れたパラチオンを、面頬男は追わない。ただ、静かに拳を引き、元の構えへ戻っていく。
「相変わらず、お前は……っ!」
呼吸一つ乱さずいなしてくる面頬の男に向け、パラチオンは鋭い睨みを効かせる。
「何故お前はそんなにも強い! 何故この俺様が敵わない!! 俺様は最強だ! ウミヘビの誰よりも強い! 誰よりも、誰よりも……っ!!」
突きつけられた力量差に、否応なく思い知らされる無力さに、パラチオンは怒り、嘆き、叫ぶ。
恵まれた体格、並外れた身体能力、そして何よりも、他のウミヘビと一線を画す強力な毒素。パラチオンは負けという負けを知らない。何なら正面からぶつかって正攻法で敗れた事など、純粋な戦闘力で劣った事など、これまでただの一度もない。
なのに、面頬の男は違った。
まるで幼子でも相手にするかのように、あくまで手加減したまま、真正面からパラチオンを打ち負かしてくる。その姿に、己の拳が滑稽にさえ思えてくる。
その事実を自覚する度に、パラチオンは屈辱に、
「……いいや、いいや!」
目の前の男のように強ければ、誰にも負けない力があれば――
真っ赤な菌糸に貫かれ、青い血を咲かせて散ってしまった『彼』を、失わずに済んだのではないかと。
写真の中でしか、もう会えない存在になど、させずに済んだのではないかと。
その思いが、悔しさに変わる。
胸を引き裂くほどの、激しい悔しさに。
「強く、もっと強くならなければならないんだ!!」
叫ぶ声は、怒りとも、誓いともつかない感情の奔流。
己の弱さを憎みながら、それでも立ち向かおうとするパラチオンの紅い瞳は、涙を堪えるように燃えていた。
「ほう」
不意に、面頬の男が感嘆の声をあげる。
「強くありたいと願うのならば、出し惜しみはするな。生死のかかった戦いに、卑怯も公平もないのだから。迷いなど、捨てろ」
彼の声音には激情も冷笑もなかった。ただ、事実を語るような平坦さ。
だがその平坦さが、かえって言葉の重みを際立たせる。
「捨てられらないならば、ワタシがお前を殺すだけだ」
次の瞬間、男の脚が大地を踏み締めた。
重心の移動は僅かでも、その圧は圧倒的。空気が瞬時に張り詰め、気配が針のように鋭くなる。パラチオンが何かを考えるより早く、拳が迫っていた。
八極拳、『冲捶』。
その重さ、その速さ。受け止められない。避けきれないと、直感が叫ぶ。
(避け切れない……!)
直後、肩口に走る衝撃。掠っただけで、筋肉が痺れる。視界が揺れた。
――出し惜しみをするな。
面頬の男の言葉が、パラチオンの脳裏を過ぎる。
ぎり、と。彼は歯を食いしばった。次いで躊躇なく、自らの肩口に手をかける。そのまま鋭い爪先で皮膚を、抉った。ざくりと肉が裂け、真っ青な血が溢れ出す。
ぽたり、ぽたりと地を濡らすその血は、草も花も苔も、樹木でさえ枯らし、大地を侵していく。
「お前が何者かなど知らないが」
低く、地を這うような声が、パラチオンの喉奥から漏れる。
だがその響きは、怒りでも嘆きでもなく、純然たる執念だった。
「お前の強さは本物だ。敵わない。勝てない。だが、だからこそ……お前という壁を越えれば、俺様は今よりも、強くなれる」
にじり寄るその歩みに、迷いは一切ない。あるのはただ、己の限界を超えるための渇望。
「俺様の礎として……ここで、死ね」
言い放ったその瞬間には、既に動いていた。
パラチオンは地を蹴る。毒を纏った脚が土を抉り、空気を裂く。青い血に塗れた拳が唸りを上げて、面頬の男に向かって突き出された。
先程と同じ動き。半歩下がれば面頬の男は躱せる。
だがグッと、彼は大きく後退しパラチオンから距離を取った。パラチオンの動きは先程と同じだが、先程と異なり毒を纏っている。
擦りでもすれば、いや、接近を許してしまっただけでも、中毒に侵されてしまう。だから回避に全力を注いだ。
「お前、ウミヘビを知っているんだな……?」
青い血が森を枯らす様を見れば、ウミヘビの生態を知らずとも危険な物という判別はつくだろうが、面頬の男はパラチオンの接近そのものを許さなかった。皮膚が抉られた肩口は既に再生が始まり、青い血の出血は治っているというのに、「青い血は触れなくとも、近付いただけで危険」とわかっているようだった。
尤もそんな情報など、どうでもいい事だが。
パラチオンは腰のガンホルダーに手を伸ばすと、短機関銃を引きずり出す。そして反動を受け止めるように姿勢を沈め、引き金を引いた。
だがその銃口は、的確に面頬の男を狙っていたわけではない。周囲の木々、枝葉、地面——あらゆる場所へと無差別に掃射された。
「逃げられると思うな……!!」
パラチオンの放った弾丸、淡黄色の発光体。それには追尾機能があるものの、この障害物の多い森ではあまり意味をなさない。
よって逆に木を破壊し、破片を飛ばし、視界を奪う。毒を帯びた弾丸は空気すら蝕む。煙と毒霧が渦巻き、嵐を巻き起こす事を選んだ。
環境ごと支配する為に。
それでも、面頬の男の足取りは崩れない。火線の中を避けるでもなく、躱すでもなく、踏み締めながらゆっくりと、ただ歩く。
「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる……か。いや、それで勝てると思っているなら、哀れだな」
「何……!?」
「まぐれで勝ちを拾おうなどと、考えない事だ。パラチオン。ワタシはここだ。狙え。掴み取れ。自分の実力で……命を」
低く響く声。
鼓膜の奥で反響するそれに、パラチオンは銃口を真っ直ぐ向ける事によって、応えた。
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表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。
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